2019年6月30日日曜日

「仮面ライダー」はやっぱり藤岡弘じゃなきゃ! と思う人、この指とまれ!!




仮面ライダーと言えば藤岡弘藤岡弘と言えば仮面ライダー、そう、レックスたち昭和世代にとって、

藤岡弘じゃない仮面ライダーなんて、仮面ライダーじゃない!!」

 というほど、彼のライダーぶりは深く、深~く脳裏に焼き付いている。

 

レックス家はケーブルテレビに入っていたのだが、このケーブルテレビ、昔の番組をよく再放送していた。「仮面ライダー」もその1つなのだが、どういうわけか元祖ともいうべき藤岡弘主演の第1シリーズ、第2シリーズ辺りを一切放送しないのだ。

 

我々昭和世代にとっては、「仮面ライダー・クウガ」だの「カブト」だの、仮面ライダーの後に何チャラ付くものなど仮面ライダーではない!(キッパリ) やぱり、仮面ライダーはバイクに藤岡弘がしっかとまたがっていないと断じていけないのである!

 (ちなみに、この“クウガ”だが、沖縄方言には非常に口にするのもはばかれる意味の、全く同じ言葉がある。沖縄で「仮面ライダー・クウガ」は放送されていたのだろうか。アナウンサーのお姉さんやお兄さんはこの番組を紹介する時にどうしたんだろ・・・・、いらんお世話だが)
 



 が、何と言う幸運、この間久々にYoutubeであの「藤岡・仮面ライダー」を目にすることが出来たのである! しかも、栄えある第1シリーズの第1話、まさに原点!!
 



いや~、感激したね。そうそう、これですよ、これ。このいかにもな昭和臭さ、これこそ我らが「仮面ライダー」だ。

 

確かに今見ると特撮そのものはちゃちいし、画質も荒い。ドラマの流れも拙い。ただ、あの頃のこの種の番組には血の通った「生」があった。仮面ライダーだって、相手の怪人だって、生身の人間が実際にぶつかり合っていたのだからね。演技とはいえ、殴ったり転がされたりしたら痛いだろうし、息も上がるし、汗もかく。その痛みや息遣いや熱が、画面を通してこちらに伝わってくるんだよね。今のCG全盛ではそれがない。

 

もちろん、それが悪いというのではない。ただ、昭和世代レックスはそちらの方が好き、というだけの話だ。今でも覚えてるんだよね~、「ウルトラマン」の怪獣と戦っている場面で、ウルトラマンも怪獣も、肩で大きく「ハァハァ」と息をしていたのを。その熱い息遣いがこちらにも伝わっていたのだ、画面越しでもあってもね。

 

確かに当時の撮影環境は決して良いものではなかったが、きっと作っている方も楽しかったと思うよ。

「この次はこんなのやろう、こんな風な怪獣を登場させてこんな作りで」

 とか。多分、作り手側も若い人が多かったんじゃないのかなぁ~、分からないけど。

 

 

私も後で知ったのだが、当時、藤岡弘は主演、スタント、バイク走行を、全て1人でこなしていたらしい。これは今考えるとすごいことである。彼は武道家だったので可能だったのだろうけど、それにしても過酷な撮影環境だったろうね、重労働もいいところ。ジャッキー・チェンも真っ青だ。

その代り、といってはなんだが、彼はこの一作で一気にスター俳優の座に駆け上った。

当時、この仮面ライダーは本当に大人気だったのだ。子供たちの間ではまさにヒーロー、誰もが憧れていた。

 

そうそう、よく男の子たちが仮面ライダーごっことかやっていたよな~。「変身!」とかやってポーズ決めて。近くのヤツに「変わってねえじゃん!」とか突っ込まれて。

でも、この仮面ライダーごっこには大きな欠点があった。それは、誰もが仮面ライダーをやりたがること。そりゃね、ショッカー役はやりたくないよね。結局そこは各々の力関係で決まったようだが。子供ながらに世間の厳しさを実感する瞬間だ。ま、それはともかく。

 

「仮面ライダー自転車」なんてのもあったな。普通の子供用チャリに仮面ライダーっぽい飾りがついているだけなんだけど、これがまた男の子たちに大人気で。でも、普通のチャリより高かったから、買ってもらえる幸せなヤツは羨望の的だった。

