2018年2月21日水曜日

退院したのはいいけれど・・・・・パラサイトシングルから一気に働く介護者へ


人工骨を入れる手術も無事終わり、一時期の妄想状態もどうにか落ち着き、母は見事な回復ぶりを見せた。リハビリも順調に進み、歩行器を利用すれば自分の足で歩けるまでになったのである。

 

う~ん、さすが、昭和一桁、あの戦争をかいくぐってきた世代は強い!!

 

しかし、喜んでばかりもいられない。確かに母が回復してくれたことは嬉しいのだが、「退院」という難問(私にとってはね)が控えているのだ。

 

病院からいろいろと訴えや問い合わせの電話がかかり、気をもむ毎日だったとは言え、それでも母が入院している間はまだ、気がラクだった。完全看護で24時間プロの医療関係者が看てくれているわけだし、家に帰れば全て自分の時間である。だが、退院したとあっては、そうはいかない。

 

何しろ、我が家は古くてボロい。自慢ではないが、昭和ど真ん中な家である。段差は目いっぱいあるは、夏は暑くて冬は寒いは、台所は使い辛いは、とてもじゃないが介護に向いた作りにはほど遠い。頼みの歩行器も、この家では役に立たない。今度、母が転ぶようなことがあったら間違いなく寝たきり一直線だ。

 

第一、朝7時過ぎに家を出て、帰るのは早くても夜の7時、9時過ぎるのもザラ、という生活の中で、家事や母の面倒をこの私が完璧にできるのだろうか。自慢じゃないが、パラサイトシングルの典型だったレックス、料理も掃除も小学生並みだ。母だって、入院前とは比較にならないぐらい手がかかるだろう。母が退院する嬉しさよりも、その後の生活への不安で胸は張り裂けそうだった。

 

そんな折、母が退院する少し前に、病院のソーシャルワーカーの方との相談会があった。正直なところ、私の中ではこのまま母が施設に入所してくれたら、という考えがあった。母は年金を受給していたし、少しその額に上乗せすれば、特養の入所を待たずとも有料老人ホームに入所させることができる。私も当時は安月給とは言え正社員で働いていたので、少し無理をすれば、出せない額ではなかったのだ。

 

しかしながら、ソーシャルワーカーさんの話は、最初から在宅介護を前提に進められたのだった。

「ここ(病院)から直接施設へ行く、という方はまずいません。そういう場合は、入院する前から入所先を探しているような方です」

 素人の私としては、

「でも、やはり私一人で在宅介護は難しいので、施設入所を希望したいのですが」

とは、とても言えなかった。

 

私は、介護も医療もズブの素人である。それも突然始まった状況だったから、右も左も分からず、右往左往しているありさまだ。これまでおそらくは何百、何千とこうしたケースを扱ってきたプロにキッパリと「在宅」と宣言されては、それに逆らうことは考えられなかったのだ。

 

誤解しないでいただきたいのは、私は在宅介護を経験したことを後悔してはいない。仕事をしながらの在宅介護、介護離職、そして施設入所と経てきた今言えるのは、

在宅介護を体験して良かった

 の一言である。あの時に母を病院からストレートに施設に送ってしまっていたら、分からない、気づかないことがたくさんあったし、きっと何かしら置いてきてしまったような思いをずっと抱えて生きなければいけなかったろう。

 

しかし、それでもなお、あえて私は言いたい。人にはそれぞれ事情がある。やはり、頭から「在宅」と決めつけるのは、いかがなものかと思う。在宅・施設、それぞれにメリットもあれば、デメリットもある。中には、「在宅介護したいが、どうしても無理」という人も居れば、「施設入所を希望しているが、周りが許さない」という方も居るだろう。「在宅」にしても「施設」にしても、どちらが良い、と決めつけるのは、その人を追い詰めてしまうことにならないだろうか。

 

