2018年3月25日日曜日

なってみないと、分からない


私が介護しているのは、母である。介護と言っても今は施設に入所しているので、大したことはしていないが。

 

ちなみに母は認知症、アルツハイマーだ。もっとも、今では認知症の高齢者なんて、少しも珍しいことではないが。母の場合、脚も骨折による手術を経験している。施設の中だったら、何とか歩行器を使って歩くことが出来なくもないが、最近はほとんど車いすに座りっぱなしだ。

 

私は、人間には2種類の人が居ると思っている。介護を経験している、あるいはしたことがある人と、無い人と。私の独断と偏見で言わせてもらえば、この両者の間には、暗くて深い河がある、って何かの歌の文句みたいだね、これは。さらに独断で言わせてもらえば、やはり本当の介護の大変さとは、同居介護の中にある、と思っている。もちろん、通い介護を責めているわけではないし、ラクだと決めつけているわけでもない。ただ、同居と通いでは、一見同じようなことをしているように見えても、やはり色や重さが異なってくる、と言いたいわけで。やはり、帰ることができる自分のスペースがある、というのは同居介護者から見ると正直うらやましい話なのだ。

 

介護している人の年齢は様々であるが、一番多いのは私と同じ50代ぐらいではないだろうか。この年代というのは、介護のあるとないとではすごく差が出る年代だ。結婚していれば子供も巣立ち、身軽になる。私のようにシングルなら、それなりに給料も増え、生活に余裕ができる。つまり、どちらにしろゆとりができる年代なのだ。今度は自分達の番、趣味に旅行に、ボランティアに♪と浮かれる人がいる一方で、介護に忙殺される人もいる。

 

私もね、いろんな友達に介護について語ったけれど、やはり「心底理解してもらえたな」という人は居なかった。なってみないと分からない、やってみないと分からない、それが介護。

 

介護って何が大変かと言うと、介護そのものの大変さもさることながら、孤独感にさいなまれる点ではないだろうか。介護って、本当に孤独だ。物理的に外出も大幅に制限されるし、先に言ったように精神的にも孤独になる。中には、他に家族がいるのにもかかわらず、一人だけ介護を押し付けられ、家族の中ですら孤独になっている人も居るくらいだ。いや、私のように最初から一人よりも、こちらの方が孤独感は強いだろう。孤独とは一人だから感じると言うより、大勢の中でこそ感じるものだから。

 

もし、これを見ている若葉マークの介護者の方がいるとしたら、これだけは言いたい。人に理解してもらおうとするのは、やめよう。あなたを完全に理解できる人など、いない。例えば介護者だけが集まる会に出ても、そこで愚痴を話したら、他の介護者に、
「そんなのまだましよ、私の方が大変!」
 と言われてしまい、結局本音は話せなかった、ということすらあるのだ。人に期待する前に、まずは自分を大切にしよう。自分を理解しよう。自分は何が不満なのか、自分の希望は何か、自分は本当は何を望んでいるのか、自分を理解してあげよう。自分を抱きしめてあげようよ

 

なんて、エラそうなこと言えるほど、私も介護を分かっているわけじゃないけどね! 今も手探りでやっている。きっと、最後まで答えは出ないだろうなぁ。

2018年3月22日木曜日

この年で見つかる職場って、やっぱり何かあるよね・・・・・・・


さて、8ヵ月にもわたる血と汗と、涙の就活を乗り越え、ようやく1月から働き始めたレックスだが、

「やっぱりこの年(50代後半)になってから見つかる職場って、何かあるよね・・・・」

 な毎日を送っているのさ、ったくなぁ。

 

私の今の職場は俗にいう事務センターで、昨今流行のアウトソーシングである。某大手会社の事務的雑務を請け負った会社に雇われているのが私たち、ということになる。まあ、コールセンターの事務版、というところですかね。

 

事務センターで、かつ週3日以上でOKということで、働いている方々は圧倒的に主婦が多い。っつーか、多分私を除いて全て主婦の方なのでは、と思う。そんな所にポツンと一人、高齢介護シングルが居るのは、非常に居心地が悪いというか、白い羊の中に黒い羊が一匹紛れ込んだようで、何とも背中がこそばゆいのだ。

 

見たところほとんどの方は切羽詰って働いているようには、見えない。家計のちょっとした足しに、友達との遊興費に、自分のお金が欲しいから、まあそんなところではないだろうか。そういうお前はどーなんだよ、と言うと、私はもちろん生活費だが、すでにリタイア・モードに入っているため、やはり3日ぐらいが適当、ということになる。ま、言ってみれば単なる怠け者ですよ。