 

 

そんな大好きな「藤岡仮面ライダー」だったが、何しろ昔のことなので忘れていることもかなりあった。あの有名な「変身ポーズ」は第2シリーズからだったとか、そもそも仮面ライダーはショッカーが作ったとか。

それにしても、藤岡弘は今見てもかっこいいな。今流の「イケメン」ではないかもしれないけど、見るからに「男」という感じでいかしてる。今のかわいいだけの、キレイなだけの男なんて、束になってかかってもかないそうにない。ずっと前に辞めてしまった某パートさんが言っていた。

昭和の男はいいよ!」

 同感です、あねご。

 

これを機に、昭和の仮面ライダーのDVDを借りてみようかな、なんて思っちゃいました。

 

しかし、何だかアタシも明治時代を懐かしむ昔のじいちゃんばあちゃんに似てきたようで、ちょっと複雑な気持ちがされることよのう・・・・



 

2019年6月29日土曜日

今月もまたまた超えてはならない一線を越えてしまった・・・・・(って、食費だけどよ)


 
 
 
「月々の食費は絶対3万以内に抑えるぞ!!」

 と固く心に誓ったボンビー・レックス、しかしその口も乾かぬうちに、この6月、早くもその予算を1,500オーバーしてしまった(6月はまだ1日残っているけど、明日は買い物に行かない予定なので、今月の支出はもう終了・・・・の予定なのだ)。

 

それはもちろんこの食いしん坊のなせる業なのだが、やはり今月は米を買ったのと外食が若干多かったのがきいた。人間には大きく分けると2通りの人種がいる、と思う。「家にずっと籠っていると頭がおかしくなっちゃう! 反って疲れちゃう」という人と、「出かけてばかりだとイライラして逆にストレスがたまる」という人と。元々ヒッキ―体質のレックスは閉じこもりストレスにはめっぽう強い。フルタイムで働いていた時にも、土日のうちどちらか1日は必ず家に居ることにしていた。

 3日しか働いていない今となっては、週に3日は家にいる・・・・ことにしているわけではないが、結果そうなっている、いやいたwww




が、今月から通信制大学のスクーリングが始まり、また相続の手続きやら何やらで出かけることが増えた。それに、今月は久々に学生時代の友達にも会ったし。で、金も無いのに高いケーキ屋で「ケーキを食おう!」とそそのかしたのはこのアタシです。だって、ケーキ食べたかったんだもん! 
 
けど、東京は高いね、ケーキもコーヒーも。ウエイトレスのおねいさんが皆、コスプレのメイド・スタイルみたいな制服で、とっても若くてかわいい子ばっかだったんだけど、あの制服代やおねいさんの若さ&かわいさ代もケーキ代の中に含まれているのかしら、なんて少し思ったりして。
 
まあ、友達に会えたのは楽しかったし、ケーキも旨かったのでそれはそれでオケなんだけど。

 

それにしても、上野、行くたびに雰囲気が変わる。レックス世代の上野って、イメージとしては都内ではイマイチあか抜けない、庶民的で下町なイメージ+美術館&博物館。アメ横と上野公園と屋台系の飲み屋やらその他もろもろ。けど、今はすっかりオサレな街になってしまって、レックス心の中で叫んじゃったよ。

「こんなの、上野じゃない~!!」

 昭和はこんな所でも遠くなってるんだね~(遠い目)。ま、それはともかく。

 

やっぱりね~、外出するとどうしても食費は増えるね、外食が多くなるから。支出を減らす最も手っ取り早い方法、それは外出しないこと、だ。でも、食費を3万以内に抑えるためだけにずっと家にこもるというのもせっかくのセミリタイアの意味がないし、何よりアホらしい。

 


7月もスクーリングが2つもあるし、今月会った友達とはまた別の友達に会うことにもなっている。暇人なことにかけては他の追随を許さないこのレックスにしては、珍しく忙しい(?)。いや、友達少ないもんでね、アタシ。顔の広い人からしたら、これでも超暇なんだろうけど。相続もまだまだこれからが本番だし、エアコンも買いに行かなくちゃならない。


 
う~ん、今後も食費月3万以内の攻防戦が続きそうである。
 
(ああ、アタシがもっとやりくり上手だったらな~!!)
 