介護離職についても同じことが言える。

母が倒れた時、私は友人の一人から、

「仕事を辞めてはダメ!」

 と言われた。確かに、年齢を考えたらもう同じ条件で再就職は無理だ。彼女は私の将来を考えて、アドヴァイスしてくれたのだ、それは分かる。彼女も、

「仕事を辞めてしまったら、あなたは10年先、20年先どうするの!?」

 と言ってくれた。だが、10年先、20年先を見据えることも大切だが、今日目の前のこの事態をどう切り抜けるか、と言うことの方がもっと重要な場合だってある。それが介護というものだ。10年先を考えていたら、1年後にこちらがあちらより先にぽっくり逝ってしまった、ということだってありうるのだ。いや、冗談ではなくぽっくり逝かぬまでも、介護者がダウンすることは、多々ある。介護が終わってから病気になり、そのまま闘病生活に突入する人もたくさんいる。10年先より、今この時をどうするか。

 

私はこう、思う。仕事を辞めるな、とか辞めて介護に専念しては、とかそんなセリフは簡単に介護者に言ってほしくない。

「辞めてもいいし、辞めなくてもいいんだよ」

 と言ってほしい。むしろ、介護と言うものは柔軟に考えることが大切ではないだろうか。こうだ、ああだ、と決めつけるのではなく、こうもできるぞ、ああも考えられるぞ、と。それが介護を乗り切るコツのような気がする。エラそうだけどね。

 

そんなわけで、若葉マークの介護生活に、一歩足を踏み出した私だった。

 

2018年2月19日月曜日

私は霊柩車の出る部屋に寝かされている! by母


久々に介護ネタをば。

 

無事、病院に入院し、骨折の手術も確定し、「やれやれ」と胸をなでおろしたのもつかの間、それが私の地獄(?)の入り口だったのさ(あくまで大袈裟)。

 

当時はまだ介護離職はしていなかったので、朝7時過ぎには家を出て都内の会社まで通い、せっせと事務仕事にいそしんでいた。と、いきなり目の前の電話が鳴る。

「はい、○○株式会社でございます」

「レックスさんですか? △△病院です。  実はお母様が・・・・・・」

「・・・・・・・・」

 母の入院している病院からである。内容はその都度様々だった。母が包帯をとってしまったとか、パジャマを脱いでしまったとか、ベッドの中で体がぶれて危ないとか、要は、

「体を拘束させていただいてよろしいですか?」

 という了解取りなのだった。こちらとしては、母には可哀そうだが、やはり安全と母の自由を選べと言われたら、当然「安全」を選ぶ。

 

そんなわけで、仕事をしていてもあれこれ病院から連絡があり、気が休まる暇がなかった。電話が鳴る度に胸がドキドキする。

 

残業で遅くなるのを何とかやりくりして、会社の帰りに病院を訪れる。満床であるところを頼み込み、やっとの思いで個室に入院させてもらったにもかかわらず、母は、

「私の部屋から霊柩車が出て行った。霊柩車の出る部屋に寝かされている・・・・」

 などと、おかしなことを言いだす。それにしても、霊柩車って、そりゃーあんまりだぜ、母ちゃん・・・・・。あの差額ベッド代はいったい何なのさ・・・・・。

 

思えば、すでに痴呆症の症状が現れていたのだろう。しかし、当時はまだ母が痴呆症だということは分かっていなかったし、骨折の手術とその後のケアの方が差し迫った問題だった。次から次へと現れる症状に、こちらの方は、

「一体どうしちまったんだー!?」

 と頭を抱えてしまった。

 

高齢者が病院に入院したりすると、「せん妄」と呼ばれる妄想状態が現れることがある。これは一過性のもので、退院して元の生活に戻るとたいていの場合、収まる。しかし、このせん妄と痴呆の症状の違いは、素人には中々分からない。私も、母が入院中に一度、物忘れ外来のクリニックに電話して、母の症状を話し、痴呆かそれとも否かのアドヴァイスをもらおうとした。しかし、その答えは、

「受診していただかないと、何もお答えできません」

 であった。確かに、医療の側としてはそれが妥当な答えなのだろうと思う。それに、医者だって忙しいのだ、点数にもならない相談を一々受けていては、身体がいくつあっても足らない、というのが正直なところだろう。

 

が、やはり家族としては、本人抜きでも相談の出来る機関、窓口があれば、と思う。この時の私のように、本人を連れ出せない状況のものもいるし、本人が頑として受診を拒む、という例も多々ある。そんな時、家族は状況を話してアドヴァイスをもらえるところがあるだけでも、精神的にずいぶん助かるのだ。

 

そんなこんなで、母の入院中も何かと心の安らぐ時はなかったのである。だが、本当の修羅場はその後だった。      

2018年2月13日火曜日

僕は面接がキライだーーー!!!