 

ただ、同じ週3日でもしっかりとした後ろ盾がある週3日と、単なる怠け者だが一応生活がかかっている週3日では、少し色合いが異なってくるのは否めない。それでも今のところ、皆さんとは可もなく不可もなく、仲良く(?)仕事をさせていただいている。その点に関しては何ら不満はないのだが。

 

まあ、こうした職場環境なもんだから、最初から、

人の出入りは多いだろうな

 という気がしていた。長く腰を落ち着けて働く、という環境とは少し異なっている。辞めては入り、また辞めて入り、それは避けられないな、と。が、しかし!

 

実は今の職場は新しく立ち上がったセンターで、一緒に働いている方々も在職期間にほとんど差はない。それが、この数か月ですでに10人の人が辞めたのだ! 数か月で10人って、多過ぎでしょ、いくらなんでも。

 

確かに時給は安い。最低賃金すれすれだ。だが、それは入る前から分かっていることだ。原因は他にあるとしか思えないではないか。そう、あるのだよ、他に原因が。

 

主な仕事内容は、書類のチェックと入力である。何てことないものだ。しかし、なぜか会社はやたらと“格差”をつけたがるのだ。

 

あなたはミスが多いからこの仕事はしないで。

これは○○さんと○○さんがやって。

あなたはあの仕事だけをしてください。etc.etc.

 

そりゃね、請け負っている以上、クライアントの手前なるべくミスを出したくない、という会社の気持ちは、分かる。だが、あまりにもあからさまに格差をつけられたら、誰だって面白くない。やたらもったいつけて一部の人にさせている仕事というのも、よくよくその中身を見てみれば、何てことないものなのだ。慣れれば高校生のバイトでもできる。これは、私が言ったのではなく、実際にやっている方が言ったのだから、確かだ。

 

どうもね、立てる必要のない波風をわざと立てている、としか思えませんよ、アタシには。現に10人も辞めているのだから、

「そこんとこ考えてよ、よろしく」

 と言いたくもなるではないか。

 

このままではどんどん辞めてしまうのでは、と考えると何とも落ち着かない。辞めてもすぐ次が見つかる40代の人達はいいが、この私はそうはいかない。あの地獄(?)の8ヶ月を考えると、早々は辞められまへん。

 

ともかく、落ち着いて欲しいなぁ~、もうこれ以上辞める人が増えないといいなぁ~、と心から願うレックスなのさ。

ちなみに、もちろんアタシは仕事が出来ない方の組です、ハイ。

2018年3月21日水曜日

私の顔が分からなくなったんだね・・・・・・・


昨日、母のところへ行って来たのだが。

 

母は一瞬、私が誰か分からなかったようだ。もちろん、アルツハイマーが進めば自分の子供の顔が分からなくなる、ということはそう珍しくもない。いや、最終的には食べ物を飲み込むという当たり前の行為さえ忘れてしまうのだ。それが認知症というものだ。

 

しかし、これまで母は一応、私や姉のことは分かっていた(私らぐらいしか会いに来ない、ということもあるけれど)。それが今日は、私が、

「お母さん・・・・・」

 と呼びかけても、しばらくの間「はて、誰だっけ」という顔をしていた。

「自分の娘の顔を忘れちゃったの?!」

 とショックな心を隠しつつふざけて言ってみせたら、ようやく、

「レックスちゃん? レックスちゃんじゃないよね?」

 と・・・・・・(じゃないよねって、一体)。

「いつもと感じが違うから」

 確かにいつもは家から直接行くことが多いので、普段着姿だった。今日は寄る所があったため、一応外出着ではあったのだが、それにしても私の顔がついに分からなくなったのか、と。

 

そしてそれ以上に胸に来たのが、自分の娘の顔を忘れてしまったにもかかわらず、母がその事実に対してショックを受けていなかったことだ

それは、私の顔を忘れたこと以上に、母の病気が進行した現実を物語っていた。

 

母は私が持って行ったおはぎを、美味しそうに食べた。

「(おはぎを食べるのは)久しぶりだよ」

 と言って喜んでいた。1分前のことも覚えていない母だが、おはぎをずいぶん長い間食べていないことは覚えていたのか。私の食い意地が張っているのは、やはり血筋だ、と改めて思う。

 

