2018年12月31日月曜日

人生は、想定外の連続で出来ている


 
 
 
 
 
今日は大晦日ですね。

皆様、思い思いにお過ごしのことと思います。

 

今年一年、こんな拙いブログにご訪問いただき、本当にありがとうございます。

どうか、来年もよろしくお願い致します。

 

 

 

で、表題ですが・・・・・。

 

 

私は来年の正月、母を家に連れてくるつもりでいた。それで今日、タクシー会社に電話して、車イスを乗せることが出来るタクシーを予約しようとしたのだが・・・・・。

 

まさかの「NG」サイン。

「運転手が休みなんですよ~、正月は」

 

 どうも、他の運転手ではまずいらしい。まあ、特殊な車だからね。

 

しかし、サービス業で三ヶ日が休みとは予想外だったので、計画が狂ってしまった。母はもはや普通車に乗り降りは不可能である。これでは家に連れ帰るわけにはいかない。

 

仕方なく、正月は私と姉夫婦で施設の母を訪ねることになった。正月は母が来るものと思っていたので、そのつもりでおせちの準備やらみかんやらお菓子やら、たくさん買い込んでしまったのに。母が来れば姉一家も来るので、その分も見越してである。それが全て宙に浮いてしまった。

 

もはや材料を買ってしまったので、今更料理を作らないわけにもいかない。作りましたよ、煮しめときんぴら。あとはすでに買ってあるかまぼこやら、伊達巻やら、きんとんやら、黒豆やら・・・・・。

 

ああ、これが全て私の腹に入るのか・・・・・・

 

これで正月デブは確定したと言っていい。

 

しかし、不思議なもので、母が帰れなくなったと分かった途端、おせち作りに張り合いを失くしてしまい、料理に身が入らない。出来上がった煮しめときんぴらは、

「う~ん、イマイチ・・・・」

 な失敗作。誰かが、

「料理は気合いだ!」

 と言っていたけれど、ホント、不思議なもので、料理って作る相手がいないと身が入らないんだよね~。相手がいればいたでめんど―なんだけどな!

 

とりあえず、このおせち&お菓子消費が終わったら、ダイエットに精出しますよ!?

 

 

 

もう一つの想定外は、東京オリンピックの地元ボランティア(正式なボランティアではなくて、あくまで地元自治体の)に応募していたのだけれど、こちらも落選。やっぱり年のせいかしら(影の声)、イジイジ。

 

う~ん、こっちもすっかりやるつもりでいたので、気落ちしてしまった。しかし、落選通知を大晦日に寄越すなよ!>地元自治体。

 

ま、これで今年の悪いツキが落ちたのだ、と考えることにしよう。

 

 

今年もあと2時間程で終わりですね。

 

皆様、良いお年をお過ごしください。








2018年12月30日日曜日

12月なんて、キライだ~!!


 
 
 
 
年末ですね、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

私の会社も人並みに(?)29日から年末年始のお休みに入った。4日から仕事だけどな。まぁ~、月給の正社員というのなら休みが長い方が嬉しいけれど、こちとら時給の身、休みが長いのも良し悪しで。

 

それに、正月はどこも混んでいるし、高齢シングルとしては正月休みが長いよりも、平日休みが多い方が嬉しい(と言って、土日の休みが無いのはそれもそれで困るけれど)。

 

そんなわけで、4日から仕事と言うのは別に憂鬱じゃない。

「ふ~ん・・・・・」

 という感じ、しいて言えば。

 

そういや、つい最近「クリスマス」なんてものもあったな・・・・(遠い目)。

クリスマスが嬉しかったのは、せいぜい20代までだなぁ~。子供の頃は当然エキサイトしていたけど。

 

私が子供の頃は「○○会」なんてのが大流行だった。「クリスマス会」に「お誕生会」、「お楽しみ会」なんてのもあったな。当時はまだまだ貧しい時代で、ケーキが御馳走だった。クリスマスや誕生日など、何か行事が無いと口に入らなかったのだ。

 

自分の誕生日のお祝いだけなら年に1回だが、友人同士「お誕生会」を開いて、各自の家を回れば、例えば5人グループだったら5回ケーキが食べられる。

親だって、自分の子供が御馳走になっているのだし、子供の大事な友人だし、歓待しないわけがない。

 

あれは子供のささやかな知恵、だったのかもしれないなぁ。

 

 

クリスマスだけじゃない。若い頃、12月は1年で一番楽しい、嬉しい時だった。どちらかと言えば地味系な私だったけれど、それでも年の瀬は飲み会やら忘年会やら、何かと楽しいお誘いが増える。

 

街もイルミネーションで華やぐし、何となく街全体がウキウキしている。買い物やら新しい年の準備やら、本当にそわそわウキウキしながら過ごしていたものだ・・・・・ああ、あの頃が懐かしい。