 
 

2019年6月24日月曜日

この人、性格悪いんじゃないのかな~


 
 
 
今、本○勝一の書いた「日本語の作文技術」という本を読んでいる。○多勝一をご存じない方のために。本○勝一は元朝日新聞の記者で、まあ早い話がジャーナリストってやつですかね。レックス世代より一昔前の世代には絶大な人気を誇っていた・・・・らしい。レックスも12冊その著作を読んだことがある。確か、「アメリカ合州国」。合衆国じゃなくて、あくまで合州国ね、ここがミソ。そこそこ面白かった記憶があるが、内容はハッキリとは覚えていない。とにかく、特にファンというわけではなく、好きでもなく嫌いでもない文筆家の一人だった。

 

今回彼のこの本を読んだのは、実は大学の授業でテキストに指定されたからだ。そう、つまり読む必要があったから、なのだ。内容的には日本語の書き言葉の文法を解説し、分かりやすく正しい日本語を書くためにはどうしたらよいか、という本である。文字通り、作文の基礎的な技術を習得するための本で、出版元の岩波いわく、「日本語を書くすべての人に、必読の書」・・・・・らしい(でっかくでたな、岩波)。

 

レックスは書くことの基礎を勉強したくて通信制大学に入ったわけだから、その目的からしたらこの本はとても有意義、と言えなくもない。と持って回った言い方をするアタシ。

 

こういう文法解説的な本だから、本の中には数多くの例文が登場する。その中には「良い例文」もあれば、「こんなこと書いてんじゃねーよ!?」な悪い例文もあるわけだ。それはある意味当然と言うか、こちらは素人なわけだから両方の例文を示してくれた方が分かりやすくてありがたい。

 

ただね~・・・・・・。悪い例文に対する○多勝一の解説がすごいのだよ。悪しざまというかね、悪意と怒りがこもっている。だって、ある文章なんか「反吐が出る文」だよ!?

「そこまで言わなくとも・・・・・」

 とレックスなんかは思ってしまう。言葉は言霊というが、悪意のこもった文章というのは、たとえ丁寧に書いてあってもこちらに何となく伝わってくるものがあるものだ、ということを私はこの本からお勉強した。

 

書いてある内容は悪くないのに、その悪意に触れているうちにげんなりして来て、読むのがイヤになってきちゃうんだよね。心が引いてしまうというか。

それともこれはレックスだけかな。

 

それに、本○勝一ってけっこうな上から目線の人でもあるな、と思った。言葉ではすごく謙虚なことが書いてあるんだけど、その行間の端々に上から目線を感じてしまう。これもさっきの悪意じゃないが、どんなに謙虚にふるまってもやはり心のうちはおのずとその文章ににじみ出るのじゃないかな。

 

で、思った。

本多○一って、もしかして性格悪いんじゃないの!?」

 もちろん文章のうまさと性格の良さは全く関係が無いので、性格悪くても文章が上手ければ優秀な文筆家ではあるんだけどね。

 

ただ、書いてるものにその人の性格って現れるよね、レックスも気をつけよう、としみじみ感じ入ったこの梅雨の夕暮。(ちなみに本多勝○に言わせると、体言止めは品が無いそうです、はい・・・・品の無いレックス談)



 

2019年6月22日土曜日

やっぱり学生生活は楽しいな!? (おばさんだけど)


 
 
 
またまた更新があいてしまった。ま、こんな弱小ブログだし、いっか~、なんてあくまでも怠慢を決め込むアタシ。こんなふうだからあくんだよね、きっと。書きたいことはたくさんあるんだけど。でも、仕事から帰ってくると何やかやと家事や雑用に追われ、気がつくと、

「あれ、もう11時だ」

 なアタシ。かと言って休みの日は休みの日で、やはり気がつくとすでに夕方。「三つ子の魂百まで」で、怠け者の気質は死ぬまで治りそうもない。

 

まだ、相続の方の手続きも全然済んでないんだよな~。三ヵ月以内には着手したいと思ってはいるんだが。謄本やら何やら、書類を揃えるのも一苦労だしね。ともかくそろそろ腰を上げないと(この重~いお尻を)。

 

 