もうあと何回、こうして一緒におはぎを食べられるのかな、おはぎを頬張る母の横顔を見ながら思った。

2018年3月17日土曜日

君は純白スーツの近藤正臣を知っているか


川口浩に続く昭和のスター第二弾、今回は往年の美男子「近藤正臣」にご登場願った。おそらく、平成の今になっても川口浩よりも知名度は高いのではないだろうか。もちろん、それは氏が未だ現役バリバリの俳優さんであるからだが。若い方々の中にも、

「ああ~、あのおじいちゃん役の俳優さんね!?」

 と思い当たる方もいるのではないだろうか。

 

しかし、実際も役柄もおじいちゃんになっている近藤正臣だが、氏は昭和の一時期、まさに日本を代表する二枚目俳優だったのである! 一口に二枚目と言っても、そのタイプは一つではないだろう。野性的な二枚目、端正で上品な二枚目、優しくて甘い二枚目、近藤正臣が得意としていたのは、ちょっとキザでクールな二枚目だった。思いを寄せる女性をしり目に、片手で髪をかき上げて去って行く、みたいな、ね。実際よく髪をかき上げていたし(と思う、よく覚えてないけど)。

 

ところで、私は地上波のテレビをほとんど見ない。ケーブルテレビばかり、見ている。海外ドラマが好きなもんで。で、このケーブルテレビ、海外ドラマだけではなく、昔の日本のドラマもよくやっているのだ。

ある日のこと、そんな昔の日本のドラマの一つ、近藤正臣主演の「神津恭介の推理なんちゃら」というドラマが流れた。この神津恭介(ひょっとして、字が違うかも、です)は大学教授でありながらその優秀な頭脳を駆使して卓越した推理力を展開し、難事件を解決して行く、という内容で、近藤正臣にぴったりの役どころであった。その日のドラマは舞台がパラオという豪華ヴァージョンで(当時は海外ロケそのものが豪華版だったのさ)、ますますゴージャスな近藤正臣氏にどんぴしゃりなお話だったのである、が。

 

エメラルドグリーンに輝くパラオの海、その上を白い波をかき分けて走るモーターボート、ボート上には、南の風に髪をなびかせている純白スーツに身を包んだ近藤正臣・・・・

パラオですよ、南の島ですよ、リゾートですよ、海の上ですよ!? そこで純白スーツって・・・・

「まるで、ギャグ!」

 心の中で「お前は海外ウェディングの新郎か!?」と突っ込みを入れたくなってしまった。

 

おそらくこのドラマの中では山場の一つなのであろう。断じてギャグでないことだけは、確かである。当時の女性達、いや男性も、純白スーツ姿の近藤正臣を見て、

「かっこいい!」

 と思ったのだろうなぁ、少なくとも製作者側はそれをねらってこのシーンを作ったはずなのだ。う~ん、何とも昭和テイスト! ではないか。 のけぞって笑いながらも、ハートをぐっとわしづかみされましたよ。

 

「ああ、昭和っていいよなぁ!!(しみじみ)」



 

私は当時から今に至るまで近藤正臣のファンであったことはなかったが、このパラオの白いスーツ姿を見て、近藤正臣がちょっぴり好きになったよ。

 

やっぱりね、これからはパラオに行くときゃ、純白スーツだよ!

2018年3月15日木曜日

医師は言った「アルツハイマーです、中期に入っています」と・・・・・


入院中の妄想騒ぎも落ち着き、

「やっぱりあれは一過性のせん妄だったんだな」

 と、胸をなでおろしていたところ、母が通っていたデイサービス(母はデイケアとデイサービス、2カ所に通っていた。両者の間の明確な違いというものはないのだが、デイサービスとはどちらかと言えばレクリエーションに重きを置いている所で、デイケアはその名の通りリハビリも行っている所だ)の介護士さんから、母の「認知症疑惑」を指摘された。

「お母様、一度お医者様に診ていただいた方がいいですよ」

 

しかし、実のところ、私はあまり切迫感を覚えていなかった。確かにこの頃母は同じ質問を繰り返すことが増えた。ついさっき聞いたことを、2,3分後にまたたずねたりする。しかし、年を取れば誰でも物覚えが悪くなるし、認知能力も落ちる。母は「お金を盗られた!」と騒ぐこともないし、「○○さんが悪口を言っている」と被害妄想に陥ることもない。夜中に起き出して歩き回ることもないし、お鍋を火にかけたまま忘れてしまう、ということもない(とゆーか、母は全く炊事をしなくなっていた・・・・)。まさか、自分の母が認知症だなんて・・・・・。

