2018年4月30日月曜日

やはり昔の洋館はすばらしい、と熱海でつくづく思った


熱海随一のパワー・スポットでエネルギー補給をし、意気揚々と熱海駅に戻ったレックス、実は次にどこを回ろうか、と思案する。実は、熱海駅近辺の素敵なカフェで優雅にお茶して、そのままホテルへ向かうつもりだったのだが、思ったよりも早く駅に戻って来たので時間が余ってしまったのだ。私は一服してから「起雲閣」へ行くことにした。

 

まずは、ちょっと気取ってスイーツでも・・・・と仲見世商店街や平和通商店街を行きつ戻りつしながら、抜かりなくネットで調べた「気になるお店」にチェック・イン! と思うのだが、さすが熱海、どのお店もいっぱいである。結局、「ネットに載っていたかどうか忘れちゃったけど、何か老舗っぽい」和菓子屋さんに入ることにした。運よく一席だけ、空いていてそこに座り、いざメニューを! と意気込むレックス。が、さすが熱海、観光地ならではの価格設定。つまり、けっこうお高い。その中では煎茶の和菓子付セットがお安かったので、迷わずそれを注文、お菓子も食べられるしね。ゴージャスな旅を志していた割には、やはりケチな癖が顔を出す。これもサガというものだろう。しかし、和菓子は中々に美味だった。私の辞書に、「糖質制限」という文字は無い。

 

「起雲閣」は、熱海三大別荘の一つで、大正時代に建築された和洋折衷建築物の傑作のひとつである(観光用パンフの受け売り)。旅館として営業されていた時期もあるとかで、太宰治、谷崎潤一郎、山本有三、志賀直哉etc. 日本を代表する文豪たちに愛された。ま、早い話が文化の香りに満ち満ちた由緒ある建築物、ってとこでしょうか。

熱海駅からバスで10分ほど、バス停で降りたら目の前だ。近くには「水森亜土おもちゃ箱画廊」もあるよ、入らなかったけど。

 

それにしても、いつも思うのだけれど、昔の洋館は本当に素晴らしい。金と技術と、何より手間暇を惜しまずに思う通りに建てた、というのが実によく分かるのだ。今、こうした建築物を建てようと思っても、もはや不可能だろう。

この「起雲閣」は和洋折衷ということで、全くの洋館というわけではないのだが、そこここに大正時代の「西洋」が散りばめられていて、実に「シック」なのだ。畳と洋間がしっくりと混在しており、ここだけ別の時間が流れているようである。

ただし、私がこの家で眠ったら、あまりの立派さに何だかうなされそうではある。掃除も大変そうだな~、なんて考える私は、やっぱり根っからの貧乏人である(っつーか、このような家に住む方は自分では掃除しないよね、お掃除する人を頼むよね)。

 

この「起雲閣」の中にはカフェもあって、大正ロマンな気分に浸りながら優雅にコーヒーやケーキを楽しめるのだが、そろそろホテルに向かう時間が迫っている。ま、コーヒーとケーキはホテルのカフェでゆるりと楽しむか、と「起雲閣」を後にした。

 

さあ、いよいよ憧れ(?)の熱海のホテルで一泊だぞ!

と、気合の入るレックスだった。

2018年4月24日火曜日

熱海良いとこ一度はおいで・・・・・・・


久々に旅行に行ってきました~! 日本人の心のふるさと熱海。ええ、一人旅です。

 

実は、このレックスの最大にして唯一のと言える趣味が「旅行」、しかも一人旅だった(もちろん、友人や家族ともさんざん行ったが)。だった、と過去形なのは母の介護で旅行はおろか、外出すらままならない状態が何年も続いたためだ。

 

以前にも言ったと思うが、「心」も「身体」と同じで、使用しない部分はどんどん萎縮していく。長い間運動をしていないと、筋肉が衰えてしまい、思うように身体が動かなくなる。そしてますます動かすのがイヤになってしまう。

心も同じで、長い間「あれもできない」「ここにも行けない」という生活を続けていると、気持ちが萎えてしまうと言うのだろうか、「旅行へ行きたい」「習い事をしたい」「○○をしたい」という思いが湧き上がらなくなってしまうのだ。

 

それに加えて、今は現実的な問題がある。言わずと知れた、お金である。思えばはるかその昔、夏休みだ、正月休みだ、やれゴールデンウィークだと、その度にいそいそとお出かけしていたものだ。母も認知症ではなかったし、安月給とは言え一応正社員の独身貴族(?)、何の迷いも心配も、不安も当時は無縁だった。

 

フットワークだけは軽かったので、国内はもちろん海外でもさしたる気負いもなく飛び出していたっけなぁ。出発のわずか数日前にスコットランド旅行を決めたこともあった。

「まあ、行けば何とかなるだろう」

なんてね。そう、こうした行動力だけはあったのさ、自慢にはならんが。

 

