2018年1月28日日曜日

井の中の蛙、それは私・・・・・・


ハロワでこじんまりとした会社をねらって数件受け続け、(見事に)全て落とされたレックス、無い知恵を絞り、少し方向性を変えてみることにした。

 

私が母の介護で離職するまで、同じ会社でぬくぬくと20年もの長きにわたり事務仕事をしていた間に、就活状況はすっかり様変わりしていた。以前はハロワや新聞、口コミや縁故が、その主な就活法だった。

しかし、今や就職試験までネットを利用する時代、ここはひとつ、ネット就活を試みる必要がある。

 

「そうよ、これからはネットよ!?」

 ってなわけで、就活サイトをなめるように眺めてみたが、私を採ってくれそうな所を物色するのは中々に難しい。しかもこのおばさんは、

「もうフルタイムは絶対無理。これからはセミリタイアの時代だよね」

などと寝言こいているものだから、なおさらである。

そこで誰もが考える基本的な手段、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式に出たのだが、その玉は遠慮なく、規則正しく返されてくる。

「う~む・・・・・・」

 やはり、世の中、甘くはない。

 

今ならもっと正しく自分の立ち位置を把握できるが、当時はまだ自分の置かれている状態を認識できていなかった。何しろ、久々の就活であるうえ、典型的な井の中の蛙、ま、ぶっちゃけて言えば、「身の程知らず」なレックスおばさんだったのである。

 

ところで、私の若い頃は正社員が基本的な働き方だった。派遣で働くのは限定された職種や立場の、一部の人達だけだったのである。だから、私の中で無意識のうちに「派遣というのは不安定で、環境が良くない」という思い込みがあったのである。

「やっぱりパートでも派遣より直接雇用の方がいいよね」

 しかし、背に腹は代えられない。私は就活サイトで年中募集している派遣募集の一つに、応募してみることにしたのだった。

 

それは、コールセンターだった。さすがに鈍くて身の程知らずな私でも、

「やっぱりどんなに小さい事務所でも、50代後半のブランクありありのおばさんを、事務で雇う所はない」

 ということに気づきだしたのである(エライ、エライ?!)。

「コールセンターだったら顔が出ないし、タイピングぐらいなら私にもできるし。ここいっつも募集しているから、きっと人がいないんだと思うし♪ でも、ちょっと駅から遠いのが難点だなぁ」

 とまあ、半分受かったような気でいた。

 

簡単な筆記テストとタイピングテスト、面接は無事に終わったのだが、やはり、と言うか、当然というか、結果は・・・・・・もはやお分かりのことと思う。

 

「いつも募集しているからと言って、誰でも採るというわけではない」

就活の現実を一つ、お勉強したレックスだった。
(ってゆーか、当たり前のことなんだけどね)

 

 

2018年1月22日月曜日

人生いろいろ、会社もイロイロ


こうして就活をしていると、様々な会社に出会う。落とされてしまったけれど何となく感じが良い会社、落とされて良かった! などと内心安堵したくなる会社など、それこそピンキリだ。

 

そこで、だ。

こんなオババの就活ブログを企業の人事関係者の方が見ているとは思えないが、一つ言っておきたいことがある。

求職者は、あなたの部下でもなければ、親族家族でもない。就職が決まるまでは、あくまで第三者、言ってみれば「お客さん」である。

この辺りを理解していない人・企業が多すぎるように思う。

 

私がよく自分に言い聞かせていることがある。

「採用するかどうかはあちらが決めること。しかし、面接では私とあちらはあくまで対等なのだ。採用が決まるまでは私はこの会社の社員じゃない」

正論だと思うんだけどね。

 

「こんなヤツ、使えねぇ、落とそう」

 という決断を下すのは、あちらのなさることだが、だからと言って失礼な態度をとられる覚えはない。採用が決まるまでは私はあくまで「お客様」なのだ。

 

やはり、この辺りの意識が徹底されている所は、きちんとしている会社、と言えるのではないだろうか。中には、不採用通知すらよこさない所もある。封書が面倒なら、メールの1つも出せば良いのに、と思う。

 

これまで落とされ続けた受け続けてきた40+αの中に、ウンセリング関連の所があった。私は、心理学を勉強したことがあり、認定心理士の資格を持っている。で、

「ここなら何とかなるかな」

 と色気を出してポチしたのだが、なしのつぶて・・・・・。

 

人の気持ちに寄り添うのがお仕事のはずなのに、これはないよね。

「どんなに困ったことや落ち込むことがあっても、ここでカウンセリングを受けるのは、絶対にやめよう!」

 と心に誓った、秋の夕暮だったとさ。(この時はまだ秋だったんだよ・・・・・)

