2018年7月30日月曜日

エアコンが壊れた!!


先週は久々の4日連続勤務だったので、疲れました、ヘコヘコ。レックス、基本は週3日勤務である。が、時々4日連続して勤務することがあって、そうするとこの老体は、息切れ気味となってしまう。

以前はもちろん週5日のフルタイム・残業付。出勤時間を入れたら1日に少なく見積もっても12時間、どうかすれば15時間かそれ以上、仕事に費やし、そのうえで家事と母の介護をこなしていた。もっともあの頃は母もまだまだ病気が進んでいなかったので、介護と言ってもさほど大変だったわけではないが。

 

それにしても、今と比較したら雲泥の差である。なのに、週4日、残業なんか知らないわ、介護も今はあの頃の比べたら無いも同然、な状況でこの疲れ具合。う~ん、人間「ラク」に慣れるのはあっという間、ということか。ま、年もそれなりにとっているけれど。けど、つい56年ほど前の話なのだ。それとも、50過ぎての5年はデカイ、ということなのか!?

 

ところで、エアコンがぶっ壊れました。レックス家のエアコンは全部で3つ。

3つあるなら、1つぐらい壊れても大丈夫でしょ、1人暮らしなんだから」

 と思われる方もいるかもしれない。

 

ここで、レックス家の簡単な説明を。我が家は自慢じゃないが古くてボロだが(本当に自慢にならんだろ>自分)、そこそこデカイ。部屋は全部で6つ+ダイニングキッチンの6DKだ。しかも、うち2つは8畳間+廊下付。DKも7畳ぐらいはある。これは、かつてはこのレックス家が、今となっては絶滅危惧種となった3世代同居家族だったことの名残である。

「1人で6DKなんて、寂しくてイヤじゃない?」

 と時々聞かれるのだが、子供の頃から住んでいるので、特別寂しいと感じたことはない。ただし、掃除が大変・・・・・・(年々大変になってきます、トホホ)。

 

この古くてデカイ家というのは、めちゃくちゃ使い勝手が悪い。効率が良くないのだ。今、主に使っている部屋は6つのうち2つだけなのだが、中でも目下の私の居間兼書斎兼ダイニングの部屋のエアコンがぶっ壊れたのである。う~ん、まだまだエアコン無でくつろぐのはちょっとつらい。

 

「だったら、エアコン買えば!?」

 と思われるかもしれない。確かに、私も新しいエアコンは欲しい。が、ここでまた問題が1つ。レックス家は悪名高い(?)「再建築不可物件」なのである。現在、家は2m以上の道に4m以上接していなければ、建築許可が下りない。が、我が家はこの条件に合ってないのだ。この家を作った当時はそれでも建築許可が下りてしまったわけだが(でなければ今この家は無いわけで)、新しい家を建て直すことはできない。非常に厄介な家なのである。

 

しかも、すでに築50年以上という、私といい勝負の老体な我が家。10年以内には解体しなければいけないと、これが目下のレックスの頭痛の種なのである。

 

なので、

無駄な出費は極力抑えたい!!(レックス心の叫び)」

 何しろ、デカイ家なのでモノもそれなりにある。それらを片づけ、解体するだけでもかなりな出費になるうえ、レックスの新たな住処も確保せねばならない。第一、引っ越しする際には家電を全て買い替える必要が生じる恐れもあるのだ。

 

「エアコン新しくするのもったいないなぁ」

 とレックスが躊躇するのも、無理のない話だろう。

 

でも、今のレックスおばさんのささやかな楽しみは、冷房の効いたお部屋で、まったりとケーブルTVを見ること(私、地上波はほとんど見ないので)。なのに!! ケーブルTVはエアコンの壊れた部屋でしか見れない~!!

 

う~ん、エアコンを買うべきか買わざるべきか、しばらく悩む日が続きそうだ(悩んでいる間に涼しくなるかな・・・・・・)。

2018年7月27日金曜日

世代の差、それとも育ちの差?