それが・・・・・。今では全く真逆の生活を送っている。母を在宅介護していた時も、

「遠くに行くのは無理だけど、近場に1泊旅行ぐらい、たまにはいいだろう」

 と思っても、どうしてもそれができない。言葉でうまく説明できないが、「腰が上がらない」のだ。介護で自分を縛っている間に、その縄がほどけても身体が動けなくなってしまった。

 

とは言え、別に介護を後悔しているわけでも、恨んでいるわけでもない。旅行を楽しむのも人生、介護をするのも人生だ。それぞれに「良さ」はある。

 

それはさておき。

今回、その重い腰をやっとこさあげて、行って来ました、熱海に1泊。

「やっぱりさ、日本人に生まれたからには、一生に一度は熱海に行かなくちゃね!」

 という何の根拠もない我がポリシーから、念願の熱海旅行を果たしましたとさ。

 

ところで、レックス、熱海は初めてではない。ずいぶん昔に2度、訪れている。ただし、いずれも日帰りで、ろくに観光はしていないし、温泉にも入っていない。これでは真の熱海を堪能したとは言い難い。ここはやはり温泉に入ってゆっくりした後、上げ膳据え膳で御馳走たんまり、という旅をしたいではないか。

 

いや~、しかし熱海はいいねぇ~。近い、新幹線も飛行機も使わずとも行けるし、ホテルさえ押さえれば、後は野となれ山となれ(わが町からはね)。日本語も通じるし、日本円も使える(って、当たり前か)。熱海の最大にして唯一の欠点は、ホテル代の高さだ。素泊まりで安く抑えるという手もあったのだが、今回は少しゴージャス気分を味わいたかったので、2食付の所にした。温泉でゆっくりした後、外に出たくなかったしね。しかし、食事のコースを思わず安い方にしたのは、このケチな性格のなせるわざだろう。

 

熱海にははるばる各駅停車で向かった。さんざん電車に揺られた頃、窓から海が見えた時には、胸がわくわくした。

「海を見たのは、何年振りだろう・・・・・・」

 もう、思い出せないくらい、昔だ。自分の街から普通電車で熱海まで行けるなんて、以前に行った時には考えられないことだ(あの時はたしか、新幹線を使ったはず。まだ金があった頃だったのでね)。のどかな各駅停車の旅も良いなぁ~、と半分本気、半分負け惜しみで思う私。

 

そして、終点熱海。

「どひゃ~!!?」

 久々の熱海駅は、すっかりきれいで近代的になっていた。立派な駅ビルが建ってしまっている。以前に来た時には、

「熱海って、代表的な観光地の割には、駅はレトロでこじんまりしているなぁ」

 という印象だった。それはそれで味わいがあったが、これも時代の流れか。

 

今回の旅行で私が「行く!」と決めていた場所は2つ、1つは「来宮神社」、後1つは「MOA美術館」だ。「来宮神社」は熱海駅から1つ先の来宮駅が一番近い。熱海駅から歩いても行けるのだが、方向音痴にかけては他の追随を許さないこのレックス、初っ端から熱海の街を彷徨うのも、ちょっと・・・・・・である。私は熱海駅で一度降りて、軽い食事を済ませてから電車で行くことにした。

 

「どひゃ~!!?」

 はりきって駅前の商店街に繰り出したのだが、さすが熱海、土曜日でも祝日の前日でもないのに、どこも人であふれている。目ぼしい飲食店には順番待ちの列ができている有様。
「これじゃ、何分も待たされそうだな」
 それではと駅の時刻表を見ると、来宮駅方面行電車が15分後に出るではないか。その次の電車は、

30分以上待ちか・・・・・・」

 ここで山手線並みの運行状況を期待するのが間違っている。私はキオスクでパンを買って、電車の中で食べることにした。

「来宮はすぐ次だ。早く食わないと、駅に着いちゃう」

 電車の中で調理パンを貪り食うレックス。ゴージャスな旅を志したわりには、何ともお粗末な昼食風景である。これも日頃の行いのためか。

 

「来宮神社」は熱海随一のパワー・スポットとかで、特に有名なのが樹齢2,000年以上と言われる大楠だ。何でも、これを一周しながら願をかけるとかなうとか、寿命が1年延びるとか、いろいろと霊験あらたかなお話がささやかれている、ありがた~い樹なのである。むろん、このレックスもそこは抜かりなくしっかりとお願いをしておいた。鈍感なレックスはそのありがた~いパワーを肌で感じるようなことはなかったし、参拝客がやたら多かったりしたが、緑が多く、確かに心がスーッとする良い場所だった。