ところで、この間、初めて大学のスクーリングに参加してきた。久々に上京しちゃったよ、相変わらず東京は人が多いね。新宿駅では人にぶつからずに歩くのに苦労しちゃったよ(新宿ギライのレックス談)。

 

実はレックス、以前にも他の大学の通信制を卒業している。なので、スクーリングが全くの初めてというわけではないのだが、やっぱり同じ通信制でも大学が変わると中身はかなり違いがあるなあと改めて感じた。以前の大学ではスクーリングは夏休み頃にまとまって数日取るようになっていた。1回の日数はそこそこ長かったが、スクーリングそのものの回数は少なかった。
 

が、今度の大学はスクーリングが毎月2度ほどある。もちろん履修する教科によってその回数は変わるのだが、例えば私のように3年編入の学生が2年で卒業しようと思うと、月に2度ぐらいはスクーリングを取らないととても卒業がおぼつかない。

 

その代り、一回のスクーリングは2日で5時限と、短い。どちらが良いか、というのは状況によって変わるが、やはりこの数多いスクーリングの授業料が、重く、重~くのしかかってくるのは確かだ(特にレックスのようなボンビーには)。

 

ここは、何としてもこのスクーリング代の元を取らねば!! 大学生活を楽しむのよ!!(もうすぐ還暦だけど!?)

と思ったのだけれど、いや~、やっぱりこの年になると80分間5時限の講義はキツイわ!!

前の大学の時にはさほど感じなかったんだけれど、あの頃から10年ぐらいは経っているからね。45過ぎてからの10年はデカイっす。考えてみれば、若い頃、普通の通学制の大学に通っていた頃は90分授業だったんだよな~、確か。今、90分授業なんてやったら口から泡を吹くんじゃないかな。

 

そんなこんなで授業についていくのはアップアップだったが、やっぱり通信制の大学はいろいろな人が来ているから、楽しい。自分より年上の人もいれば、「この子は私の娘(人並みに産んでいればの話だけど)よりも若いな」という人まで、様々な背景を持った人たちが集まっている。思ったよりも意外に若い人が多かった。見たところ、20代とか30代前半ぐらいのね。レックス的にはもっと年配の人が多いと思っていたんだよね。

 

今、レックスが在籍しているのは芸術系の大学の文芸コースなのだけれど、実は文学とか芸術には縁遠いこのアタシ。以前も話したけれど、基本的な文章の書き方・読み方を勉強したくて(Webライティングで小銭を稼ぎたくて←影の声)この大学に入ったのだが、周りの主な方々は、

「南米の小説に興味がある」

「○○という小説家にはまっている」

「こういうタイプの小説を研究したい」

「小説を書きたい」

 というけっこうマジモンの文学青年タイプばかりだ。ちょっと、「熱心な新興宗教団体に潜り込んでいる御利益目当てのエセ信者」の気分ですよ、ヘコヘコ。

 

今回の講義では2日目にグループ・ワークがあった。レックスは小説なんてめったに読まないし(心理学関係の本とか実用書ばっかり)、そういう「ちょっとお粗末な頭の中」をのぞかれるのが恥ずかしくて、最初はちょっとイヤだったのだが、

「まあ、いいさ、アタシは劣等生なんだから、かっこつけないで思ったことを言えばいいんだ。文学に正解なんてないんだから」

 と居直ってからは、皆の意見を聞くのが楽しく感じられた。やはり、いろんな人がいればいろんな意見や考えがある。それを肌で感じるのは自分の見方に幅を持たせるというか、

「こんな考えもあるんだね」

 と思わぬ発見があって、楽しい。

ただね、話していて感じたのだけれど、若い人って声が小さいね。グループ・ワークの時、お互い感想を述べ合うのだけれど、席が離れている若い女性の声が聞き取れなくて。
きっと、若者は耳が良いから「聞こえない」という経験をすることが少なくて、分からないんだろうなぁ。

「あ~ん、おばさん、耳が遠いから分んな~い!」
 とは言いづらくて、ついごまかしてしまったのだが、後で皆の意見をまとめる時に聞こえてなくて四苦八苦したよ。見栄をはるのはやめませうね、自分。

 

講義の終わりには試験があった。さほど難しいものではなかったが、う~ん、デキはイマイチ自信がないなぁ。

 

ところで、今回けっこう若い人が多かったので、スクーリング時には若い人から英気を養いたいと思っている。ほれ、レックス小梨だから若者と接する機会がほとんどナッシングでしょ。これからはスクーリングで若者から若さを盗もう!? (今さら遅いけど)

 

でも、職場以外の場を持てて、いい気分転換になったね。これで試験が受かっていたら◎なんだけど!?