ウチの会社のパートさん達のほとんどは、40の主婦の方々だ。チラホラと20代、30代の人もいることはいるけれど、見たところ34人という感じ。私のように、

「この人、50代?」

 という方もごく少数いるようだけど、ま、私が1番年長、かな? 実は以前、

「この人、私よりきっと年上♪」

 という方が2人ほどいたのだが(貴重な人材ですよ、あなた)、結局すぐに辞めてしまったんだよね。もっとも、私は勝手に「自分より年上」と決めつけていたが、実際は向こうの方が年下だったのかもしれない(中高年アルアル)。

 

そんなわけで自分よりも10歳からそれ以上年下の人たちに囲まれているので、ちょっとしたことに「世代の差」を意識するレックスだ。最近びっくりしたのが、お味噌汁を作らない人が意外に多いということ。まあ、一人暮らしだったらそれもありだよな、と思うのだけれど、私の年だと家族がいてお味噌汁を作らないというのは、考えられない。私はこう見えても(って見えないけど)、味噌汁は必ず作っている。夕食だけだけれどね。もっとも、具は有り合わせ、テキトー。母がいたころはもう少し気を使っていたけれど。

 

ちなみに、母の世代だと朝ごはんからきちんと味噌汁を作っていた。味噌汁の香りで目が覚める、というのが日常でしたね。むろん、それがいいことなのかそれともそうじゃないのか、それは私には分からない(塩分問題があるからね)。ただ、日本の食卓から味噌汁が消えるのは、少し寂しい。

 

一人分の味噌汁を作るなんて大した手間じゃないし、やはり夕食にはあの香りが欲しい。そうそう、味噌汁を作らないのはいいとして、汁物が全然なくて、食事ができるのかな、と思う。味噌汁を作らない家庭はどうしているのかな、その辺り。各々ペットボトルか何かから自分の飲みたいものを飲むのかな。

 

話しはかわって、この間新聞にインスタントのカレールーの売り上げを、レトルトのカレーが抜いた、という記事を見た。う~ん、この点に関しても、私は未だにレトルトではなく普通のインスタントのルーを使ってカレーを作っている。もちろん、普通に作っても3日分はラクに出来ますぜ。以前、学生時代の友人に、

「やだ、1人だったらレトルトの方がいいじゃない。3日間も同じもの食べるなんて」

 と言われたが、レックス的には、

「じゃがいもやにんじん、肉がしっかりゴロゴロ入っていないカレーはカレーじゃない!」

 なのだ。ほれ、レトルトって具の存在感が薄いでしょ、あれがね。それを思えば、まだ3日間食べ続けた方がはるかにいい。美味しいです、十分に(私には)。

 

とすると、う~ん、やはりこれは「世代の差」というより、「育った環境の差」なのかもしれないなぁ。ウチの母はインスタントや出来合いの総菜、冷凍食品をほとんど使わない人だったから。と言って、料理が特別上手いわけでも、好きなわけでもなかったのだが。田舎の人だったので、そういったものを使う習慣がなかったのだろう。私は高校生になるまで、「漬物」をお金出して買う人がいるなんて、知らなかったものだ。アレはあくまで各家庭で作るものだと信じて疑わなかった。ウチでは全て自家製だったからね。

 

そんな母も、認知症になった時にはまず料理から出来なくなった。味付けができなくなり、火が使えなくなり、やがては包丁で何かを切ることも難しくなり・・・・・・。その過程を見ているのは、悲しかったな。料理っていうのは、案外頭を使うものらしい。今では、すっかり料理をするという観念が、頭の中から抜けてしまっているふしがある。まね、長い間主婦業していたんだからね、もう卒業だよね。

 

