2018年8月24日金曜日

理想的な介護分担について考えてみた


介護をしている人達の間でよく問題になるのが、



「私ばっかり介護の負担がきて。不公平!!」 

ということである。その裏には、

「相続が均等なのだから、介護の負担も均等であるべきだ」

 という考えがあるだろう。それは確かに正論である。しかしこれはあくまで私の考えなのだが、

介護とはそもそも不公平なもの

 ではないだろうか。

 

我が家の例をあげよう。レックス母は認知症+右大腿部骨折。考えるのも歩くのも不自由なおばあちゃんだ。医者からは、

「介護用ベッド以外では寝ないように!」

 と言い渡されている。

 

さて、ここで「公平な介護」とは、どのようなものか考えてみたい。介護者がたとえ何人いようと、介護される人はどこか一ヶ所に住まなければならない。最も平等な介護をしようと思ったら、被介護者を各家庭に公平に回らせるしかないのだ。長男家に1週間いたら、今度は二男家に1週間、最後は長女家に1週間、と言う具合に。


しかし、例えばレックス母のように介護ベッド以外では寝られなかったりすると、介護ベッドもその都度移動させなければならなくなってしまう。さもなければ、各家庭に1台づつ、介護ベッドを用意するか。それはほとんど不可能である。また、仮にベッドが移動できたとしても、環境が変わるのは高齢者にとって、あまり良いこととは言えない。特に認知症の高齢者の場合、よけいに混乱する可能性が高い。


では、1人の介護者の家に高齢者を住まわせ、他のものは「手伝いに」通えば「公平な介護」になるのだろうか。これはあくまで私の独断と偏見だが、介護とは24時間365日過ごして見なければ分からないモノ、ではないだろうか。外に住んでいて、ちょっと、例えば1週間に233時間かそこら手伝いに来たぐらいでは、中々介護の真の大変さは分からない。

少し手伝うぐらいでは返ってじゃまなこともあるぐらいだ、というのが本音である。いくら親族とは言え、家族以外の人が来ていれば何かとわずらわしい。その人の食事や飲み物の世話もしなければならないし、少し手が空いたからと言ってグダーっと寝転がるわけにもいかない。それがましてや自分の親族ではなく配偶者の親族となれば、心労が増すだけ、ということも珍しくない。そもそも家族以外の人間が家に入ることそのものが、ストレスになる人もいるのだ。


それに、少し手伝ったくらいで、

「私だってやっているんだ!」

 と大きな顔をされるのでは、かえって迷惑だろう。 

また、手伝っている方も家に入れば、
「もっとここはこうすればいいのに」
 とか、
「何でこうするのかな」
 などなど、よけいなことも目について、ひとこと言いたくなったりするものだ。あげく、お互いに感情的にになったりする。

 

だから、私は「公平を期す」ことよりも、「そもそも介護とは不公平なもの」と認識することの方が、大切だと思っている。不公平だからこそ感謝もするし、不公平だからこそ、手を差し伸べるべきポイントも分かるのだ。





ちなみに、レックス姉はほとんど介護要員としては当てにできない人である。在宅介護時代には、私が家を空ける必要がある時にお留守番を頼んだりしたが、今は介護にはノー・タッチだ。その代り、姉は全く口も出さない。私も、一応何かある時には相談するが、最終的な決定は自分が下すと決めているし、決定権は自分にあると思っている。

  
誤解している人がいるのだが、手伝わない代わりに全く口を出さない人と、手伝う代わりにあれこれ口を出す人、どっちがいいかと聞かれれば、前者の方が断然いい。やはり、同居介護と外に住んでいる人間とは、どうしても認識の違いがあるし、外からあれこれ言われるのは、一番つらいことだ。介護とは、同居して共に寝起きして見なければ分からないものがあるのだ。

 

だから、私的には姉がこういう人で本当に良かったと思っている。ウチの場合、母も私の方を頼りにして、かわいがってくれているので、それも助かっている。高齢者というものは、どういうわけか、そばにいて世話をしてくれている人より、外に住んでほとんど顔を出さない子供の方を慕う人がいる。これは、世話をしている人間にとって、実に厄介だ。

 

ここで一つ、介護の掲示板で見た「介護のお手伝いの見本」をご紹介したい。その方はお嫁さんで、お姑さんの介護をしている。外に住んでいるお義姉さんが、

「私はこんなことしかできないから」

 と、お姑さんの病院通いの一切を引き受けてくれているそうだ。私は、これは理想的な「お手伝い」だと思う。

 

経験された方はよく分かると思うが、高齢者の通院の付添は、非常に疲れるものなのだ。しかも時間もかかる。お義姉さんがお姑さんを連れて行ってくれている間、お嫁さんはゆっくり休むこともできるし、溜まった家事を片づけることもできる。家にお義姉さんがいるわけでもないから、気兼ねもいらない。また、実の娘さんだから、お医者様からのお話を聞いてもらうことも問題ない。お姑さんだって、実の娘に会えるのだから嬉しいはずだ。誰にとっても嬉しい「お手伝い」ではないだろうか。

 

事実、そのお嫁さんも非常に感謝していた。

お義姉さんのスタンスがまたいい。

「私はこんなことしかできないから」

 中々言えないセリフですよ、これは。

もちろん、これでも「公平な介護」とは言えない。一緒に住んでいるお嫁さんの方が、はるかに負担は大きいだろう。その「不公平感」をきちんと分かっているからこそ、お義姉さんもそんなセリフが言えるのである。

 

介護とは、どうしたって不公平なものだ。だからこそ、その不公平をどうやって乗り越えるか、それをきちんと見つめないといけないと思う。中々に難しい問題だけどね・・・・・

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