2019年1月31日木曜日

通信制大学よいとこ、一度はおいで~、ちょいなちょいな~


 
 
 
まだ某通信制大学への編入を迷っているレックスです。

 


でも、通信制大学って、面白いよ。中には卒業してはまた別の通信制大学や大学院へ入る、ということを何度も繰り返している猛者もいて、その魅力に取りつかれると、中々に味な存在だ。

 

 

通常の通学制の大学では、いくらいろいろな学生がいるとは言っても、そこまで背景に差があるわけじゃない。まあ、せいぜいが現役で入ったのか、それとも浪人しているのか、その程度の違いだ。中には社会経験のある学生もいるけれど、それも普通は23年がいいところだろう。

 

昨今は社会人入学というのも盛んになって来たけれど(子供数が減っているぶん、大学も商売が大切だからね)、それでも学生の多くは似たような年恰好だ。

 
 

しかし、これが通信制となると話が別だ。本当にいろいろな人が来ているからね。中にはすごい経歴の方もいたりする。

 

例えば、通信制大学の中でもそのレベルの高さで他の追随を許さない慶応通信などは、「国際政治論」の講義中に、元外交官の学生が教授と論戦を闘わしたりする、なんて場面にもお目にかかれたりするらしい。

こんなこと、通学制の講義では絶対にありえないでしょ。

 

ちなみに、この慶応通信は本当にレベルが高い。卒業する気なんてない、と言う方には一番お勧めの大学だ。ただし、卒業したい方は要注意である。

 

 

私が出たのは武蔵野大学というところの心理学専攻だ。さすがに元外交官な方はいなかったけれど、心理学という性質上、学生の中には看護師の方が多かった。中には精神科の病院に勤めている方もいたりして、やっぱりそういう方は私たちとはちょっと違っていたね。

 

何しろ、臨床の現場に日々立ち会っているわけで、何と言うのだろう、机上の勉強ではなく、皮膚感覚とでも言うのかなぁ、こちらに伝わってくるものがあるんだよね。

 

今問題になっている高齢者虐待について、医療現場での生の声が聴けたのは、今でも鮮明に覚えている。

 

 

今、通信制大学の中には「スクーリング無し」を売り物にしている所がちらほらあるけれど、レックスは絶対にスクーリング有りの所をおすすめしたい。

 

それは、こうした「現場」に立ち会えるのはスクーリングがあるからこそで、まさにこれが通信制の醍醐味、だからだ。

 

あと、これはあくまでレックスの個人的な感想なのだけれど、教授や講師も熱心な人が多いよ。

武蔵野大学でも他の大学から講師で来ている先生がいたのだけれど、その人は自分から志願して来ていたらしい。いわく、

「通信制の学生は熱心だから、やりがいがある」

まぁね~、そりゃ、すねかじり自腹切ってるヤツの違いってヤツだよね。

私も若い頃に行った大学では、休講になると嬉しかったもんなぁ。

「ラッキー!」

て。それが今じゃ、

なに!? 休講だと!? 金返せ!!」

 だよね。自腹切ってるヤツは強いのさ。

 

 

とまあ、とっても楽しい通信制大学なんだけれど、もちろんデメリットも多々ある。

一つはもちろん、モチベーション維持。これが案外難しい。何しろ、ほとんどは一人で勉強しないといけないからね。最初の意気込みを保ち続けるというのは、至難の業なのさ。

 

それから、自己管理。通学するのと違って、いつやってもいい、ということはいつまでもやらなくてもいいわけで、よほどしっかりと自己管理しないと、ズルズルとさぼってしまうことになる。気がついたら、

「レポート1本も出してない・・・・・・」

 なんてことも。

 

そしてもちろん、これ、スクーリング。しっかり働いている方はこいつのために時間を空けなければいけないし、私のようにしっかり働いてない方は「スクーリング費用」が重く重くのしかかる。

通信制の醍醐味を味わえるスクーリングなのだけれど、両刃の刃でもあるわけで。

 

 

今回もこの費用と時間の問題で、いまだ「どうしよう・・・・・」と迷っているレックス。

2月中には結論を出さないとなぁ・・・・・。








 

2019年1月28日月曜日

「通信制大学合同説明会」に行って来た


 
 
 
昨日、久々にはるばる新宿まで行って来た。「通信制大学合同説明会」に出るためである。

 

実はレックス、今、通信制大学で勉強することを考えている。私が通信制大学に入るのは、これが初めてではない。以前にも3年次編入で、心理学を学んだことがある。働きながらの勉強はいろいろあったけれど、何とか3年で卒業することが出来た(最短は2年だけど)。