私は面接受けが悪い。ホント、面接って苦手。ってゆーか、面接のアポ取りの電話すら、受話器を取ったとたん、心臓が刃金のように騒ぎ出す。多分、同じような思いを抱いている方も多いことだろう・・・・(と思いたい)。

逆に、「面接であがったことがない」とか「面接ではいつも面接官と話が弾んでしまって、仕事の面接じゃないみたいになってしまう」なんて人も居るのにね。私の友達にも仕事の面接で落とされたことがほとんどないという強者がいる。あやかりたいものである。

 

ボロボロの就活ライフを続けてきた私であるが、それはむろん8割ぐらいはこの「50代後半シングル」という状況が災いしているはずだ。が、あとの2割は私自身にも問題があると思っている。

年齢だけの問題なら1社も面接にたどり着けないはずだが、打率はきわめて低いとはいえ、面接してくれている会社もあるのだ。そこでいそいそと赴くと片っ端からお祈りされてしまうというのは、やはり私自身に採用を決断できない何かがあると言わざるを得ない。

 

思えば、若い頃から面接ではいい思いをしたことがなかった。私が新卒の頃は「書類審査→筆記試験→面接」と進むのが、一般的なパターンだった。大きな会社になると二次面接・三次面接・役員面接などあるのだが、私なんぞが受けた会社はそこまでは無かったと記憶している。

 

で、面接。書類と筆記は何とか通るのだが、いつもこいつで落とされてしまうのだ。ったく、いたいけな乙女(?)の頃から筋金入りの面接クラッシャーだったわけだ。
 
今でも鮮明に覚えているできごとがある。会社名や業務内容は忘れてしまったが、ある時やはり面接を受けた。その際に面接官の親父2名が、

「レックスさんは筆記試験の成績がすごく良かった!」

 と褒めあげやがったのである。こちらは、

「お! これは脈ありだな!?」

 と内心ガッツポーズをしていたのだが、見事に落ちましたよ、奥さん・・・・・・。

ったく、ぬか喜びさせんじゃねーよ!! 筆記試験の良し悪しなんて、言わなきゃわかんねーだろうが!

 

いたいけな就活乙女の心を踏みにじった、本家グリム童話並みに残酷なお話なのだった。

 

まぁ~ね~、20代前半の頃からそんな状態だったわけだから、50代後半になった今、面接で落とされても無理はねーわな、と妙に納得してしまうレックスだった。(居直ってんじゃない!>自分)

 

2018年2月12日月曜日

いにしえの元お嬢さまたちに、真の癒しを見た・・・・・


私はマンガはほとんど読まないのだが、この間めずらしく一冊のマンガを手に取った。「大家さんと僕」という本で、売れないお笑い芸人さんと元いいとこのお嬢様であろう浮世離れした大家さんとの、ほのぼのとした交流を描いたものである。それを読んで、昔デパートで働いていた時のことを思い出した。

 

時は今から20年以上前、私は日本橋の某老舗デパートで、短期のパートをしたことがある。それは歳末商戦の金券売場での接客で、贈答用の商品券などを売っていた。

日本橋という場所柄か、老舗という貫禄からか、そこには時折、「元上流階級のお嬢様」といった風情の高齢の女性が、お客様として現れたのだった。

 

彼女たちには共通した特徴があった。まず、カウンターに居並ぶ私たち店員の前に立つと、

「よろしくお願い致します」

 と、実に丁寧に頭を下げられる。そこには、「オレたちは客だぞ!」といった上から目線は微塵もない。さもあろう、たとえ親子・夫婦の間であっても敬語で会話されているような日常生活を長い間送られているのだ。しかも、行儀作法はDNAレベルで叩き込まれている方々である。ぞんざいな口調や横柄な態度など、「やれ!」と言われてもできないのだ。

 