そう、認知症予防のためにも、これからもたとえ粗末でもまずくとも、せっせと手作りしようかな。ちなみに、今夜の味噌汁はネギとキノコです(キノコ大好き人間レックス)。

2018年7月23日月曜日

オウムの麻原&元幹部の刑執行のニュースを見て、ふと昔を思い出した


麻原彰晃始め、オウム元幹部の死刑執行の報道を見て、ふと、過ぎ去りし青春の1ページを思い出した。と言っても、レックス無宗教もいいところなので、別に「今だから話せる暗い過去・私、カルトに入信してました!」なんていう経験があるわけではない。

 

今回刑を執行されたオウムの元幹部のほとんどは、レックスとほぼ同世代だ。この人たちも、何も昔からおじさんだったわけじゃない(当たり前だけど)。オウムに入信したころは「青年」だったはずなのだ。その「青年時代」の大切な時間をオウムのサティアンで過ごし、青年から中年へと続く時間を、刑務所で過ごしたことになる。一体、この人たちにとって、「オウム」って、「信仰」って何だったのだろうね。今、何を思っているのだろう。罪のない人がたくさん亡くなったという事実を、自分の中でどう受け止めているのだろうか。

 

ところで、私が学生の頃はまだオウムはマイナーな存在で、あの頃は「統○教会」が断然カルトのスター(?)だった。我が母校でも公然とキャンパス内で勧誘が行われていた。

学内だけではない。我が母校のある街は都内でも学生の多いことで有名だった。いわゆる学生街というやつだ。もうね、駅の改札を抜けると、つつーっと寄って来るんですよ、勧誘のお兄さん・お姉さんが。学生って、やっぱり一番狙われやすい。まあ、暇ですからね、基本。これ大事。カルトに入信させるコツは、それまでの人間関係や社会から引き離し、なるべく隔離状態に置くことだから。それをしやすいのは、やはり学生ということになる。仕事をしていれば中々時間は自由にならないからね。

 

で、どういうわけか若かりし頃のレックス、カルトの勧誘員からモテモテだったのさ。何しろ、1日に必ず1度は声を掛けられていた。いや、23度掛けられることも稀ではなかった。これが全く不思議だったのだけれど、私自身は信仰心ゼロ、宗教は金がかかるから断じてお断り、だったのにだ(レックスけちです)。今にして思えば、カルト勧誘員の皆様から聞いておけば良かったと思う。

「何を基準に声を掛けているの?」

 と。もしかして、カルト勧誘員うけする容貌だったのかしら、アタシ。

 

「統○教会」を始め、「東〇思想研究会(だったと思う)」「真光のなんたら(忘れた)」「光〇思想研究会(だったかな)」「歎〇抄研究会(多分)」etc.etc.まあ、次から次へと胡散臭い団体に声を掛けられまくっていたレックス。ああ、これがナンパだったらどんなにいいことか!?(ありえないけど)

 

勧誘員は同じ年頃の若者がほとんどだったのだが、彼らの目には何が映っていたのだろう。何を見つめていたのだろう、それとも何も見ていなかったのだろうか。当時はただただ「ウザい」としか思っていなかったのだが、今はふと、

「あの人たちは今頃何をしているのかな」

 と思う。

 

どこの団体か忘れたが、一度同じ年頃の男の子に、

「生きる意味を考えたことありますか?」

 と声を掛けられたことがある。「生きる意味」ですよ、「生きる意味」!? 見ず知らずのヤツからこんな質問を受けるとは思わなんだ。とりあえず早くこいつから離れたかったので、

「ありません」

 とだけ不愛想に答えてそそくさとその場を去ろうとした。すると彼は、

「全然ないんですか!?」

 と、非難するようなまなざしを私に向けくるではないか。
「はあ? お前にそんなこと話さなきゃいけない義務でもあるわけ!?」
 と当然カチンときた私は、

「ええ、何も考えないんです、私。悪いですか!?」

 と睨みつけやったのさ、ふぉっふぉっふぉ。彼は、

いえ、いいです・・・・

 とこそこそと逃げて行ったっけ。

 