 

認知症の家族を持った人なら思い当たるはずである。自分の家族が認知症になった、という現実を、人は中々受け入れられない。たとえ頭では分かっていても、心と体はその現実を拒否してしまう。そして、それが悲劇に結びつくこともある・・・・・・。

 

ところで、今でも決して十分とは言えないが、当時は認知症の専門医は今よりもさらに少なかった。精神科や脳神経内科などが主な受診先だったのだが、家から近く、かつ受診しやすい専門クリニックは、ほんの数えるほどだったのである。その中から「これ」と言うクリニックを見つけなければならない。認知症に限らないのだが、脳神経系の病気の厄介なところは、診断において決定的な決め手がない点だった。もちろん、長谷川式のようなテストはあるし、MRICTのような画像診断法もある。それでかなり詳しく診ることはできるのだが、しかし正確な診断は結局のところ、解剖してみなければ分からないと言われている。つまり、医師の見立てがより重要になってくるのだ。私はネットとにらめっこで、「良い先生」を見つけようと懸命だった(ネットでそんなことが全て分かるわけじゃないのにね)

 

すったもんだの末、ようやく一軒のクリニックを選び出し、土曜日の午前中、私は母を連れ出したのだった。物忘れ外来を受診するとなると、高齢者の抵抗にあう場合が非常に多い。

「私はまだ呆けてない!!」

 というわけだ。私も内心それを恐れていたのだが、

「市の決まりで、80過ぎた人は一度診てもらうことになっている」

 と嘘をつくと、母は意外にすんなりと受診を了解した。

 

あの日のことは、今でも覚えている。長い、長い、一日だった。診察は、問診から入った。私は母が認知症のわけはない、これは自分と母を安心させるための受診なのだと信じて疑っていなかったから、リラックスして先生から聞かれたことには全てありのままを答えた。続いて行われたのは、例の「長谷川式スケール・チェック」である。これは、最も標準的に用いられている認知症を測るテストで、計算や記憶力などのチェックをするものだ。母が検査を受けている後ろで、こっそり自分もやってみたのは、お約束、だろうか(けっこう難しかったぜ)。もちろん、そこでも私は何の心配もしていなかったのである。

 

最後がいよいよ、画像検査だ。CTスキャンで、脳細胞、主に海馬と呼ばれている部分の委縮具合を診る。ここまで来るともはや2時近くなっていて、私は認知症ウンヌンよりも母の身体の方を心配していた(何しろ、親子そろって食い意地がはっているもので)。それが終わると、やれやれやっと診断結果である。何の不安も抱いていなかった私に、先生はハッキリと、こう告げたのだった。

「アルツハイマーです。もはや、中期に入っています。初期ではありません」

「え!?」

 

最初の感想は、

「まさか、そんなことあるわけがないだろう」

 だった。しかも、先生は母の前で堂々と「アルツハイマー」と告げたのだ。母はどう思ったのだろう、母の様子をうかがうと、母も、

「え!?」

 という顔をしている。それ以降の先生の説明は、一切私の耳には入らなかった。ただ、海馬が委縮しているという事実、これから定期的にこのクリニックに通わねばならないという事実、そして私は認知症、ことにアルツハイマーの勉強をたっぷりする必要がある、という現実だった。

 

しかし、そうした事実・現実を前にしても、私は未だ母がアルツハイマーであるということが信じられなかった。それにしても、よりによって何で先生は母の前で「アルツハイマー」などと言ったのか。母はきっとすごくショックを受けているに違いない。何とも重苦しい気分で家にたどり着いた私に、さらに我が目と耳を疑うショックな事態が待ち受けていたのだ。何と、母は自分がアルツハイマーであると診断されたことを、すっかり忘れてしまっていたのである

「ああ、やはり母は本当にアルツハイマーなんだな」

 そう思わないわけにはいかなかった。

 

とは言え、それを心の底から真に理解するには、2年近くの年月が必要だったのである。

 

よく言われる。家族に認知症の者が現れた時、人は次の段階を経ていくと。最初は驚き、そして拒絶、怒り、やがて受け入れ、悟り、共感する・・・・・。

 

ともかく、足の骨折に加えて、新たに認知症介護も加わり、ますますずっしりと両肩に重荷を背負ってしまったレックスだった。

2018年3月12日月曜日

怒涛の介護生活突入


母が退院し、不安でいっぱいの働きながらの介護生活が始まった。

 