そして優雅に椅子にお座りになると、おもむろにメガネ、手帳やメモ、ペン、などといったものを取り出し、一つ一つゆっくりと、テーブルの所定の場所にセットされる。送り先の住所などを伝票に書きだすまでが、非常に長い。さもあろう、セコセコと急いだり、バタバタとあわてたり、といった経験はおそらく皆無な方々である。丁寧な所作しか、しようがないのだ。

 

それから住所やのしの上書きなどを書かれるのだが、どなたも字はとことん上手い。ただし、そのスピードは限りなく遅い。そのゆっくりとした筆跡を目でたどっていると、悠久の時の流れを感じずにはいられない。そこだけ別の空気が流れているようである。

「ああ、この方々は私たちとは異次元の時間軸、空間軸で生きておられるのだなぁ」

 と感じ入った。

 

ことが済むと、ゆっくりとイスから立ち上がり、

「どうも、お世話様でございました」

 とまた丁寧に頭を下げて、いそいそと次の目的地に向かわれるのが常だった。

 

こうして自らデパートまで足を運ぶと言うことは、昔の(もっと正確に言えば戦前の)生活から思えば、いわゆる「落ちて」いるのだろう。しかし、彼女たちはそんなことにはおかまいなく、どの方も本当に嬉しそうに、いそいそとやって来ては、いそいそと去って行かれる。さもあろう、自分の家にいくら金があったところで、彼女たちの若い頃には金の顔などろくろく拝む機会などなかったに違いない。金があろうがなかろうが、知ったことではないのである。こうして自分で自由にデパートに出かけることができる生活が、楽しくて仕方ないのだろう。

ある時、そんな一人の元お嬢様が、バッグの中から紙切れを取り出し、

「(金券を送る)リストをね、作ってまいりましたのよ!」

 と嬉しそうに私に言い、うふふと笑いかけてきた。こちらも、どうリアクションしてよいものやら分からなかったので、

「さようでございますか」

 と言ってホホホと笑った。彼女たちに接している時は、一時自分が別の世界にトリップしているような気がした。

 

しかしながら、こんな彼女たちの時間軸・空間軸と、現代の時間軸がぶつかった時は最悪である。一人の元お嬢様が例によってゆっくりと丁寧に伝票に記入されている間に、後ろにズラリと待っている人の列が出来てしまった。元お嬢様は、後ろを振り返って、

「あら、あら、急がなくては」

 とつぶやき、再び書き出したのだが、どこをどう急いでいるのか全く我々には認識できなかった。つまり、スピードが変わらないってことだけど。

 

特に、元お嬢様の次に控えていたのが、いかにも「企業戦士!」と言わんばかりの中年の男性だったからたまらない。おそらく、

「今なら昼間だから人も少ないだろう」

 と思って、忙しい仕事の合間を縫ってここにやってきたのだろう。ところが来てみたら恐ろしく待たされている。彼の頭から湯気が上がっているのは、私の目にもハッキリと分かった。

 

それでもどうにか元お嬢様は書き終え、ゆったりと立ち上がると、

「どうも、お待たせいたしました」

 と、丁寧に頭を下げた。その間、イスの前に立っていたので、くだんの企業戦士は座ることが出来ない。ということは、そう、その挨拶の間、必然的に彼はさらに待たされる、という状況に陥ってしまったのである。

「謝っている暇があったら、さっさとどけ!」

 と彼の目がわめいている。私は、彼が元お嬢様を突き飛ばしてしまうのではと、ハラハラした。

 

しかし、その元お嬢様は自分の周りでそんな修羅場が演じられているとは露ほども知らぬ顔で、のんびりと次なる目的地へと向かっていったのである。さもあろう、生まれてこの方何十年、「頭から湯気を出す」などという経験はしたことがないのだ。企業戦士のいら立ちを理解しろ、と言う方が無理である。

 

彼女たちが訪れるたび、私はそこに流れる独特のゆったりとした空気に、心地よく身をまかせた。しかしながら、おそらく彼女たちのご子息・ご息女らは、もはやこのような時間軸・空間軸で生きてはいられないだろう。現代社会の流れを、否応なく受け入れねばなるまい。「絶滅危惧種」のような方々だった。