それから、「統○教会」の勧誘員さんたちは、よく、

「聖書を読んだことがありますか」

 とか、

「聖書に興味ありませんか」

 などと声を掛けてきたものだ。たいていの人はここで、

「いえ、読んだことはありません」

などと答えるのだろう。普通、クリスチャンでもなければ聖書なんて読むことはない。しかしながら、レックス、実は大学で「キリスト教概論」なる講義をとっていた。新旧ともに聖書は必需品で、当然隅から隅まで目を通していた。

「ええ、読んでますよ、ってゆーか読まされてますよ、授業でね。面白くもない本ですけど。ほら、今持ってますけど、見ます!?」

 と聖書を彼らの鼻先に突きつけやると、いずれも、

いえ、けっこうです

 とそそくさと離れて行ったものだ。ぐっじょぶ!>自分

 

我ながら、突っ張っていたな、とは思う。ま、私もあの頃は若かった、ということで。

 

う~ん、信仰心はゼロなんだが、学問としての宗教にはすごく興味があったので、その辺りが彼らを引き付けてしまったのかもしれないな。

今だったらそこまでコテンコテンに突っぱねないで、彼らと接点のある部分でお話しすることもできるのだが、当時は自分も精神的な余裕がなかったからね。それに、やはり下手にカルトに近寄るのは、リスクがある。たまに「絶対に自分はあんなものに入らない!!」という人がいるのだが、私は絶対に入らない人なんて居ないと思っている。

 

人間というのはたとえどんな人でも、必ず「弱い部分」を持っている。多分、カルトっていうのはそこを突いてくるのでは、という気がする。ただ、つい入信してしまう、というのはありかもなだが、人殺しまで犯してしまうという心理に至る過程は、理解不能だ。一つ言えることは、「隔離された環境」というのが、大いに影響しているのではないだろうか。

 

若い人たちは知らないだろうけれど、大昔、「連合赤軍事件」というのがあった。左翼学生たちが山の中にこもっている間に仲間を大勢殺してしまったというもので、私はどうも「カルト」との共通性を感じてしまう。隔離された空間というものは、人間に狂気を呼び覚ますのでははいだろうか。

 

何はともあれ、自分だって「統○教会」に入る危険性はゼロではなかったわけで(あれだけしょっちゅう声をかけられていたんだからね)、そういう意味でもいろいろと考えてしまうレックスだった。

ちなみに、おばさんとなった今、全くこの手のカルト勧誘員さんたちからはお声がかからなくなった。まあ、ああいうものに入るのは今も昔も若者だからね。この年まで生きてりゃ、もう固まっちまってますからな。「入信」というステップは、心にゆらぎがなければ踏み出せないものだ。おかげでウザいことはなくなったが、一抹の寂しさも覚える(?)今日この頃である。

2018年7月22日日曜日

自然は恩恵を与えてくれるけれど、同時に恐ろしいものでもあるよね・・・・


う~何なんだ、この暑さは!?

しばらく更新していませんでしたが、それもみんな暑さのせいです。

最近仕事で、

「げっ!? ひょっとして、呼び出し受けるかも!?」

 とびびるほどのミスを出しましたが、それもみんな暑さのせいです

「あれ? ちょっと太った!?」

 とゆーか、ゆるんでる?! な体型になりつつありますが、そう、これもみんな暑さのせいです!

(ほれ、暑いとスイカだのアイスクリームだの糖分&水分過多のものばかり多量に摂るじゃないすか、なもんでかえって太るじゃないすか、ってアタシだけ?)

