レックス、ずいぶん前のことになるが、職場の近くでやっていた「日本語教室」のボランティアをしていた時期があった。そう、三十代半ばぐらいの時だったと思う。当時、友人は皆まだ子供も手がかかる時期で忙しかったし、まあ、ようするに閑だったのよね。で、その「日本語教室」でボランティアのリーダー格だった女性(四十代半ばぐらいの人)とたまたま知り合い、
「手伝ってくれない?」
と誘われたのがきっかけだった。日本語教室ってやつにも興味があったし、
「ま、どうせ暇人だし、いいか」
という軽いノリで参加したのだが。
ボランティアとして参加していたのは、主婦の方とか定年退職した男性とか、学生とか、あとはレックスのように、「遊ぶ友だちがいなくなっちゃった」的な三十代ぐらいの女の人が多かったな。それと、何をしているのかよく分からない人も何人か。学校を卒業してから一度も働いたことがない、というヤバイ三十代男もいたしwww
ただ、若い人は二、三度来て、すぐに飽きて来なくなってしまう人がほとんどだったね。
ま~、無理もないよな。レックスだって、二十代の時だったら、絶対にそうしていたと思う。だって、若い時なら楽しいことはいくらでもあるし、日本語のボランティアなんてやっているより、自分の友だちと遊んでいる方が断然おもしろいもの。
方や日本語を習いに来ていたのは、日本語学校に通う留学生が主だったね。あとは日本で働いている人とか、日本人の男性と結婚した主婦の女性というのもいたな。
最初の頃は物珍しさからけっこう楽しく通っていたのだが、そのうち段々「?」と思うことが多くなった。
一緒にボランティアをやっている人の中に、レックスよりも二、三歳下の、同じ独身の女の子がいた。当時三十二、三歳といったところ。この子が全く働いてなかったのよ。「日本語教室」は日曜日を抜かしたほぼ毎日、時間帯もいろいろで行われていたんだけど、彼女そのほとんど全てに顔を出していたの。レックスたち普通の(?)ボランティアはだいたい週一ぐらいで会社帰りに顔を出す、ってのが多かったんだけどね。
で、こんなにしょっちゅう「日本語教室」に顔を出していたら、正規はもちろん、バイトだってままならないわけで。まあ、完全に今でいうニート。レックスは内心、
「う~ん、のめり込み過ぎじゃないかな? こんなの自分の生活を圧迫するほどやるものじゃないだろうに」
と思っていた。でも、古くからの知り合いというのならまだしも、ここで知り合っただけだし、意見を言うのはちょっとはばかられた。
で、ある時、レックスを誘ったリーダー格の四十代女性と話していたら、このニート彼女の話になって。ニート彼女を仮にKちゃんとしておこう。
「Kちゃんて、すごいわよね! ここ(日本語教室)に来たいからって仕事もしないのよ! エライわ~!」
と・・・・・・・
「はぁ!?」
目が点になったよ。あのさ~、他人の生き方をとやかく言いたくはないが、Kちゃん本人のことを考えたら、はたしてそれがいいことなのか、というのは非常に疑問じゃないかい? 何かやりたいことがあって今は勉強している、というのならまだ分かる。が、特にそんな目的もないのにバイトもしていない、というのはいかがなものかと。ってか、あんた、自分の息子や娘がKちゃんと同じことをやっていたら、親として同じセリフが吐けるのか!? と言いたくなった(むろん、言えなかったけど)。
どうもね、こう、なんて言うのかちょっと機軸がずれている、というのか。
こういうことが他にもあって、段々と足が遠のいて行ったのさ。
世間ではボランティアなんかやっている人を「他人のために働ける偉い人」っていうイメージで見る人がいるけれど、決してそんなことはないよ。レックスは、ボランティアっていうのは基本「自分が好きでやっている」と考えることにしている。自分がやる場合ももちろんそう。特別なことをしているわけじゃない。もし、少しでも自己犠牲感があるなら、やらない方がましだと思っている。
あの「日本語教室」のボランティア時代、機軸のズレた人をけっこう見た。まあ、今となっては、
「世の中、こんな人もいるんだね、というお勉強になった」
と考えることにしているが、
「もう一度やりたいか」
と聞かれたら、答えは「ノー・サンキュー」。今では当時の知り合いとは全く接点を持っていないが、持ちたいとも思っていない。
それから、お題目みたいに「国際交流、国際交流」と唱えるヤツも、アタシはきらい。バカじゃない? と言いたくなる。他の国のやつらと渡り合うってのは、きれいごとだけじゃ済まないんだぜ、というのがアタシの実感だ。
ま、そんなこんなの「レックス的国際交流(の真似事)」体験でした。