 

そうそう、彼女たちのもう1つの共通した特徴として、皆さんおしなべて真珠のイヤリングをされている、というのがあった。それは、おしゃれとか、むろん見栄とかではなく、身だしなみとしてつけている、という感じがした。あたかも、彼女たちの透き通った白い肌の一部のであるかのように、真珠は耳元で控えめな輝きを放っていたのである。

「ああ、いいなぁ、私もおばあさんになったら、こんなふうに真珠のイヤリングをしてみたい」

 ミーハーな私は心の底からあこがれたのだが、残念なことに私の耳はきわめて耳たぶが小さい。イヤリングにとことん向かない耳なのだ。

「よし!」

私は耳にピアスの穴をあけることにしたのである。

 

今、私は真珠のピアスを4個、持っている。むろん、私のピアス姿は彼女たちの足元に遠く及ばないことを知っているし、私が某老舗デパートへ行って、

「よろしくお願い致します」

 と言うことは、金輪際無いだろう。

 

しかし、私は、彼女たちと出会うことができたというだけで、この仕事をしたかいがあったと思っているのである。

 

 

2018年2月10日土曜日

横文字の仕事には気をつけろ!?>自分


「おばさんでも雇ってくれそう」&「管理人より仕事が簡単そう」という安易な考えでマンションコンシェルジュの求人に飛びついたレックス、返信メールを見て、

「ゲゲッ!?」

 とうなってしまった。と言うのも・・・・・・。

 

さて、私の住んでいる場所は、「地方都市」という名のプチ田舎orプチ都会(どちらとも言えるってことね)の片隅である。関東の、一応平野部ではあるが、お世辞にも「都心までラクラク通勤!」とは呼べない場所、と言っていい。

私が見つけたマンションコンシェルジュの勤務地は、我が家の最寄駅から一駅の所で、その近さも私にとっては大きな魅力だったのである。それが、面接場所を見たらなんと、「銀座」。銀座なんて、最後に足を踏み入れたのはいつだったか、思い出せないくらい昔だ。しかも、時間は夕方の5時半・・・・・。

 

普通、面接というのは午前だったら10時から11時ぐらい、午後であるなら2時から3時ぐらいが一般的だ。5時半なんて時間は、生まれて初めてである。

5時半からだと、終わるのは早くて6時過ぎ。ヘタしたら帰りは8時近くになるかも」

私の胸によぎる一抹の不安(もうここ何年も通勤ラッシュとは無縁の生活だ)。それ以上に痛いのは、交通費である。「(どんな条件でも)こいつはホイホイ来るだろう」と、何だか足元を見透かされている感が半端ない。それでも面接に向かってしまう、おばさん求職者の悲しさよ。だって、面接にこぎつけるのだけでもごくわずかなんだよ~!!

 

結局、この手の仕事は派遣が多い。だから、就業場所が地方であっても、面接は本社のある都心、ということがままあるのだ。まったく、どこまで行っても詰めの甘いレックスである。

 

そんなこんなで、えっちら銀座まで出かけた私の前に差し出されたのは、事細かに書かれた服務規程だった。いわく、靴は黒のプレーンなパンプス、ヒールは35センチ、ほほ紅の色はこんな感じで、ぬり方はこう、口紅の色はこれかなぁ~、マスカラもぬってね。すっぴんは厳禁よ、ヘアスタイルの見本はこれ、スカートの色と形はこうね、etc. こんな細かい服務規程を見たのは、高校の生徒手帳以来である。

「コンシェルジュのお仕事は、いわばホテルのフロントと同じです」

 面接官のお姉さんが厳かに宣言する。

「身だしなみには、十分気を付けてもらわないといけません」

 確かに。しかし、一言いわせてほしい。

「にしては、時給950円はちょっと・・・・・・」

 身だしなみを整えるためにはそれなりに金もかかる。美容院にだって頻繁に行く必要があるし、化粧品もそろえる必要がある。服だって買わなきゃいけないし・・・・。第一、ほほ紅なんて、ぬったことないんですけど、私・・・・・。それとも、それってレックスが普段ズボラにしているってだけの話?! 