 

 

今?! 12月なんざ、永遠に来るな!! と言いたいね。いや~、変われば変わるもんですよ、だって大掃除やら新年の準備やら、やること満載。何より大掃除が死ぬほどイヤ。

 

何しろ、レックス家は何度も言うけど、昭和ど真ん中な古くてデカい家。この古いと言うところがクセモノで。古い家というのは掃除がやりにくい。しかも汚れは年季が入っている。場所によっちゃ、ほこりが地層になってますがな、あんさん。

 

そこへ持ってきて、デカい。窓もやたら多くて、窓ガラス掃除がもう、大変。今の家って、窓少ないじゃないすか。レックス家は面積にすれば今の普通の家のざっと5,6倍の窓磨きが待っている。もっと多いかも・・・・・。

 

ま~、年々手抜きになっていることは否めないが、それにしてもこの大掃除が私の頭痛の種である。

もう、これを考えただけで憂鬱で。

 

「クリスマス、何もやることなくてぇ~」

 なんて言っているそこのあなた! やることがないと嘆いていられるのは、幸せなことなのだよ!(おばさんの悲痛な叫び

 

 

しかしながら、何しろ「明日できることは今日やるな」なこのアタシ、無理はしないがモットーなので、やれるところまでしかやりませんが。

 

とりあえず、今年も無事に母と年を越せそうなのはありがたいことです。

 

結局正月は、母を家に連れて帰ることにしました。ベッドが無いのでおむつ交換が難しく、3時間ほどの短時間の滞在になるでしょうが。いろいろ考えたけれど、やはり母にとってはこの古くてボロい家が一番大切な場所なのだと思う。車イスをこの家に入れることに一抹の不安はあるけれど、

 
まあ、何とかなるさ

 と思うことにしている。そう、案ずるより産むがやすし、何とかなる。

 

とりあえず、明日は大掃除のスパートとおせちの仕込み。と言っても煮しめときんぴらしか作らないけれど(あとは買っちゃいます)。
 
 
 
 
もうひと踏ん張り、がんばろう!







2018年12月21日金曜日

思い込みがその人を作ってしまう・・・・・・こともある


 
 
 
 
例のお休みをしていた同僚パートさんだが、その後またきちんと出勤し出した。

 

エライ!!

 

私なら、

「何よ、きちんと話したのにこんなことして、もうこのまま辞めてやる!!」

 となるところだ。

 

もちろん、相変わらず他の部署にヘルプに行かされている。しかも、ちょくちょくあの正社員オヤジに呼び出されて、何やらごしゃごしゃ話をされているらしい。

 

ひとこと言わせてもらおう。

 

いやがらせか!?」

 

 

ったく、これに限らずウチの会社の社員さん達、何を考えているのか分からないことが多すぎる。

 

以前にも話したが、ウチの会社、何かとパートたちに格差をつけたがる。ミス率を集計し、平均以下の人たちと平均以上の人たちの仕事を分けたり、ある特定の仕事を一部の人だけに教えてやらせたり、まあ、いろいろだ(私のようにミス率は平均以下でも、扱いはミス率平均以上の人たちよりも悪かったりする場合もあるがwww)。

 

 

で、見ていると一部の人たちには手取り足取り丁寧にいろいろな仕事を教え、もう一方の人たちには単純作業を集中的にやらせるということをやっている。

 

でも、こんなことをしていたのでは、両者の差はますます開くばかり、だと思うんだけどね。つまり、何が言いたいかと言うと、この人は仕事ができる(あるいはできてほしい)、この人は仕事ができない(あるいはできなくともかまわない)と思う、いや思い込むと、もうその思い込みにしたがって全てのことを運んでいく、と。 





まあ、こういうことは社会には掃いて捨てるほどあるんだろうけどね。

 

 

私は以前、通信教育で心理学を勉強していた。その心理学の実験に、こんなものがあった。確か、アメリカで行われた実験だったと思う。このアメリカというヤツ、日頃「人権、人権」とお題目のように唱えている割には、人権をまるで無視したような実に面白い心理実験を多々行ってくれているイキな国だ。まぁ~、こいつはおそらく日本じゃ、できねぇだろうなぁ~、という実験がわんさかある。

 

「やっぱりこいつら、人権と言うのは表向きだけだな

 
いや、褒め言葉(?)です、実に楽しい、面白い実験てんこ盛りですよ、暇があったら見てみて下さい。

第一、人間の本性なんて、極限状態に置かなきゃ、分かるもんか、とさるエライ心理学者も言ってました、ハイ(決して私の独断と偏見じゃありませんから)。

 

それはともかく。

 