神社の中には抹茶とお菓子を楽しめる休憩所もあって、緑の中でゆるりとお抹茶を味わえる。本当はそこでまったりしていこうか迷ったのだが、時間の限られている旅だし、とここでも貧乏根性がじゃまをして、先を急ぐことにした。後ですげー後悔したんだけどね。

ともかく、熱海に行ったらこの「来宮神社」はぜひ訪れたい、お勧めのスポットだ。他に「伊豆山神社」もあって、ここも静かな良い場所です。実は、前回の日帰り旅行はこの「伊豆山神社」参拝旅行だったのさ。今回はパスしたけれど、ここもお勧めです。

 

帰りは電車を使わず、景色を楽しみながらゆっくりと歩いて熱海駅まで戻った。

2018年4月17日火曜日

コールセンターがダメなら事務センターがあるさ!?


さて、中高年の味方(しつこいな)コールセンターから立て続けに嫌われたレックスが次に目をつけたのが、「事務センター」だった。

 

長年、超小さな会社の正社員として過ごしてきた私にとって、この「事務センター」なるものはほとんどなじみがなかった。私たちの新卒時代(もちろん、昭和)には事務センターなどなかったし、これまで働いてきた営業所では、辞める少し前まで私が唯一の事務員だったのだ。

 

求人サイトや求人誌をよくよく読んでみると、この事務センターとはいわゆるアウトソーシングというヤツで、例えばAという会社がBという会社から事務作業を請け負って、自分の所で人を雇ってその作業をやらせる、というものらしいと分かった。B社は自分の所で人を雇うより安く、そして手間もかけずに仕事をさばけるし、A社も開発費を使ったり、社員を育成したりする費用や手間をかけずに利益を上げることができる、ということなのかもしれない。

 

事務センターの良い所は、あまり年齢をうるさく言われない点だ。普通の会社と違って来客がほとんどないので、若くて見栄えの良い社員を雇う必要性が少ない。また、本当に大切な仕事を外注に出す会社なんてあるわきゃないので、仕事自体にも高いスキルは求められない。ただし、直接雇用の一般事務パートよりも、時給が若干安めな場合が多い(当社比)。

 

しかし、ここまで様々な会社から振られまくってきたレックス、時給が安いの何のと言っていられる立場ではない。ここは事務センターに望みを託してみるしかないではないか。私は地元で募集をかけている事務センターの一つに応募してみることにした。

 

そこは、主婦をターゲットにしている求人サイトに載っていた募集の一つで、紹介予定派遣というタイプの仕事だった。この紹介予定派遣というのも、浦島太郎レックスにはやっぱり馴染みの無い単語だ。派遣で一定期間働いた後、直接雇用に替わるというものらしい。「直接雇用」、60を目前にした私にとって、なんと甘美な響きだろうか!?   だって、23年働いて放り出されたら、もう今度こそ仕事なんてありませんぜ、奥さん!? それに、服装もオフィスカジュアルよりもさらにカジュアル。ジーンズもOKなんて、嬉しい限りだ

「今さら通勤着に金なんざ、一切かけたくねーよ!」

 というアタシには何より喜ばしい一言。やっぱり、ここは受けるしかない。

 

というわけで、未知の領域「事務センター」に足を踏み入れる決心をした私だったのだが。

 

その試験の顛末はまた、次回。

2018年4月15日日曜日

中高年の味方コールセンター再び・・・・(やっぱり私は除く)


中高年求職者の数少ない味方であるコールセンターからダメ出しされたレックス、次に目を付けたのは、懲りずに再びコールセンターだったのさ。

 

コールセンターは、派遣のケースがほとんどだ。そして派遣の場合、就業場所が地元でも採用試験は都内、ということが非常に多い(池袋・新宿・渋谷方面多し)。しかしそのコールセンターは、試験会場も珍しく地元だった。

「地元で面接してくれるってことは、地元に根差した派遣会社ってことよね!?」

地域密着型、いい響きではないか!? 地味で堅実、おばさんに優しそう・・・・いや、何となく。まさに、私のための職場、なんちって。ともかくそれだけで受けやすそうだし、受かりやすそうな気がする、と勝手に納得するおめでたいレックス。第一、試験を受けに行くのに交通費がかからないので、お財布にも優しい

 

そんなわけで、一度落とされているにもかかわらず、再びコールセンターにトライしたのだった。

面接場所に行ってみて、びっくりした。何と、応募者は私一人。え!? じゃあ、もう採用は決定すか!? と浮かれるのは当然NGで、この会社も毎週のように求人サイトに載っている所の一つだった。つまり、今回の試験で採用者を決定するわけではない、ということだ。いずれにしろ、広い試験会場に自分一人だけという状況は、どうにも落ち着かない。