 

しかし、あの頃から思えば年も取っているし、第一気になるのは学費だ。あの時は正社員だったので、学費面ではそれほど心配はしていなかったのだが、今は薄給パートの身。そう、地獄の沙汰も金しだい、先立つものは金だ。

 

また、通信制というのは、通学制の通常のスタイルのものとは違って、大学によってそのシステムがかなり異なる。スクーリングの制度や日数にもかなり違いがある。以前の大学はスクーリングの日数が少なめだった。特に、私のように一度大学を卒業している編入生の場合、免除されるスクーリング科目もあり、卒業しやすいようかなり配慮されていたのだ。

ま、だからこの怠け者でも卒業できたんだけど。

 

通信制というのは、社会人にとっては非常にありがたい制度だが、一番のネックは何と言ってもこのスクーリングなのである。時間的にもやりくりが大変だし、費用も別途かかる。だから、やはり一度説明を聞いてから入学を決めようと思って、説明会に出向いたのだが。

 

 

いや~、驚いたね。何って、人がいっぱいで。老若男女、けっこうな盛況ぶりだった。私は、

「きっと、パラパラとしかいないだろうし、説明聞いてすぐに帰れるだろう」

 とタカをくくっていたのだが、まさかのウエィティング。順番待ちしちゃいましたよ。こんなに向学心にあふれた人が多かったとは、やっぱり日本人って真面目なのね。

 

アタシ? いえ、アタシは大して向学心には溢れていません(キッパリ!)。

 

今回私が志したのは、文芸。文学論ではなく、読み書きを基礎から一度、しっかり学んでみたくなったのだ。

 

レックス、在宅介護していた時に、内職でWEBライターをやっていた。と言っても、ポイントサイト等の「サルでも書ける」式のヤツだけど。でも、家事と介護の合間にシコシコと励んで、月に2万ぐらいにはなっていた。

 

で、就活などでしばらくWEBライターはお休みしていたのだが、めでたく(?)薄給パートに決まり、

「また空いた時間に内職しようかなぁ」

 と思い立った。が、しかし・・・・・・

 

「書けない・・・・・」

 

サルでも書けるはずだったのに、何と、1文字も書けなくなってしまったのである。これはいかん! 在宅で月に1万円でも5千円でも稼ぐ予定だったのに。やはり、文章と言うものは書かないでいると書けなくなってしまうものなのだ。

 

 

そうこうしているうちに、とある方のブログで、「通信制の大学で読み書きの基礎を学んだ」という記事を目にしたのである。

 

「そうか、それはいい。これからの人生を考えたら、ここで読み書きの基礎をしっかり学ぶのも悪くない。だって、きちんと読む、しっかり書くというのは、全ての学びの基本になるから。第一、これから老境にさしかかろうかと言うこの身、読んだり書いたりすることは、一番手っ取り早くて金のかからない趣味だ。それに、WEBライターもまだできるようになるし。ただし、実生活にはあまり役にも立ちそうもないけど・・・・・」

 とまあ、何とも安直な考えで、再び学生になることを思いついたレックス。もっとも、
 
「どうして通信制大学の入学をお考えになったのですか?」
 と問われて、
「はい! WEBライターの内職がしたいからです!」
 とは言えなかったよ・・・・・

 

それとね、決め手となったのは、以前に学んだ通信制の大学が、とっても楽しかったからなんだよね。大学の図書館へ行ったり、学食で皆と食事したり、必死にレポートを書いたり、学生に戻ったようで、本当に楽しかった。それが頭から離れなくて、ついまた色気を出してしまった、というわけ。

 

 

ただ、今回私が入学を検討している大学は、以前の所に比べるとスクーリングが格段に多い。時間的にもだが、スクーリングが増えると言うことは、費用もそれだけ増えることを意味している。これが目下の悩みの種だ。

 

そんなわけで、入学するかどうか今一つ決めかねているが、まだ時間はあるので募集要項を見ながら、じっくり検討したいと思っている。

 

ちなみに、2月の最終日曜にもう1度合同説明会があるので、興味のある方は参加されてみるのも悪くない。予約なしで大丈夫なので。
 
 
卒業率10パーセント以下という慶応通信に、君もチャレンジしてみないか!?
(むろん、レックスが入学を検討しているのは、慶応ではないよ!)
 