で、実験ですよ。ある心理学の実験でこんなことが行われた。学力のほとんど同じ生徒を2つのグループに分け、同じ先生に同じことを教えてもらった。ただ一つ違う点は、先生にグループAは「学力の高い子供達」だと教え、もう一方のBは「平均以下の子供達」と伝えたことだ。結果どうなったか。グループAの子供たちの学力は向上し、Bの子供たちは向上しなかった・・・・・・。

 

つまり、教える側の気持ちひとつで結果(効果)に差が出る、ということが立証されたわけだ。

 

 

だからね、ウチの会社の様子を見ていると、このまま、社員たちの思い込みや思惑通りに進んで行くのだろうな、と・・・・・。

それで、お前らは仕事ができないって言われてもねぇ・・・・・
 


まあ、私なんかは年も年だし、

「そうは言っても、(社員に)気に入られるのもそれはそれで大変そうだな」

 とも思うし、

「好きにしたまえ」

 なのだが、やはり釈然としないものはある。

「こんなことやっている暇があったら、もう少し他にやることあるんじゃないの!?」

 とつい言いたくなってしまうのさ。

 

 

私なんかはすぐに次の仕事なんか見つけられないし、見つけないと次には行けないし、まだまだここで我慢するしかないのだが、例の辞める予定のパートさんにはがんばってもっと良い職場を見つけてもらいたいものだ、と思わずにはいられない。




頑張れー!!




(それにしても、子供たちに与える影響という点から見ると、この実験は考えさせられるね。先生と呼ばれる方々には、どうか先入観なしに子供の能力を伸ばして行ってもらいたいものだと思う)





 

2018年12月19日水曜日

介護者にとって悩ましい行事・・・・・お正月がやって来る


 
 
 
母が特養に入所してからのここ2年というもの、正月には家で姉一家も招き、団らんのひと時を過ごしてもらうことにしていた。とは言え、もはや介護ベッドは返却してしまったので(在宅介護と施設介護は併用できない)、母に泊まってもらう訳にはいかない。いつも夕方の4時ごろには施設に送って行くのがならいだった。

 

今年の正月までは、高齢者用のステップと手すりを使って、何とか母を家に上げることが出来ていた。トイレも私が介助すれば何とか使用することが出来た。しかし・・・・・

 

問題は来春の正月である。今の母は歩行器を使っても全く歩くことが出来ない。それどころか、施設に会いに行くと、車イスにも座らずいつもベッドに寝てばかりいる。私が行くと起き出すのだが、車イスに座らせるのも一苦労だ。トイレは全く使用できない。全ておむつ利用だ。
 
 

 

「これで、例え短時間とは言え、家に帰すことができるのかな」

 というのが、目下の私の悩みである。
 


 
 
我が家は昭和ど真ん中の、古い家である。段差もあるし、何より家の中に母を無事に入れることができるだろうか。
どちらにしろ車イスごと入れるしかないのだが、バリアフリーのマンションならいざ知らず、この玄関で、この家で、車イスをどうやって入れたらいいのか・・・・。
 
義兄や甥に頼んで、車イスごと持ち上げてもらって入れるという手もあるのだが、義兄は以前に腰を痛めているので、何かあったらと思うと、どうも二の足を踏んでしまう。

それに、もしよろめきでもしたら、母にとっても危ない。レックス、亡くなった父譲りの小心さで(父はノミの心臓だった・・・・・ちなみに母は象の心臓)、悪い方へ、悪い方へと考えてしまう。どうしても安全策を取りたくなってしまうのだ。

持って生まれた性格だから仕方ないけどな。
  






本当に、あの入院の2週間、あの2週間がどんなに大きな壁となって、立ちはだかっていることか

高齢者にとってはもはや取り返すことができない2週間なのだ。


 

 
 
 
それでは近所のファミレスか何かで皆で食事するというのはどうだろう、とも思う。しかしこちらも、
「車イスに座ったまま、問題なく食事ができるかな?」
 という問題がある。通路が狭いと、車イスをテーブルに固定できない。
 
また、母は現在刻み食を摂っているので、母に食べられそうなメニューがあるかどうかも気になるところだ。とりあえず、目星をつけているファミレスに行ってみて、車イスでも大丈夫かどうか、どのようなメニューがあるか、確認してみるつもりだが。
 
 
 
今年も去年も、母は正月、家に帰って来た。しかし、その日のうちに里帰りしたことを忘れてしまい、施設に帰ったそばから、
「お母さん、いつ(家に)帰れるの?」
 と聞いてきた。
ああ、あんな短い時間では、自分の家に帰ったこともすぐに忘れてしまうのだな、と思っていた。
 