 

この暑さの続く中、洪水の被害にあわれた方々は本当に大変な思いをされていると思います。1日も早くいつもの生活に戻られることをお祈りしています。

 

ウチの近所にも川があるので、水害は他人事ではない。ここ最近は大人しいもんだが、私がまだ小学生の頃、一度川が氾濫を起こしたことがある。ウチの家も玄関のすぐ前まで水が来た。あの時はまだ子供だったので、何も分からずさほど恐怖心はなかったのだが、今だったらすごく怖かったと思う。

 

しかも水害と言うのは後がすごく厄介だ。ただ壊れただけというのとは訳が違う。水が入ってしまった家の中というのは、泥とゴミとばい菌でごっちゃになってしまい、もう、どうしようもない。感染症の危険もあるし、片づけの大変さの度合いが跳ね上がる。東日本大震災のときだって、あの津波さえなければ、あそこまで甚大な被害は出なかっただろう。

 

しかし、同時に水は命をつないでくれる、なくてはならない存在でもある。そう我が家のそばの川にしても、この川があるおかげで、我が家はほんの少しばかり、涼しい。やはり水の上を渡ってくる風は、焼けたコンクリートの上をなでる風とは違う。そのおかげで私は未だにエアコンなしで寝ているのさ、すげーだろ!?(自慢にはならんが
ぶっちゃけ、私の寝室にはエアコンが無いのだな、これが。どうにも我慢できなかったら、エアコンのある部屋に避難するつもり。
 

自然は恩恵も与えてくれるけれど、人間の力を超えた所にある、ということだろうね。

 

ところで、これは私だけかもしれないけれど、最近どうも自然をなめている人が増えた気がする。特に、都会の若者に。ほれ、台風が関東地方に近づくと、必ず新宿駅とかテレビで映すじゃないですか。すると、すぐそこまで台風が来ていると言うのに、のんびり遊んでいる(であろう)人の多さに、いつもびっくりする。

「何しとんじゃー! こんな所で遊んでいるんじゃない!! さっさと家に帰らんかい!! 電車止まっても知らんぞー!?」

 とテレビに向かって嫁をいびる小姑のごとく叫びたくなる。

それは、ひとえに私がおばさんだからであろう。

 

と同時に、

「神様、この自然をなめくさった連中と私を一緒にしないでください! 神の鉄拳を与える時は、こいつらだけにしてくださいね!!」
 と天に向かって両手を合わせている私は、やっぱりヤナ性格だと思った。

2018年7月7日土曜日

どんな職場にも、忘れられない人はいるもんだ


その人を初めて見た時の印象は、「もっさりしている人だなぁ」だった。この頃は40代でも身ぎれいにしている主婦の方が多い。今の職場でも、皆様それなりに流行を取り入れた装いをなさっている。しかし、その人は髪型から服装から見るからにもっさりとした、あか抜けない風貌だった。言ってみれば、「昭和レトロな感じの奥さん」という言葉がぴったりな。そのせいか、こう言っては何だが、あまり仕事が出来そうには見えず、私なんぞは心ひそかに安心していたのだ。

「良かった、あの人仕事できなさそう。こういう人がいるのなら、私がいたって大丈夫だよね」

 きっと、私はその人のことを心のどこかで見下していたのだろう。自分よりも下の人がいる、だから自分は大丈夫だ、そんないやらしい根性が心の隅にあったのに違いない。


しかし、そう思ったのは私だけではなかったらしい。その人を、仮にYさんとしておこう。Yさんは、時々仕事でミスをした。しかし、誰だってミスの1つや2つは、するものだ。だから、それ自体を取り立てて大騒ぎするほどのことはない。それでも、リーダー格の女性社員HさんからYさんはいつもこっぴどく怒られていた。一度、同僚のパートさんが見かねて、

「あんな言いかたすること、ないのにね」

 と声を掛けた。するとYさんは、

「いいの、慣れてるから。私いつも言われてるから」

 と淡々と答えていた。その、少し冷めた、見切ったような言い方は、妙に印象に残っている。


確かに、同じミスを犯しても、Yさんと気に入られている他のパートさんとでは、Hさんの対応に明らかな違いがあった。例えば、ミスをしたのがお気に入りのパートさんだったら、そっと自分の席に呼び、皆に聞こえないように小さな声で注意するのに、相手がYさんだと皆の前であろうとおかまいなしに、ガンガン大声で怒るのだ。ちなみに、私もどちらかと言えば冷遇されている方なので、

