2019年1月16日水曜日

認知症=不幸という決めつけは、いかがなものかと思う


 
 
 
Youtubeを見ていたら、ある大学教授(だったと思う、よく覚えてない)の方が、

「(認知症になってしまうと)自分自身も、そして家族も不幸だ」

 というようなことを仰っていた。

 

まあ、それが一般的な反応というか、考えなのだろうな、と思う。だが、身近に認知症の家族を持つ者の一人として、敢えて反対意見を述べさせていただきたい、と思う。

 

認知症患者(認知症は病気です。ボケという状態ではありませんので、念のため)の家族、特に介護者、これは不幸になります、ハイ、確実にwww(実感)。

それは、介護自体が大変、というばかりではない。

 

そうそう、この辺りも認知症はいろいろと誤解や偏見が多いのだが、認知症患者の介護者になると、夜もろくろく眠れず、あらぬ盗難の疑いをかけられ、あろうことか暴力まで振るわれ身も心もボロボロになる・・・・・と信じている方が時々見受けられる。

 

確かに、そういった患者さんもいるには居る。しかし、例えばウチの母などは、足が悪いせいもあるが徘徊などしたことは一度もなく、夜は私よりもぐっすり眠り、物とられ妄想も、暴力的になることも皆無だった。

認知症と言うのは非常に個人差の大きい病気で、母のように周辺症状がほとんどない方も大勢いるのである。

 

だから、介護者の人たち皆が皆、ドラマの介護家族のように「修羅場な毎日」を過ごしているわけでは、決してない。

 

しかし、介護の大変さと幸不幸とはまた別の問題でもある。自分の家族、それもかつて自分を養い、しつけし、育んでくれたはずの人が、日一日と別の人間になって行く、その人の何かが壊れていくのを見ることは、胸がふさがれる思いがするものだ。これを「不幸」と言わずして何と言うのか。少なくとも、それを見ながら「幸せ」を感じる家族は、いない。

 

だから、介護家族は確実に不幸になると私は考えているのだが、では患者本人はどうかと言えば、ちょっと異議申し立てをしたくなるのである。

 

母を見ていると、時々、

「お母さんは認知症になって、ある意味幸せな面もあるのではないだろうか」

 と感じることがある。

 

母から見てダメ娘の私は、高齢で、しかもシングルで、なおかつ底辺のパート労働者である(ま、母のせいでもあるんだけどねwww)。

もし母が認知症でなかったら、普通の親なら、

「この子、将来は大丈夫なのかしら・・・・・・」

 と少しは心配になる所ではないだろうか。だが、母は見事なくらい何の心配もしていない。

 

あろうことか、まだ母を在宅介護していた時に、一度私が腰痛になったことがある。結局、骨に異常はなく、数日の静養で良くなったのだが、介護者にとって腰痛は致命的である。何せ、介護は重いものを持ち上げるような作業が多いのでね。

 

この腰痛という事態、むろん私にとっても一大事だが、母にとってより重大な意味を持つはずなのだが(何しろ世話ができなくなるからね)、私が、

「腰痛になっちゃった」

 と言ったその瞬間、

「・・・・・・・・・・」

 ちょっとあさっての方向を向き、そして次の瞬間は何事も無かったように、その事実をスルーしやがりました。そう、私の腰痛は一瞬で「無かったこと」にされたのだ、母の脳内で。
普通はたとえその場だけでも、
「大丈夫?」
 とか何とか反応がありそうなものじゃないすか。しかし、全く何の反応もなし。この時はさすがにちょっと切れたが。

 

この、「自分に都合の悪いことは一切聞かない、聞こえない」の徹底ぶりは、認知症でなければできない芸当である。だって、下手すりゃ死活問題だからね(母にとって)、それでも華麗にスルー出来る、それってかなりすごいと思う、いや、どうすごいのかは分からんが。

 

 

今、母は特養に居る。特養に居る高齢者の中には、認知症でない方ももちろん居て、そうした方々の中には、

「どうして私がこんな所にいなければならないのか」

 という思いを抱いている方も、いないわけでは、ない。やはり、高齢者にとっては住み慣れた自宅が一番なのだ。

 

しかし、母にはあまりそうした感情はない。むろん、母にとっても自宅が一番と言う点では変わりないのだが、恨みの感情は無いのである。私が行っても、

「どうして私はここに居るの?」

 と聞いたことはない。もしかしたら、それは自分の置かれている状況が理解できないだけなのかもしれないが、それでも私にとっては正直ありがたい。
 

母は、ただ私が来たことを素直に喜び、自分の部屋の眺めの良さを嬉しそうに語る。

 

そんな母を見ていると、

「認知症が不幸だなんて、一概に決めつけはできないのじゃないのかなぁ」

 という気がしてならない。だって、認知症が不幸って、患者本人の意見ではなく、あくまで周りの人がそう感じているに過ぎないからね。

 

認知症に限らず、その人が不幸か幸福かなんて、その本人にしか分からないことだし。

 

むろん、母には一応私という介護者がついているから、ということもあるだろう。例えば私が一人、年老いて、認知症になったら、こうはいかないかもしれない。

 

それでも、だ、やはり認知症患者は不幸、という決めつけはいかがなものか、と私は思う。本来人間の幸不幸なんて、それほど単純なものじゃない、なんてこれは(母が不幸だとは思いたくない)私の願望も入っているのだろうけれど。

 

 

さてさて、私はどんな老後を過ごすのかな。どんな「老後の幸せ」を描くのだろう。怖いような、楽しみなような、少し複雑な気持ちだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

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