(と言いつつ、卒業はすでにかなりあやしい・・・・・)




 

2019年6月12日水曜日

ボンビー・レックスの救世主・・・・・その名は納豆!





今夜のレックス家(と言ってもアタシ1人だけどな)の夕食は納豆。いや~、納豆はいいね、第一安い!! しかも火も包丁も使わずほんの数秒で食卓に並べられる。栄養もバッチリだし、消化も良い。ついでに腹持ちもバッチリ。まさに、貧乏人のお助けアイテム!?

 

実は、お恥ずかしい話なのだが、これまでレックス、食費や日用品、あと遊ぶお金や趣味のお金などは全て自分の稼ぎ&貯蓄から出していたのだが、水道・光熱費に関してはパラサイトだったのだ。電気代やガス代、水道代は母の口座から引き落としだったもんでね。

 

が、もちろんこれからはそういうわけにはいかない。5月から自分で支払いを始めたわけだが、考えてみればこの水道・光熱費、中々あなどれない存在である。何しろアタシは週3パート勤務のおばさん、しかも時給も低め安定型。これから夏に向かって電気代もどんどん上がって行くだろうな、と思うとため息が出る。ま、冬に比べりゃまだマシだけどね。

 

改めて、自分は母に寄りかかっていたんだな~、と思う。生活面でも精神面でも。自分ではそんなつもりはなかったのだが、こうして何もかも一人でやらなければならなくなると、痛感させられるね。

しかし仕事は増やしたくない怠け者レックス、となると選ぶ道は一つしかない。入る方が増えなければ、出る方を締めるしかないのだ。

「よし! これからは食費は絶対に1ヶ月3万以内にするぞ!!」

 と固く心に誓った。

 

いや、これまでも「目指せ、食費1ヶ月3万!」は掲げていたのよ、一応ね。が、食い物には目が無い食いしん坊のこのアタシ、結局、

「他に何も贅沢しているわけじゃないんだから。食べるものくらい、いいよね」

 とついつい自分に甘くなってしまい、月末になってみたら「あらら、今月も3千円オーバーだよ」の連続で。

 

これではいかん! これからは倹約生活だ! まずは「食費1ヶ月3万以内」の死守(?)からだ!?

 

とはいえ、根が食い意地張りまくりのレックス、美味しそうなお菓子や果物を見ると、つい手が出てしまう。この間も四十九日の供物用のお菓子を買っている時に、美味しそうなあんみつを見てつい、買ってしまったり(何しろ、普段はあんな高級菓子屋では買わないので。あんみつ1550もしたんだよね~、普段買っているものの2.5の値段! でも味は2.5倍じゃなかったけどよ・・・・・)、大好物のさくらんぼについ手が出たり。

ああ、胃袋はデカイが意志は弱いアタシ。

 

そこでグッと腹に力を入れるのだ、レックス!

「これからしばらく納豆で暮らすぞ!!」

 そう、お利口な納豆は78円で3日間過ごさせてくれるイキなやつ、だ。

 

まこと、貧乏人レックスにとって納豆は足を向けては寝られないありがたーい存在なのである。
 
がんばるぞー!?
 
 
 
 

 

2019年6月9日日曜日

人間関係の断舎利



 
 
 
世は断舎利ブームだが、私はモノを捨てるのが苦手である。これは、亡くなったレックス母の気質を受け継いでいる。ウチの母に限らず、昔の人って何でも取って置く。

「だって、いつか使うかもしれないし!!」

 と考えるようである。ご多分に漏れず、ウチの母もいただきものの包み紙から、高級プリンに付いてくるスプーンから(洗って取って置くのよ、これが)、何から何まで溜め込んでいた、おーまいがー!! しかも、レックス家は古い。ボロいがデカさだけは並み以上。

 

あ~、皆さん、収納スペースは広くない方がいいですよ、特にモノを溜め込む傾向のある人は。収納できる分だけどんどんしまい込んでしまうので。

「ちょっと狭いかな?!」

 ぐらいがちょうどいいっす。

 