「う~ん、えこひいきって、学校だけじゃないよね」

 と思っていたけどね。やっぱりね、30代から40代初めぐらいの比較的若い(うちの職場ではね)パートさんの方が、何かと優遇される。おばさんは仕事ができなさそうに見えるのだろう。人間、見た目じゃないというのは大変な間違いで、実は見た目が大きくモノを言うのだ。HさんもYさんのことを、

「このおばさん、ホントに仕事ができなさそう、どんくさい」

 と思っていたのだろう。


結局このことがあったからか、それとも他にも理由があったのか、Yさんは辞めて行った。しかし、その辞め方が見事だったのだ。

辞めることを決心した途端、仕事を突発で休んだり、早退したりする人が多い中、Yさんは最後まできちんと仕事をやり遂げた。それだけではない。Yさんは私なんかと違ってフルタイムのパートさんだったのだが、最後まで勤め上げながら次の仕事もちゃんと見つけてきたのだ。まさに、飛ぶ鳥跡を濁さず、私はYさんの仕事ぶりとエネルギーに感服した。

「やっぱりね、見る人はちゃんと見ているんだよね」

ここでは生かせなかったYさんの良さを、評価してくれる職場が他にあったということだろう。


さらに、私のYさんに対する評価を決定づけるできごとがあった。

それは、あと3日でYさんがこの職場を去る、という日だった。仕事の変更点(私が今やっている仕事は、実に変更が多いのだ。しょっちゅう変わっているのさ、ったくもう)が出てきて、例のHさんが私たちに説明してくれた。すると、私の隣にいたYさんが、ノートにメモを取り出したのだ。


あと3日すれば自分はこの職場からいなくなる、もしも私がYさんの立場だったら、

けっ! 私にはもう関係ないわ。失敗したって、どうせすぐにいなくなるんだし」

 と思い、メモなんか絶対にとらないだろう。それどころか、まともに話も聞かないに違いない。しかも、相手はいつもYさんを皆の前で怒っているHさんなのだ。私は、そんなYさんの真摯な姿を見て、心の底から感動した。


同時に、一体自分はYさんの何を見ていたのだろう、と思った。もっさりしている? 仕事ができなさそう? まったく、自分が恥ずかしい限りだ。


Yさんとの出会いは、私にひとつの真実を教えてくれた。自分の中にある偏見に惑わされず真直ぐに人の本質を見ること。周りがどうであれ、自分が正しいと思ったことを貫くこと。何より、「自分」というものをきちんと持ち、見失わないこと。


これから何かあったら、Yさんのことを思い出そう。


何かと問題の多い我が職場だが、Yさんに会えただけでもここに来たかいがあったと、今レックスは思っている。

2018年7月3日火曜日

セミリタイアって、思っているほど上手くいかないよね・・・・・・って、私だけ?!


私が、時給が安いのにも関わらず「週3日勤務」にこだわったのは、「セミリタイア」を気取ったからである。

「もう、仕事はそこそこでいいや。がっつり働いていた時にはやりたくともできなかったことを、これからは楽しみながらやっていこう」

 おお、我ながらナイスな思いつき。俗に言う「セカンドライフ」ってやつですか!?

 

思えば、これまでずっと真面目に、コツコツと働いてきた(わけではないが、まあ、一応曲がりなりにも正社員生活20年)。これからはもっとゆったりのんびり生きたい。幸い私には子供も配偶者もいない。お金よりも、世間的な見栄よりも、自分の「好き」や「自由」、何より「時間」を大切にしたい・・・・・。

 

きゃー、かっこいい、なんちって。

 

勤め始めたころは「週4日勤務」にされたこともあったが、この頃は「週3日勤務」も定着し、順調(?)なセミリタイア生活に向けて滑り出した・・・・はずだったのだが・・・・

 