 
 
 
 
 

2019年1月20日日曜日

幸せって、幸せだと思った者が勝ちなんだよ






レックスは基本週3日勤務なので、1週間に3日以上連続して出勤することはほとんどない。が、来週、と言うかもう今週か、はその数少ない週で、4日連続勤務となっている。

しかも、他の部署にヘルプに行かされる日もあったりして、レックス的にはしんどい週になりそうなのだ。

 

う~ん、ほんの数年前(と言ってももう5年以上前だけど)までは週5日のフルタイムで、おまけに連日残業をこなしていたのだが、すっかり3日勤務に慣れた今、4日連続というのはハードルが高い。人間、怠慢に慣れるのはあっと言う間ということか。

 

どうして4日連続勤務になってしまったかと言えば、それはシフトがそう組まれているから。ウチの会社はまず前月に次の月の希望する平日休みを提出する。土日は基本的に休みなので、それ以外の休みということだ。後は会社の方で週3なら週3、週4なら週4に全体的な出勤数がなるように、調整して残りの休みを指定する。もちろん、週5のフルタイムで働いている人もいる(少ないけど)。

 

で、結果出来上がったシフト表を見たら、

「あらら、来週は4日連続出勤だよ」

 となっていた、と言うわけだ。

 

でも、シフト表を組む人も大変だと思うんだよ。いろいろな人の休みの希望を見て、その人の希望出勤日数を見て、しかもほら、ウチの会社はミス率や何かで仕事を分けたりとか、いろいろしているから。

下手をすると、

「あれれ、この日はこの仕事ができる人が三人しかいない」

 なんてことにもなってしまうじゃないか。そうした諸々の諸事情を加味して、シフトを組まねばならないのだから。

ったく、仕事を分けると言っても大した違いはないんだから、皆同じように扱えば、そんな苦労はしなくていいのにね。

 

ま、別に私が苦労しているわけじゃないから、別にかまわないんだけど。

 

 

そんなわけで、来週の私をちょっと心配しているレックスおばさんです、ハイ。

 

 

こんな時にはやっぱり小さな楽しみを見つけなくちゃ! というわけで、来週は1日夕飯を外食にしようかと考えている。

 

食いしん坊レックスは、実は食べることが大好きだ。今からその貴重な外食日を、

「何を食べようかな」

 とワクワクしながら考えている。ま、貧乏なもんで、どうせ大したものを食べるわけじゃないけど。

 

独り暮らしのくせに外食や出来合いの総菜を買うことがほとんどないので、こんなちょっとしたことが嬉しいのだ。一人で好きなところで好きなものを食べる、しかも食った後に後片付けする必要が無い!! (これ、大事) 

こんな贅沢が他にあるだろうか、と(私にとってはね)。

 

でも、これも時々だから楽しいので、いつも外食していたら、ときめきなんて感じないよね。

 

 

日々の暮らしの中で小さな幸せを見つける、これってすごく大切なことだな、と最近つくづく思う。

高齢で、シングルで、しかも一人暮らしで、薄給のパート勤めで、こんなレックスの暮らしは見る人が見ればすごく悲惨で惨めで、不幸なのかもしれない(本人、自覚はないが)。

 

だが、週3勤務のおかげで時間はあるし、母の介護も余裕を持ってできるし(施設に居るからと言って、介護から解放されると言うわけではない)、私なりの楽しみもこしらえることができる。

 

それに加えて、これからはこんな「日々の小さな幸せ」を積極的に見つけていきたいと思う。

 

結局ね、人間、幸せになったものが、幸せを感じたものが勝ちなんだよ。客観的な環境はこの際問題じゃない。本人がどう感じるか、これが全て。

 

みんな、お互い、幸せになろうね!





 

2019年1月16日水曜日

認知症=不幸という決めつけは、いかがなものかと思う


 
 
 
Youtubeを見ていたら、ある大学教授(だったと思う、よく覚えてない)の方が、

「(認知症になってしまうと)自分自身も、そして家族も不幸だ」

 というようなことを仰っていた。

 

まあ、それが一般的な反応というか、考えなのだろうな、と思う。だが、身近に認知症の家族を持つ者の一人として、敢えて反対意見を述べさせていただきたい、と思う。

 

認知症患者(認知症は病気です。ボケという状態ではありませんので、念のため)の家族、特に介護者、これは不幸になります、ハイ、確実にwww(実感)。

それは、介護自体が大変、というばかりではない。

 