2018年1月21日日曜日

捨てる神あれば、拾う神あり


さて、整形クリニック(not美容整形)から紹介された2つの病院のうち、どちらにするか、という問題に直面した我ら一族、早急な決断を迫られる中、親族会議を開催した。と言っても私と姉だけだけど。

 

病院A、ここは名前も通っており、古くからある病院である。この辺りの人は「病院」というと、ここにかかる。ただし、患者数が多く、その看護内容は必ずしも「至れり尽くせり」というわけにはいかない。また、レックス家からのアクセスもイマイチである。

 

病院B、ここは何と言ってもレックス家から抜群に近い。歩いても10分とちょっと。姉の家からも自転車で10分ぐらい。車の運転ができないアナログなレックス姉妹にとっては、願ったりかなったりのロケーションである。

ただし、この病院は必ずしも評判が良い、というわけではない。事実、内科を受診した姉の話では、

「何だか不親切だったんだよね~」

 とのこと。

 

いろいろ考えた挙句、出した結論は「近い方がいいだろう」だった。

 

ところが、である。やはり母の仁徳というか悪運というか、その強さはここでもいかんなく発揮された。何とこの病院、他の科はともかく、整形外科だけは抜群に評判が良かったのである。う~ん、さすが昭和一桁生まれは強い!

 

そんなわけで安易な選択をしたレックス姉妹だったが、この選択はどんぴしゃりとなってくれたのだった。

 

が、一難去ってまた一難、受診の結果母の骨折が判明し、手術が必要となったのだが、その時病院は満床だったのである。このまま動けない母を家に置いておくわけにもいかず、さりとて私にはどうしようもない。ここでレックス、一世一代の泣き落とし戦略に打って出た。

 

幼いころから「可愛げのないヤツ」で通っていたこの私であったが、ここは「母の身を案じる健気で可哀そうな娘」になり切って、医師の良心に訴えたのである。いや~、我ながら大衆演劇の準スター並みの名演技であった(と思う)。人間、やればできるものだ。

 

それが功を奏したのか、もともと優しい先生だったのか、先生の尽力で何とか特別室を空けていただけることになった。入院できると知った時は、本当に全身の力が抜ける思いだった。この際、差額ベッド代など二の次である(後でちょっと痛かったけれど・・・・・)。

 

おかげで、次の日はそれまでの疲れが一気に出て、一日起き上がることができなかった。

 

しかし、本当の「修羅場」は、この先だったのである。
 
 
 
*なお、同じように高齢のご両親の入院先探しの参考までに一言。やはり病院は近いというか通いやすい所が良いと思う。
もちろん病院の設備や力量も重要だが、「すぐ行ける」という点も見逃せないポイントだ。これが私の実感である。

2018年1月19日金曜日

君は「川口浩探検隊」を知っているか


昔、昔、その昔、私が子供だった頃、川口浩という名の俳優がいた。たしか、父が高名な作家、母が同じく名の通った女優ということで、ま、言ってみれば芸能界の「サラブレッド」的な人、であった(と思う)。

 

ただ、私が川口浩を見始めた頃にはすでに盛りは過ぎており、私の記憶の中の川口浩は「ちょっとパッとしないおじさん」というイメージであった(ファンの方、ごめんなさい)。

 

で、本題。

そんな川口浩の主演(?)番組の一つに、この「川口浩探検隊」があったのだ。これは、もちろんドラマではなく、どちらかと言えばドキュメンタリーに属する番組だった。しかしながら、その実態は限りなくフィクションとの境目がファジーで、いわば「ドキュメンタリー界のプロレス(意味不)」といったような内容だったのである。

 

その主な内容はと言えば、例えば、川口浩を隊長とするスタッフ一団が、南米のジャングルの奥地に幻の大蛇を探しに出かける、あわや探検隊の運命やいかに!? と言ったようなものが多かった(ように思う)。まさに昭和の香り芬々たる、胡散臭さ満載の素敵な番組だったのである。

 

この手の番組の常として、やたらリアクションと効果音だけはデカかった。「おお!」とか、「ジャジャーン」とか、全員のけぞって逃げるとか、いろいろアリだった(ように思う)。詳しいことは全て忘れてしまったが、そんな声を聴きながら、テレビの前の私たちは「ついに幻の大蛇が現れたか!?」と胸を躍らせたものである。

 

しかしながら、この手の番組の常として、「結局のところ、真実は藪の中」というのがお決まりのパターンだった(ように思う)。河童探しやツチノコ探索に近いものがあったよなぁ。

 

なぜに今このような話を急にしたのかと言うと、私は普段地上波をほとんど見ずに、ケーブルテレビばかりを見ているのだが、アメリカの番組にこの手のものが非常に多いのである。