まず、やらなければいけないことは、母の要介護認定だった。これはどの程度の要介護度かを決めるもので、公的機関の審査を受ける。この介護度によって受けられるサービスの種類や量が決まる、介護家族にとっては何より重要な行事(?)である。通常、審査を受けてから介護度が決定するまで23ヵ月を要するのだが、その間、仮の介護保険証がもらえる。サービスを受けることもある程度可能だ。

 

しかし、この審査、介護家族にとっては中々に厄介なものである。家族としては介護度が重いのも「・・・・・・」だが、介護度が思ったよりも軽いと、今度は受けられる介護サービスが限られてしまうのだ。それに、症状に見合って軽いのならともかく、審査をする方と家族の側の思惑が、必ずしも一致するとは限らない。しかも・・・・・・

 

ああ、なんだって高齢者ってこう、こういう審査だとやたら張り切ってしまうのか、と思うのだよ。普段は、

「立てないの・・・・・」

 と家族に訴えている人が、スタスタと歩いたりするから、困ってしまう。うちの母も審査の時はやたら張り切ってしまい、

「おいおい、介護認定が下りなかったら、どうすんだよ!?」

 と心穏やかではなかったのさ。

 

母の場合、人工骨の手術を受けているので、介護用ベッドは必須であった。加えて、玄関に手すりも必要だ。そうしたレンタル用品も全て介護保険を利用することになる。それに、これからは私が仕事をしている間、母を家に一人で置いておくわけだから、デイ・サービスやデイ・ケアも考えなければいけない。やらなければならないことは山積みだった。

 

私の会社は中小企業もいいところだったので、介護休暇などというおつなものは、夢のまた夢だ。これらの仕事を、私は全て土曜日にやらなければならなかった。私の場合、ケア・マネージャーさんが私の状況に理解があり、こちらの都合に極力合わせてくれたので、その点は非常にありがたかった。時間のやりくりというのは、仕事を持ちながら介護をする家族にとって、必須課題の一つだ。まとまった介護休暇が取りづらくとも、例えば半日、数時間単位で取ることができるとか、もっと利用しやすい環境を整えてもらえればな、と思う。ただ、介護と言うのは実際に体験してみないことには、その大変さは中々分からないし、同じ介護でも同居と別居ではまた、違う。味わったことのない人に、その辛さを分かれ、と言っても、中々難しいものがある。

 

ともかく、どうしてもやる必要があること、ベッドやその他の介護用品のレンタル、デイ・ケアやデイ・サービスの決定、デイに行かない日は昼間数時間だが、姉が様子を見に来てくれることなど、バタバタと決めて行ったのだった。もちろん、不安は解消されなかったが、ともかくこれでやっていくしかない。とまあ、若干見切り発車的にスタートしたのだが・・・・・。

 

ああ、母がここまで「非協力的」だったとは、私には全く予想外だったのさ・・・・。

2018年3月9日金曜日

シックな装いでお願いします、の一言にびびった私です・・・・・・・


ボロボロの就活生活を続けてきたレックスだったが、1つだけ、こちらの方から断った会社が、ある。

 

その会社は、以前よりたびたびお仕事探しサイトで目にしていた。職種は事務、時間は10時から16時、週4日以上勤務で、50代もOK、時給は相場より安いが会社の場所は最寄駅から歩いて3分という、主婦や私のようなプチリタイア希望のおばさん労働者には願ってもない環境だった。にもかかわらず、ちょくちょく募集がかかるとはどうしたわけだ。それが気になって、応募を躊躇していたのである。

 

しかし、こう次から次へと落っことされてはそうも言っていられない。背に腹は代えられない、というヤツだ。私はサイトからさっそくポチしてみた。

 

「プルルルル・・・・・・・」

 来た、待っていた面接のお誘い電話だ。

「こちら○○株式会社です。今回は応募していただき、ありがとうございます・・・・」

 ばんざーい! やっぱり面接のお知らせだ。ここまで来るのにも50代後半は苦労するんだよね。履歴書送ったり、サイトからポチしたりした会社のうち、面接までこぎつけるのは、だいたい10社に1あるかなし、だ。で、その1社も今の所全てフラれているわけだが

 