これがね、じぇんじぇん順調じゃありませんよ、ハイ。休みの方が多いんですよ、週3日勤務ですからね。まあ、そのうち1日は母の所へ行くので確実に潰れるのだが、それでも週に3日は「自由なお休み日」がある計算になる。それが、何にもできていないのだ。

 

朝起きる、身じまいをする、ただし我が家は超古い昭和な家、雨戸を開けるだけでもけっこうな時間がかかるのだ(今の家とは根本的に造りが違うからね)。それが終わると洗濯だ。母がいたころに比べたら今は洗濯量が半分に減ったはずなのに、それでもけっこうな時間と手間がかかる。なぜかと言えば、我が家は今では絶滅危惧種とも言える二槽式洗濯機。全自動とは雲泥の差なのである。

 

え? 何で全自動を買わないのかって? お金がもったいないというのも当然あるが(何せ、レックス貧乏&ケチなもんで)、置く場所が無いからなのだ。昔の家はね~、信じられないのよ、作りが。我が家には洗濯機置場というものが無い。今のヤツは風呂場前の廊下に置いているのだが、全自動だと奥行きがあるので、ここには確実に置けない。と言って、他に置く場所もナッシング。昔はいかに家事が軽視されていたかが分かる。それはさておき。

 

洗濯が終わると、一休み。テレビを見ながらお茶を一杯。年齢と暑さに比例して、だんだん延びるこのお休みタイム。何かと一休みしたくなるのだよ(最近、暑いしね~)。

 

そんなこんなで時計を見ると、

「あれ、買い物に行かなくちゃ」

 そんなこんなで再び時計を見ると、

「あれ、そろそろお昼だ」

 そんなこんなで・・・・・・以下省略。と、あっという間に夕飯の支度時間が迫っているではないか。

 

かくて、平均的なお休み日は終焉を迎えるというわけだ。何もしないうちに、一日が終わってしまう

 

こんなはずじゃない、もっと充実した「セミリタイア・ライフ」を満喫するはずだったろう!? 趣味を楽しんだり、やりたいことを思いっきりやったり、そう、私は健康で文化的な生活を営む権利を有する日本国民の1人なのだ! 文化的な生活だよ、文化的な生活

でも、やりたいことって何だろう・・・・・。ずっとずっと、介護中心の生活で、ちょっと出歩くのもままならない毎日を送っているうちに、「自分のやりたいこと」が見えなくなってしまった・・・・・。

 

思えば、レックス、筋金入りの怠け者であった。ま、このブログの題名をご覧いただければお分かりの通り。それが、2年間働きながらの介護ということで、睡眠、自由時間、日常生活、ともかく削れるだけの時間を削りまくり、嵐のような日々を過ごしてきた。結局、身体と精神がもたずに介護離職ということにあいなったが、その時に、

「もう、海外旅行も新しい洋服もいらないから、こんな身を削るような生活は二度と送りたくない」

 とつくづく思った。母には悪いけどね。介護オンリーになり、身体は多少ラクになったけれど、自由な時間が無いのは変わらなかった。精神的には決してラクにはならなかったのである。在宅介護している方には分かっていただけると思うけれど。

 

その反動が出ているのだろうか。母にも施設入所してもらい、これからは自分のセカンドライフを生きよう、と思っていたのに。しかし、全然これが理想通りに行っていない。休みの日は何となく家事をしている間に終わってしまう。仕事のある日は仕事のある日で、やはり働いて帰ってくると家事をするのが精一杯だ。家族がいるわけでもないのにね。働きながら介護していた頃に比べたら、有り余るほどの「時間」があるはずなのに、この「時間」はどこに行ってしまっているのだろう。このままじゃ、単なるダラダラ怠け者生活をしているってだけじゃないか(ってゆーか、まんまやんけ)。

 

何か行動を起こさねば! とこの間重い腰を上げて映画を見に行ったのだが、これがつまらない映画で。う~ん、どうも幸先が良くないなぁ。

 

何とかしないとなぁ、と焦りつつ、かくて今日もまた終わるのであった。