2018年7月23日月曜日

オウムの麻原&元幹部の刑執行のニュースを見て、ふと昔を思い出した


麻原彰晃始め、オウム元幹部の死刑執行の報道を見て、ふと、過ぎ去りし青春の1ページを思い出した。と言っても、レックス無宗教もいいところなので、別に「今だから話せる暗い過去・私、カルトに入信してました!」なんていう経験があるわけではない。

 

今回刑を執行されたオウムの元幹部のほとんどは、レックスとほぼ同世代だ。この人たちも、何も昔からおじさんだったわけじゃない(当たり前だけど)。オウムに入信したころは「青年」だったはずなのだ。その「青年時代」の大切な時間をオウムのサティアンで過ごし、青年から中年へと続く時間を、刑務所で過ごしたことになる。一体、この人たちにとって、「オウム」って、「信仰」って何だったのだろうね。今、何を思っているのだろう。罪のない人がたくさん亡くなったという事実を、自分の中でどう受け止めているのだろうか。

 

ところで、私が学生の頃はまだオウムはマイナーな存在で、あの頃は「統○教会」が断然カルトのスター(?)だった。我が母校でも公然とキャンパス内で勧誘が行われていた。

学内だけではない。我が母校のある街は都内でも学生の多いことで有名だった。いわゆる学生街というやつだ。もうね、駅の改札を抜けると、つつーっと寄って来るんですよ、勧誘のお兄さん・お姉さんが。学生って、やっぱり一番狙われやすい。まあ、暇ですからね、基本。これ大事。カルトに入信させるコツは、それまでの人間関係や社会から引き離し、なるべく隔離状態に置くことだから。それをしやすいのは、やはり学生ということになる。仕事をしていれば中々時間は自由にならないからね。

 

で、どういうわけか若かりし頃のレックス、カルトの勧誘員からモテモテだったのさ。何しろ、1日に必ず1度は声を掛けられていた。いや、23度掛けられることも稀ではなかった。これが全く不思議だったのだけれど、私自身は信仰心ゼロ、宗教は金がかかるから断じてお断り、だったのにだ(レックスけちです)。今にして思えば、カルト勧誘員の皆様から聞いておけば良かったと思う。

「何を基準に声を掛けているの?」

 と。もしかして、カルト勧誘員うけする容貌だったのかしら、アタシ。

 

「統○教会」を始め、「東〇思想研究会(だったと思う)」「真光のなんたら(忘れた)」「光〇思想研究会(だったかな)」「歎〇抄研究会(多分)」etc.etc.まあ、次から次へと胡散臭い団体に声を掛けられまくっていたレックス。ああ、これがナンパだったらどんなにいいことか!?(ありえないけど)

 

勧誘員は同じ年頃の若者がほとんどだったのだが、彼らの目には何が映っていたのだろう。何を見つめていたのだろう、それとも何も見ていなかったのだろうか。当時はただただ「ウザい」としか思っていなかったのだが、今はふと、

「あの人たちは今頃何をしているのかな」

 と思う。

 

どこの団体か忘れたが、一度同じ年頃の男の子に、

「生きる意味を考えたことありますか?」

 と声を掛けられたことがある。「生きる意味」ですよ、「生きる意味」!? 見ず知らずのヤツからこんな質問を受けるとは思わなんだ。とりあえず早くこいつから離れたかったので、

「ありません」

 とだけ不愛想に答えてそそくさとその場を去ろうとした。すると彼は、

「全然ないんですか!?」

 と、非難するようなまなざしを私に向けくるではないか。
「はあ? お前にそんなこと話さなきゃいけない義務でもあるわけ!?」
 と当然カチンときた私は、

「ええ、何も考えないんです、私。悪いですか!?」

 と睨みつけやったのさ、ふぉっふぉっふぉ。彼は、

いえ、いいです・・・・

 とこそこそと逃げて行ったっけ。

 

それから、「統○教会」の勧誘員さんたちは、よく、

「聖書を読んだことがありますか」

 とか、

「聖書に興味ありませんか」

 などと声を掛けてきたものだ。たいていの人はここで、

「いえ、読んだことはありません」

などと答えるのだろう。普通、クリスチャンでもなければ聖書なんて読むことはない。しかしながら、レックス、実は大学で「キリスト教概論」なる講義をとっていた。新旧ともに聖書は必需品で、当然隅から隅まで目を通していた。

「ええ、読んでますよ、ってゆーか読まされてますよ、授業でね。面白くもない本ですけど。ほら、今持ってますけど、見ます!?」

 と聖書を彼らの鼻先に突きつけやると、いずれも、

いえ、けっこうです

 とそそくさと離れて行ったものだ。ぐっじょぶ!>自分

 

我ながら、突っ張っていたな、とは思う。ま、私もあの頃は若かった、ということで。

 

う~ん、信仰心はゼロなんだが、学問としての宗教にはすごく興味があったので、その辺りが彼らを引き付けてしまったのかもしれないな。

今だったらそこまでコテンコテンに突っぱねないで、彼らと接点のある部分でお話しすることもできるのだが、当時は自分も精神的な余裕がなかったからね。それに、やはり下手にカルトに近寄るのは、リスクがある。たまに「絶対に自分はあんなものに入らない!!」という人がいるのだが、私は絶対に入らない人なんて居ないと思っている。

 

人間というのはたとえどんな人でも、必ず「弱い部分」を持っている。多分、カルトっていうのはそこを突いてくるのでは、という気がする。ただ、つい入信してしまう、というのはありかもなだが、人殺しまで犯してしまうという心理に至る過程は、理解不能だ。一つ言えることは、「隔離された環境」というのが、大いに影響しているのではないだろうか。

 

若い人たちは知らないだろうけれど、大昔、「連合赤軍事件」というのがあった。左翼学生たちが山の中にこもっている間に仲間を大勢殺してしまったというもので、私はどうも「カルト」との共通性を感じてしまう。隔離された空間というものは、人間に狂気を呼び覚ますのでははいだろうか。

 

何はともあれ、自分だって「統○教会」に入る危険性はゼロではなかったわけで(あれだけしょっちゅう声をかけられていたんだからね)、そういう意味でもいろいろと考えてしまうレックスだった。

ちなみに、おばさんとなった今、全くこの手のカルト勧誘員さんたちからはお声がかからなくなった。まあ、ああいうものに入るのは今も昔も若者だからね。この年まで生きてりゃ、もう固まっちまってますからな。「入信」というステップは、心にゆらぎがなければ踏み出せないものだ。おかげでウザいことはなくなったが、一抹の寂しさも覚える(?)今日この頃である。

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