そんな母なのに、この間施設に会いに行った時、不意に、
「お母さん、少し(家に)帰るの、いつ?」
 と聞いてきたのだ。この頃は私が会いに行っても、すぐには私と分からない。他に訪ねてくる人もほとんどないのに、しばらくぼんやりと私の顔をながめてから、ようやく、
「レックスちゃん?」
 と聞いてくる。しかし、正月の短時間の里帰りは、認知症である母の記憶の隅に、しっかりと残っていたのだ。
 
母にとって、やはりこの古くてボロい家は、世界上のどこよりも帰りたい場所なのだ。他のどんな場所よりもここが一番! 何だか、たまらなく切なかった。
 

 
認知症になると何も分からなくなる、何も感じなくなる、と考えている方がまだ時折見受けられる。しかし、それは間違いだ。意思もあるし感情もあるのだ。人間の「思い」が消えることはない。
 
 
だんだん近づいてくる正月の予定が、未だに決められない私である。




 

 
 
 

2018年12月15日土曜日

レックス、新たなるアンチエイジング法を発見する!?


 
 
意を決してレックスが新たに始めた習い事、それは・・・・・・「朗読」。
カルチャー・センターの朗読講座に通い始めたのだ。

 

実はレックス、小学校・中学校・高校とずっとほめられ続けてきた数少ないものが、「音読」。

「レックスさんは、本を読むのが上手ですね」

「レックスさん、お手本で読んでみてください」

 などと、よくおだてられてはせっせと木に登っていたものだ(ブタもおだてりゃ、木に登る)。

 

で、何か新たにボランティアというかサークル活動というか、そんなものを始めたいなと思い立った時、ふと頭に浮かんだのがコレだった。

「私の唯一の特技(?)を生かして、私のこの声で未来を担う子供たちに夢と希望をプレゼントするのよ!」
 なんてな。すなわち、俗に言う「読み聞かせ」ですよ。なんとなくワイワイとしたノリも楽しそうだし(こっちが本音かも)。

 

しかし、何しろ小学校時代にいくらほめられようと、そんなものはるか忘却の彼方、半世紀近くも昔の話である。この年になってまるで素人、というのではいくらボランティアでも相手にしてもらえないのではないだろうか、子育て経験もないしなあ・・・・・・

 

朗読を習おう!!」

 

いくら年でも、子育て経験が無くとも、
「朗読を習ってまして」
 と言えば、快く迎えてもらえるのではないだろうか。ちょうど何かお稽古事をしたいと思っていたところでもある。そこで目についた某カルチャーセンターの朗読講座に申し込んだのだった。

 

朗読って、実はよく分かんないけど、まあ習っていればそのうちいくらか上手になるだろう、そうしたらカルチャーセンターの方は止めて、「読み聞かせの会」にでも入ろうかなぁ、と相変わらず能天気に考えていたレックス。

 

その朗読講座を始めてからはや5ヶ月ほどが過ぎたけれど、う~ん、今一つ上達の実感がわかない。先生は当たり障りなく褒めてはくれるけれど、まあ、サービスの一環というヤツで、ちょっと眉唾である。あちらも一応、人気商売。
 
ワハハ、どうも年を取ると根がひねくれていけねーや。


 

ま、カルチャー・センターだし、楽しければそれで良し、と考えることにしている。ただ、元々私のねらいは朗読を極めることよりも、あくまで「読み聞かせの会」に入ることなので、目下のところ適当な団体が全然見つからないのが、悩みの種だ。
 




ところで、朗読講座の先生、御年89歳になられます。が、朗読を生業にされているだけあって、さすが声にハリがあり、滑舌もしっかりとされている。来年90歳になろうというのに、腰もしゃんとしていて、頭もしっかりされている。

 

そう、とっても若々しいのである
 
先生もどうやら、それがご自慢らしく、
 
「女の方はともかく、男の人は年を取ると声がおじいさんの声になってしまうのですが、私はこういう仕事をしているせいか、先生の声は若い方の声みたいですね、とよく言われます」
 とまんざらでもないご様子。
 
いや、その辺の若いヤツより、よっぽどしっかりはっきりしている。顔の色つやも良いし。
 
で、思ったんですよ。
 
「朗読って、もしかしてアンチエイジングに良いのでは!?」
 
 
これは私の単なる思いつきというわけでもない。最近読んだ本によれば、声を出して本を読むことは、脳のある部分を活性化するのだそうだ。

それに、朗読では大きな口を開けて発声練習をする。普通に会話しているだけではあまり使わない表情筋を総動員するので、シワの予防にもつながるのではないか!?

第一、このアンチエイジング法なら副作用もゼロ。安全なこと、この上ない。


何だか最近は肝心の朗読の上達よりも、

「これは老化防止にいいかもよ!?」
 
  とそっちの方に色気を見せている、レックスなのである。