 

試験は前回のコールセンター同様、中々本格的なものだった。筆記試験にタイピング試験、それに面接だ。前回のコールセンターとは異なり、筆記試験がPC使用ではなく手書きだ。文字通りの筆記試験である。これでは字が下手くそなのが丸わかりではないか、と焦るが、まあ、コールセンターで手書きのお仕事というのはあまり聞かないから大丈夫だろう、と強いて自分を落ち着かせる。

で、肝心の出来だが・・・・・・・。




実は、この試験に関してはあまり記憶が残っていない。筆記テストは、自分的には可もなく不可もなく、「そこそこ」の出来だった(と思う、多分)。ただし、タイピングについては、何しろ受けているのが私一人なので、他との比較ができない。
「まあ、こんなもんだろう」
 と思う反面、やっぱり今回もボロボロでは、という気がする。面接に関しては、これはもう、何ともかんとも、としか言いようがない。

「地元だし、試験もそこそこだったし、受ける人もあまり多くないようだし、何とかなるかな」

 と淡い期待を抱いていた。

 

もちろん、それが甘い観測であったことは、それからすぐに思い知らされたのだが。

 

う~ん、しかし中高年の味方にここまで嫌われる私っていったい・・・・・。

2018年4月10日火曜日

中高年求職者の味方、コールセンター(ただし、私を除く・・・・)


受けても受けてもことごとく落ちてしまう私レックス、ここは一発、無い頭をしぼらないと、と思い始めた。そこで思いついたのがこのお仕事、コールセンター。

 

やっぱりね、50代も後半になると受付や来客対応アリの一般事務というのは、もう非常にキツイわけですよ、お客さん。コールセンターだったら顔を出さないせいか、年齢に対する条件が緩い場合が多いのだ。しかも、コールセンターは募集も多い。まさに私のためのお仕事、ではないだろうか(と勝手に決める)。

 

一口にコールセンターと言っても、その種類は様々だ。こう見えてもとことん小心者のワタクシ、こっちから売り込むタイプのコールセンターは絶対に無理。俗に言うアポ取りってやつだ。しかし、受信オンリーのものならこの私でも何とかなるのではないか。

「そうよ、マニュアルだってあるし、私、記憶力には自信があるし(ただし、十代の頃だけどよ)。ちょっとした入力だったらお手のものよ(のはず)」

 私だってこう見えても20年、パソコンを使用して事務仕事をこなして来たのだ。そりゃ、離職してから4年のブランクがあるが、何の、まだまだ若いもんには負けやせんて、ふぉっふぉっふぉ!

 

一つ気になるのは私が狙っているコールセンターも、頻繁に募集をかけている点だった。

「やはり、こういう所は人の出入りが激しいのかな・・・・」

 募集がしょっちゅうある所、というのは何かある。この点が気にかかってこれまで応募をためらってきたのだ。しかし、背に腹は代えられない(それに時給もいいし!?)。

 

私はいそいそとコールセンターの面接を受けに行ったのだった。

「人の出入りの激しい職場だ、きっとたくさん採って、辞める人も多いのだろう、ま、そういう所なら何とかもぐり込めそうだ」

 とらぬ狸の何とやらで、半分受かった気でいた私。

 

勤務地は地元だが、面接は池袋を指定された。この手の派遣仕事ではよくあることである、ということもこの過酷な中高年就活ライフで分かってきた。交通費は痛いが、致し方ない、背に腹は代えられない。
試験会場に入って、まずびっくりしたのは、かなり本格的な採用試験が準備されていたことだった。PCを使用しての筆記テストとタイピングテスト、常識問題と、いや、これはかなり難敵である。20代、30代の頃ならいざ知らず、50も後半の今となってはもはや知識は霞か雲か状態

 

それでも何とか筆記テストはそれなりに出来た(と自分では思えた)のだが、問題はタイピングテストである。

自分でも情けないぐらい、打てない。

「へ!? 私って、こんなにPC打てなかったっけ!?」

 標準的なブラインドタッチぐらいは○だと自分では信じていたのだが、結果はボロボロ・・・・・。う~ん、やはり4年のブランクは思った以上に大きかったようだ。それに、前職は普通の営業事務だったので、1日中入力しているということはなかった。それにしても、ここまで自分のタイピング能力が低いとは、今の今まで気づかなかった幸せな私・・・。

 

面接もボロボロで、結果は思った通り不採用。採用人数の多さにわずかな期待を抱いていたのだが、私の試験結果はそれをはるかに上回ったようだ。

 

「しょっちゅう募集をしているからと言って、大勢採用するとは限らない」

 一つ利口になった(?)レックスだったのさ(ってゆーか、現実を知っただけ!?)。