この母の性質をバッチリ受け継いだ昭和人間レックスも、どうも捨てるのが下手。なので、今我が家はいらないものが溢れている。っつーか、おそらく我が家にあるもので本当に必要なものは全量の1/10ぐらいなものだろう。これをこれから捨てていかなくちゃならんと考えるだけで、頭が痛い。

 

ま、それはさておき断舎利。最近はこの言葉を人間関係にも使うらしい。実はレックスも断舎利と言えるのかどうか、ちょっとズルいエクスキューズを使っちまった。

御存じのように、レックスは約4年半、母を在宅介護していた。最初の2年間は仕事をしながら、後の2年半は介護離職して。

 

その間、母は足も悪ければ認知症でもあったので、やはり長時間家に一人で置いておくのははばかられた。そんなわけでレックスの行動はかなり制限されたものだったのだが、実はこれを口実にして、付き合いを断ってしまった知人が数人いたのだ。

 

元々社交的でもなく、どちらかと言えばコミュ障・ヒッキ―体質のアタシ、友人知人の数は決して多くない。っつーか、少ねぇよ(影の声)。だから、人間関係を整理すると言っても友人知人が山ほどいるリア充の方々のように、交通整理並みに右往左往した、わけでは全くないんだけど。

 

人間、若い頃は誰しも友達や知人の数は多ければ多いほどいい! と考える傾向がある(当社比)。で、友達が少なかったり居なかったりすると、すごく不安になったりすると思うんだ。が、年を取ってレックスぐらいになると、ちょっと考え方が変わってくる。いくら人生100年と言ったって、100歳まで自分が生きる保証はないし、普通に考えればもう残っている時間の方が過ぎてしまった時間よりも断然少ないわけよ

 

しかも、時間の過ぎ方が若い頃とは全然違う。誰しも経験があると思うんだけど、子供の頃の夏の日って、一日がものすごく長かったでしょ。永遠に一日が続くと思えたほど。でも今は、1ヶ月ぐらいあっと言う間に過ぎていってしまう。時間の速さが比べものにならない。

 

そうなると、もはや自分に残っている時間は思っている以上に短いことに愕然とする。それに、人間は変わって行くものなんだよね。環境も、状況も、考え方も、そして生き方や性格すらも、同じ人間だからと言ってずっと同じわけじゃない。

 

あの時はすごくその人といるのが楽しくて、有意義だと感じていたけれど、ある日突然違和感が漂っていることに気がつく。どうも一緒に居ても楽しくない、話していても何かかみ合わない、友達と会っているのにどうしてこんなに消耗しなくちゃいけないんだろう・・・・

 

で、思ったのよ。この年になったら、少しぐらい我儘に時間を使いたい。本当に自分が楽しめるもの、自分が有意義だと感じることだけに時間を使いたい、他でもないこの自分のために時間を使いたい、と。

そこでレックスは気乗りしないお誘いを受けた時、こう断ることにした。

「ごめん、母の介護があるから、家を空けられない」

 それは嘘ではないのだけれど、でも人間は「どうしてもこの人に会いたい!!」と思ったら、無理をしてでも時間を作るものなんだよね。姉に頼む、母をショート・スティに預ける、方法は無いわけではなかった。げんに、そうやって時々は会った人もいる。ま、めったに会えないけどね。

 

断っている間に、段々その人たちとは疎遠になって行った。

 

今、レックスは人生の新たなステージにさしかかった、と思う。母の事実上の介護が終わり、これからはこれまでとはまた少し異なった人生のステージが待っている。これからまた、レックスの人間関係は変わって行くのかもしれない。

 

レックスが自分から遠ざかってしまった人間関係、はたして自分のやったことが自分にとって良いことだったのか、それとも悪いことだったのか、それは正直なところ分からない。後悔はしていないけれど、正しいことをした、という思いもないし。

ただ、これからも自分は変わり続けるし、自分の状況も変わって行くのだろうと思う。その中で自分が選んだことについては責任を持ちたいものだと思っている。

 

それにしても、母の介護を口実にするなんて、アタシも案外ずる賢いな、と思ったりなんかしちゃったよ(母ちゃん、ごめんよ)。