 

「レックスさんは、少し白髪が目立ちますね。それもきちんと染めてもらいます!」

 私は確かにヘアカラーは使っていない。というのも、地肌が弱いので、市販のものではかぶれてしまう恐れがあるためだ。それで、天然成分のカラートリートメントを愛用している。それだと、白髪が単に目立たなくなるだけだが、地肌を痛める心配は少ない。

しかし、しっかり染めないとダメ! ということになると、それでは用が済まなくなる。市販品ではかぶれてしまうレックス、美容院で「地肌に優しい」カラーリングをせねばなるまい。

さあ、ここで皆さん大きな声で。

「時給950円で!?」

 

とどめはお姉さんの次の一言だった。

「研修はここ(銀座)で行います」

 無理!! それ絶対無理ですから! 若い頃には都心まで通ったこともあったが、還暦が近づいた今、銀座まで通ったらそれだけで過労死してしまいそうだ。

 

結局、丁寧にご辞退申し上げるしかなかった。やはり、仕事の内容もろくろく確かめずに、安易な発想で飛びついたのがいけなかった。そもそもこの私に「ホテルのフロント」は無理な相談だったのだ。やはり、伊達に「コンシェルジュ」とついているわけではない、サービス業をなめていはいけない。

 

ここで教訓。

「横文字の仕事には気をつけろ!!」

 

しかし、久々の銀座は遠かったね。

 

 

2018年2月3日土曜日

次から次へと落とされる事務職、ならばと選んだ仕事が・・・・・


50代後半とは言え、20年以上のキャリアがあるのだから、どこか拾ってくれるだろう」

 とのんきにかまえていたレックスだったが、サイトでポチしても無視されるは、履歴書はどんどんお祈りして返されるは、やっと面接にこぎつけても片っ端から落とされるはで、ようやく一つの真理を理解したのだった。

 

「いくら経験があっても、よっぽどのスキルや人脈の持ち主でもない限り、たとえパートとは言え、60間近の女に事務での採用は難しい」

 

そうだよな~、求人広告見ても、「人気の一般事務!」とか書いてあるものなぁ。私は、

「え!? いつから一般事務って人気職になったの!?」

 と目をぱちくりしていたのだが、すでにこの時点で時代に取り残されていたのね。

 

となると次にやるべきことはただ一つ、

「事務がだめなら、どんな職種をねらえばいいのか」

 である。元々私は事務という仕事にこだわりがあるわけではない。ただ、これまで20年以上それしかやってこなかったので、

「この年だし、まるで初めての仕事よりもいいよね。採用される確率も高いよね」

 と思っていただけのことである。

 

しかし、いざ他の仕事を探すとなると、これが中々に難しい。私の年齢から言えば、最も採用される確率が高いのが、「掃除」とか「飲食店の厨房関係」だろう。が、自慢ではないが、私は大の掃除嫌い。自分の住んでいる家だって、まともに掃除するのは1週間に1(大きい声じゃ言えないけど>小さい声でも言えないよ)。

では、厨房の手伝いは? これにも実は大きな問題があった。実は私は料理が苦手である。一応、出来合いの総菜とか外食があまり好きではないので、自分の食事は33度手作りしている。しかし、どうせ食べるのは私一人、その内容は非常になんというか、つまりアバウトである。例えば、煮物のにんじんや里芋の切り方一つとっても、○○切りなんて一切無視。大きさもまちまち。

腹に入れば、皆同じ

 が、私のポリシーである。

 

自分が食べるぶんにはそれで十分だが、仕事となると話は別だ。

「あのおばさん、いい年こいて全然つかえねぇ」

 などと陰で言われるのは、いくら厚顔無恥な私でもさすがに辛い。私にだって、プライドのかけらぐらいはある。

 

そんなこんなで私が導き出した答えが、

「マンションの管理人なんか、どうだろう」

マンションの管理人と言えば、高齢者の再就職の王道である。そんなおりにふと目についた求人が、「マンションコンシェルジュ」だった。

「なんか、良さそう、管理人さんより仕事簡単そうだし。(マンションコンシェルジュって)よく分かんないけど

 
我ながらいいアイデアだと自画自賛していたのだが、世間の風は甘くはなかった・・・・・・。