そうそう、この辺りも認知症はいろいろと誤解や偏見が多いのだが、認知症患者の介護者になると、夜もろくろく眠れず、あらぬ盗難の疑いをかけられ、あろうことか暴力まで振るわれ身も心もボロボロになる・・・・・と信じている方が時々見受けられる。

 

確かに、そういった患者さんもいるには居る。しかし、例えばウチの母などは、足が悪いせいもあるが徘徊などしたことは一度もなく、夜は私よりもぐっすり眠り、物とられ妄想も、暴力的になることも皆無だった。

認知症と言うのは非常に個人差の大きい病気で、母のように周辺症状がほとんどない方も大勢いるのである。

 

だから、介護者の人たち皆が皆、ドラマの介護家族のように「修羅場な毎日」を過ごしているわけでは、決してない。

 

しかし、介護の大変さと幸不幸とはまた別の問題でもある。自分の家族、それもかつて自分を養い、しつけし、育んでくれたはずの人が、日一日と別の人間になって行く、その人の何かが壊れていくのを見ることは、胸がふさがれる思いがするものだ。これを「不幸」と言わずして何と言うのか。少なくとも、それを見ながら「幸せ」を感じる家族は、いない。

 

だから、介護家族は確実に不幸になると私は考えているのだが、では患者本人はどうかと言えば、ちょっと異議申し立てをしたくなるのである。

 

母を見ていると、時々、

「お母さんは認知症になって、ある意味幸せな面もあるのではないだろうか」

 と感じることがある。

 

母から見てダメ娘の私は、高齢で、しかもシングルで、なおかつ底辺のパート労働者である(ま、母のせいでもあるんだけどねwww)。

もし母が認知症でなかったら、普通の親なら、

「この子、将来は大丈夫なのかしら・・・・・・」

 と少しは心配になる所ではないだろうか。だが、母は見事なくらい何の心配もしていない。

 

あろうことか、まだ母を在宅介護していた時に、一度私が腰痛になったことがある。結局、骨に異常はなく、数日の静養で良くなったのだが、介護者にとって腰痛は致命的である。何せ、介護は重いものを持ち上げるような作業が多いのでね。

 

この腰痛という事態、むろん私にとっても一大事だが、母にとってより重大な意味を持つはずなのだが(何しろ世話ができなくなるからね)、私が、

「腰痛になっちゃった」

 と言ったその瞬間、

「・・・・・・・・・・」

 ちょっとあさっての方向を向き、そして次の瞬間は何事も無かったように、その事実をスルーしやがりました。そう、私の腰痛は一瞬で「無かったこと」にされたのだ、母の脳内で。
普通はたとえその場だけでも、
「大丈夫?」
 とか何とか反応がありそうなものじゃないすか。しかし、全く何の反応もなし。この時はさすがにちょっと切れたが。

 

この、「自分に都合の悪いことは一切聞かない、聞こえない」の徹底ぶりは、認知症でなければできない芸当である。だって、下手すりゃ死活問題だからね(母にとって)、それでも華麗にスルー出来る、それってかなりすごいと思う、いや、どうすごいのかは分からんが。

 

 

今、母は特養に居る。特養に居る高齢者の中には、認知症でない方ももちろん居て、そうした方々の中には、

「どうして私がこんな所にいなければならないのか」

 という思いを抱いている方も、いないわけでは、ない。やはり、高齢者にとっては住み慣れた自宅が一番なのだ。

 

しかし、母にはあまりそうした感情はない。むろん、母にとっても自宅が一番と言う点では変わりないのだが、恨みの感情は無いのである。私が行っても、

「どうして私はここに居るの?」

 と聞いたことはない。もしかしたら、それは自分の置かれている状況が理解できないだけなのかもしれないが、それでも私にとっては正直ありがたい。
 

母は、ただ私が来たことを素直に喜び、自分の部屋の眺めの良さを嬉しそうに語る。

 

そんな母を見ていると、

「認知症が不幸だなんて、一概に決めつけはできないのじゃないのかなぁ」

 という気がしてならない。だって、認知症が不幸って、患者本人の意見ではなく、あくまで周りの人がそう感じているに過ぎないからね。

 

認知症に限らず、その人が不幸か幸福かなんて、その本人にしか分からないことだし。

 

むろん、母には一応私という介護者がついているから、ということもあるだろう。例えば私が一人、年老いて、認知症になったら、こうはいかないかもしれない。

 

それでも、だ、やはり認知症患者は不幸、という決めつけはいかがなものか、と私は思う。本来人間の幸不幸なんて、それほど単純なものじゃない、なんてこれは(母が不幸だとは思いたくない)私の願望も入っているのだろうけれど。