いわく、「モンスターを探せ!」などなど、見るたびに、

「これって“川口浩探検隊”のアメリカ版じゃん!」

 と、心の中で突込みを入れていた。

 

私は長い間、「川口浩探検隊」を「昭和的要素の集大成」と思っていたのだが、実はアメリカの「モンスターを探せ」的番組の先駆けだったのである。川口浩もスタッフも、非常に先見の明があったと言わざるを得ない。

 

今、「川口浩探検隊」を見たら、案外懐かしさよりも新しさを感じるのだろうか、とちょっとそんな気もしているのである(んなわけねーか)。

 

で、結論。やっぱり昭和は良かったのう、ふぉっふぉっふぉ!

2018年1月8日月曜日

ったく、役所ってやつぁ・・・・・


「私みたいなおばさんを雇ってくれそうなのは、やっぱり小さな会社よね!」

 とまあ、こじんまり(としているであろう)会社を受けて、見事撃沈したレックス、次に打った手は、「公共機関」だった。某地元お役所関係の事務補助作業の求人に目をつけ、またまた頼みの綱であるハロワを通じ、早速申し込んだのである。

 

ところで、私の地元のお役所は、大変に古い建物である。建て替えを検討しているらしいが、未だその計画は実現しておらず、何と言うか非常に昭和な香り漂う、古式ゆかしい(?)職場環境だ。

 

もっとも、建て替えに使われる金は元をただせば我々の税金だ! と考えると、これもまたよろしい、と思えるのである。

 

さて、そんな少々雑然とした事務所にいそいそと面接に赴いたのだが、そこで私は衝撃の事実を知ってしまったのである。なんと! お役所関係の事務補助パートは、2年を超えて雇用はできない、と言うではないか。

 

常日頃、

「機会均等、年齢性別関係なく全ての求職者に門戸を開け!」

と音頭をとっているお役所が、これはまた何ともご無体な話ではないか。

 

そうそう、話はそれるが、以前無職者のテント村が話題になった時、マスコミが盛んに「職を求める人達に手を差し伸べろ!」とキャンペーンを行っていた。その時に、

「だったらテメーらの会社でまずは雇えや!」

と思ったのは、私だけではあるまい。

 

ともかく、2年経ってはいそれまでよ、では(私の年齢から考えて)さらに厳しい就活環境に置かれてしまうのは避けられない。
 
こちらからご辞退申し上げて、交通費をドブに捨ててしまうという悲惨な結果になってしまった。

 

まったくもって、どうもやることなすことボタンの掛け違え感の否めないレックスだった。  

2018年1月1日月曜日

明けまして、おめでとうございます!!

  
皆様、良いお年を迎えていますか~!?

 

さて、ずいぶんと間があいてしまった我がブログだが、まあ、別に人がわんさか訪れる、というものではないので、別にいいかぁ~、と思っているうちに、年も明けてしまった。

 

というのも、実は去年も終わりのどん詰まりになって、やっと仕事が見つかりまして。久々の仕事に老体にムチ打つ毎日の中、中々ブログまでは手が回らなかったのだ。

 

普通なら、ここで

「おめでとう!>自分!! 祝・万歳三唱!!」

といきたいところなのだが、この仕事というのが何ともかんとも「う~む・・・・・(微妙)」なもので・・・・。あと少なくとも78年は働く気満々な私からすると、どうにも心もとない。(78年は働く気満々だが、フルタイムは勘弁というセミリタイア希望な贅沢者)

つまり、いかにも

「腰を落ち着けて長く働く環境じゃないよね~」

的な。

 

まあ、そうだよな~、50代後半、しかもブランクが45年のロートルを雇ってくれる所なんて、やはり理想的な環境というわけにはいくまい。誰もが働きたくなる所だったら、誰が好き好んでこんなおばさんを雇うものか。世の中、それほど甘くはない。

 

私としては雇ってもらって感謝しているのだが、先は不透明である。ただ、あの9ヵ月にもわたる悪夢の職探しを、またまたここで繰り返す根性も体力も、私にはない。それに、始めたところでもっといい仕事が見つかる保証はナッシング

 

というわけで、当分はここで粘れるだけ粘るつもりだ。とは言え、いつでもフットワークは軽くしておきたいので、仕事に対するアンテナは張っておこうと思う。あの職探し期間中の体験やら経験も、今後の教訓とすべく、ここにこれからも書いていきたいと考えている。自分の覚書として。

 

ま、とりあえず今は仕事に慣れることだな(実はすでに落ちこぼれ気味)。

 

今年が私にとってもこれをご覧の皆様にとっても、そして日本にとっても、良い年でありますように!!