面接日、面接時間、用意するものなど、型通りのやり取りが進み、最後の方に担当の方が気になる一言をつぶやいた。

「当日はふさわしい服装でお越しください・・・・・」

「はあ・・・・・(へっ!?)」

 思えば、大学を卒業してから早30ウン年、数限りなく面接を受けて来たけれど、面接時の服装を指定されたのは、初めてである。ってゆーか、どのような服装で来るのかも面接のうち、ではないだろうか。そもそも面接時においては未だその会社の社員ではないわけで、服装の指定までされる覚えはない、というのが私の持論なのだが。

 

もちろん私だって伊達に年はとっていない。当然、面接にはそれらしい服装で臨むつもりでいた。そんなわけで、心に一抹のわだかまりを残しつつも、当日はカットソーにサマースーツという、無難なスタイルで赴いたのだった。

 

会社の場所はすぐに分かった。思った以上に立派なビルだ。駅から歩いてすぐだし、近くには地元の老舗デパートがある。改めて、

「何でこの会社がこうちょくちょく人を募集するのだろう」

 と頭の中にクエスチョンマークが飛び交う。

 

案内されたオフィスの中もキレイだった。

「何だか、ここで弁当食べるわけにはいかなそうだな、こりゃ」

貧乏覚悟のプチリタイア志望としては、これはマイナス・ポイントである。昼飯によけいな金など、かけたくない。が、ここは気を取り直して、

「面接、面接」

である。面接には、30代ぐらいの男性社員が現れた。

「わーい、久々に若いお兄さんとお話しできるぞ!?」

 と喜んでもいられない。私の経験と持論から言えば、同じぐらいの年の女性面接官の方が、おばさんには優しい。とは言え、同じぐらいの年の男性面接官は、若い男性以上におばさんには厳しい傾向がある。私的には、おばさん面接官>若い男性面接官>若い女性面接官>おじさん面接官 の順番で、おばさんに優しい指数が上がる、ような気がする(気のせいかもしれないけどね)。

 

職歴や志望動機など、型通りに面接は進み、いよいよ終わりに近づいたな、と思った頃、お兄さん面接官がここで思わぬ一言を繰り出した。

「もしここで働いていただくことになったら、服装はシックな装いでお願いします。今の服装でしたら、いいでしょう」

「はあ・・・・・(えええええ~!!?」
 この時給でシックな装いって、それは、

「自給自足でお願いします」

 と言われているようなもんですよ、私にとっては(ここの時給、全て洋服代で消えてしまいますぜ、お兄さん)。それに、今日は面接だからそれなりの服装をしているが、こんな格好でずっと働くのは、私だって願い下げだ。服装なんかに気を回すことなく、余分な金はかけずに働きたい、というのが正直なところだ。

 

何だかもやもやしたものを残しつつ、帰途についた私は、帰宅してから考えた。

「どうしよう・・・・・・」

 もちろん、採用された場合の返答である。私としては、どうしても「面接にふさわしい服装」と「シックな装い」が引っかかっていた。入社する前から服装を指図する、というのは、いかがなものか。こういう会社は入ったら、その後よけいにいろいろとあるのではないか(何があるのかは分からないけど)。

それに、「どうやら弁当持参は難しそうだ」「服装に金がかかりそうだ」というのもどうにもいただけない。若い頃は、おしゃれして都心まで通うのもそれなりに楽しかったが、プチリタイア志望のおばさんとなった今となっては、通勤着や昼飯に一切金はかけたくない

 

が、やはり決め手となったのは、次の事実だった。

「あまりに募集が頻繁にある・・・・・・」

 そこが働きやすくて居心地の良い職場であったら、そうそう人は辞めないのではないだろうか。ましてや、勤務時間帯から言っても場所から言っても、40代、50代のパート勤め希望の女性にとっては、理想的な条件と言える。なのに・・・・・。やはり、募集がたびたびあるというのは、そこに何かがある、ということではないだろうか。

 

結局、この会社はお断りすることに決めたのだった。こういう時に限って、採用の電話が来るんだよな~、これが。

しかし、私のような分際で断っていいものだろうか、分不相応ではないだろうか、とずいぶん悩んだものである。

 

未だにこの決断が正しかったのかどうか、それは私には分からない。特に、今の会社というか仕事も、限りなく「それなり」な現状を考えると、とりあえず入ってみてから決めた方が良かったのでは、という気もなくはない。会社というものは入って見なければ分からないものだし、問題があったらのならその時にさっさと辞めれば良かったのかもしれない。

 

「シックな装い」にびびってしまった私は、やっぱり小心者だよなぁ、と改めて思うレックスだった。