 

 

さてさて、私はどんな老後を過ごすのかな。どんな「老後の幸せ」を描くのだろう。怖いような、楽しみなような、少し複雑な気持ちだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

2019年1月14日月曜日

辞めたいのは、お前だけじゃない


 
 
 
この間、昼休みの時に同僚のパートさんの一人が、ふとこんなことを言い出した。

「ウチの近くに今度、新しいショッピングセンターができるんだけど・・・・」

 ふ~ん、安いのかな、そのお店。もし安かったら、私も行ってみようかな、そこ、と思っていたら・・・・

 

「それが、時給が○○円なのよ・・・・」

 あれ? 何か違う。そう、お買い物の話ではなく、そのショッピングセンターでパートを募集しているというお話だったのだ。もしかして、そこで働きたいという話か!?

「でも、あそこ、仕事はどうなの、けっこう大変じゃない?」

「ほら、△△だったらどうかしら、あそこはラクに見えるんだけど・・・・」

 

もしかして、皆さん転職を考えている!? まぁね~、私だって常に頭の中には「転職」の2文字が浮かんでいる。それでも辞めないのは、この年では辞めたところで次が、特に今よりも良い条件の所が、見つかる保証が無いからだ。いや、保証が無いどころか、見つからない可能性の方が高い。

 

だから、40代ぐらいの(私から見たら)若いパートさん達が転職を考えるのは、当たり前と言えば当たり前の話である。

それにしても、けっこう皆さんの顔が真剣だったので、ショックを受けた。

「ま、まずい・・・・・・」

 

私がこの会社を辞めないのは、むろん次が見つからないというのが1番だが、週3日勤務でもOKとか、休みが取りやすいとか、他にもいろいろ理由があって、中でも特筆したいのが「人間関係がラク」という点なのである。意地悪な人やリーダー風を吹かせる人、噂好きな人が全く居ない、というのはかなり貴重な環境ではないだろうか。

 

人づきあいが苦手な私は意識的に周りの人達とは少し距離を置くようにしているのだが、他のパートさん達の中にはプライベートで一緒に遊びに行ったり、お茶やランチを楽しんだりして、かなり個人的に親しく付き合っているグループもあるようだ。


 

私はそうした個人的な付き合いには無関係だが、私にとっても皆様がこうして仲良く交流されているのは、喜ばしいことなのである。

 
20代30代のキャリア志向の方ならいざ知らず、やはりパートのおばさんとなれば、普通は働くとなれば人間関係を何より重視する。仕事内容や時給が少々悪くとも、和気あいあいと仲良く仕事ができる、というのが何よりだろう。

 

つまり! 何かと問題が多い我が職場であるが、こうして皆様が仲良く仕事されていれば、退職願望の抑止になるのではないか。皆さんが辞めずに働き続けてくれれば、私にとっても喜ばしいわけで(だって、意地悪な人が新しく入って来たら、高齢シングルのレックス、困るし)、まことにけっこう。とまあ、早い話が自分勝手な願いを抱いていたわけである。

 

が、皆さんの「新しいショッピングセンターのパート募集話」を聞いていて、別の面に気がついてしまった。

「誰かが辞めたら、ボロボロと次から次に辞めてしまうのではないか!?」

 ひょっとしたら、誘い合って新しい所へ移ってしまう、ということだって起こるかもしれない。仲良きことは麗しきこと・・・・・ばかりではないのである(私にとっては)。

 

いや~、マジでありうる。やっぱりね~、いくら皆さんから距離を置くと言っても、同期のパートさんたちがゾロゾロ辞めてしまったら、どうにも心細いと言うか、居づらくなってしまうよね。レックス、小心者だし。

 

 

だからどう、ということではないのだけれど、何とも不安になってしまったよ。かと言って、私に何かができるわけでもないからね。

 

 

とりあえず、これからもコツコツと、根気よく求人サイトをチェックしてみるしかない。もちろん、今の仕事を続けながらね。吹けば飛ぶような時給ではあるけれど、決まったお金が毎月入って来るのは、何と言ってもありがたい。このお金が、今の私の生命線なのだ。

 

しかし・・・・・・自分も転職をずっと考えいるくせに、他の人たちがそんな話をすると途端に浮き足立つなんて、我ながらおめでたいヤツ、と妙に感心してしまったぜ。
 
 
 
 
今日の格言。人間、考えることは皆同じ。