2020年9月28日月曜日

悩めるお年頃

 


最近、仕事に行くのが憂鬱で仕方がない。特にレックスは週3勤務なので、連休になることがわりと多いわけだ。それはそれで「やっほー!!」なのだが、その連休が終わる時、これがまたウツで。連休最後の日の夜なんて、中々寝付けなかったりするからね。イヤな授業を明日に控えた小学生みたい。

 

別に職場でいじめられているわけではないし(浮いてるけどなwww)、ハブかれているわけでもない(特に親しくしている人もいないけどよwww)。正社員オヤジには相変わらず差別されているが、以前ほどではないし、最近はこちらの方が「勝手にしろ」と悟りの境地に達している。それに、あのオヤジに気に入られるのも考えもので、「ま、私のようにあまりオヤジの目に入らないぐらいがちょうどいいかも」とも思うわけで。

 

そんなこんなで、特に職場で何か特別イヤなことがあるわけではない。

 

だから、自分に言い聞かせている。

「もっとイヤな職場、キツイ仕事はいくらでもある。意地悪な先輩がいるとか、重いものを持たされるとか、急かされるとか、そんなことがあるわけでもない。ここを辞めて他の仕事を探したとしても、もっと環境が悪くなることだってある。第一、この年で仕事が見つかるかどうか。今の仕事は力仕事でもないし、汚い仕事でもない。エアコンの効いた部屋で座ってできる仕事だ。もうBBAなんだから、贅沢は言えない」

 と・・・・・・

 

でも、何だか段々うんざりきてしまっている自分がいるんだよね~。

 

アタシももはや還暦だ。いったいいくつまで生きられるのか分からないが、そろそろもっと好きなことだけして生きていきたいな、なんて思ってしまう。贅沢なのは分かっているけどね。

 

一応、65才までは何とかかんとか働きたいので、それとなく求人広告には目を通すようにしているのだけど、無いよね~、いい仕事なんて。この年になったらお掃除ぐらいなものだ。今の仕事とお掃除と、いったいどっちがマシいいのだろう、と考えるのだけれど、こればっかりはやってみないと分からないよね。

 

結局、気が小さいんだろうなぁ。後悔するのが恐いのだ、

「こんなことなら辞めなきゃ良かった」

 って。亡くなったレックス父は家族から「蚤の心臓」と陰でささやかれていた小心者だったが、その性質を受け継いでしまったようだ。ちなみにレックス母は「像の心臓」。

 

ったく、悪い所は似るものなんだな。


ああ、働きたくないのに働きたい、この矛盾。お金は欲しいし、社会にも少しは繋がっていたいけど、でも、

「仕事行きたくね~!!」

 ってやつ?!


とかく、悩めるお年頃、なのだ。



2020年9月26日土曜日

なぜか、天気が悪いとネットの接続状況が良いという法則

 


ここんとこ、天気悪いっすね、皆さまいかがお過ごしですか。

 

この前のzoomによる遠隔授業の際、じぇんじぇんネットが切断しなかったので、

「わぁ~い、直った!!」

 と喜んでいたら、ついこの間の連休中には切れまくり、とんだぬか喜びに終わったレックスです。

 

そ、ウチのjcomネット、相変わらず接続が悪い。この間の授業の際、一度も切断しなかったのは、奇跡に近いことだったと知らされる今日この頃。あの時は「ネカフェにでも籠ろうか」とずいぶん迷ったのだが(意見を言わなくちゃいけない授業だったので、一々切断していたのでは欠席扱いになりかねない。欠席になったら、アタシのスクーリング受講料はどうなるの~!? って話だ)、「ええい、ままよ!」と見切り発車してしまったのだ。結果、「めでたし、めでたし」だったのだが、それは単なる偶然だったようで。特にネット環境が改善したわけではなかった。そりゃ、そうだよね、だって何もしてないもん。

 

レックスが観察するに、どうもウチのこの困ったネット環境というか状況には、一定の法則(?)があるみたいだ。というのも、夜間とか天気の悪い時と言うのは、比較的接続状況がいいんだよね。逆に切れまくるのは昼間、それも天気の良い時に多い・・・・・気がする。ほっわーい!?

 

だってさ~、ネットで調べたら、たいていその逆のケースが多いんだよ。皆がよくネットを使う夜とか、天気の悪い時に接続が不安定になることが多いって書いてある。レックス家はどうして天気の良い昼間に悪くなるんだろう。

 

ただ一つ、どこかにjcomのネットは〇〇(名称忘れた)に鳥が止まったりするとネットが切断する、って書いてあって、

「もしかして、これじゃね?」

 と疑っている。ご存じのようにやつらは鳥目。夜は飛べない。天気の悪い日もあまり飛び回ったりはしないだろう。ってことは、ウチのネットの接続状態が不安定になる原因は、鳥ってことなのか!?

 

取り合えず、今一度この形式(皆で意見を言い合う方式)の遠隔授業が控えている。この時にどうするか、未だ思案中だ。天気が悪そうだったら、また見切り発車方式で行こうかと思っているけれど、問題は天気の良い場合。あんまりネカフェは利用したくないんだよな~、コロナとかあるからね~。

 

文明の利器に振り回されているアナログおばさんがここに一人。文明の利器って、便利な反面、妙に不便なこともあるよな~、と思うのはアタシだけだろうか。




2020年9月21日月曜日

やっぱりスクーリングは面白いな

 



世間様では4連休だが、お彼岸ウィークまっさかりのレックスにはあまり関係ないかも、な今週である(って、ちょっと変な日本語)。

 

明日は姉一家と墓参りを予定している。すでに寺からは「金持って来い」郵便が来ており。ま、しょせんはあちらも商売だからな。仕方あるまい。そうでなくとも盆と彼岸ぐらいは墓参りしないとね。

 

ところで、この土日は通信制大学のスクーリングがあった。と言っても、コロナのおかげで例の遠隔授業とやらだ。このところ我が家のネット環境が悪かったので、途中で切れないかとずいぶん心配したのだが、今回は非常にスムースで、最後まで通信状況は良好だった。助かったよ。途中で切れた時のためにスマホも用意していたんだよね。もっとも、スマホも格安プランのせいか、イマイチ通信状況はよろしくない。しょせんこの世は金次第を実感させられる今日この頃だ。

 

今回の授業では私ら生徒が書いた小説を先生や他の生徒が感想を述べあう、というものだったのだが、いや~、冷や汗かいちまったよ。

やっぱりアタシは文芸な人ではない、とつくづく感じてしまった。他の人の書いた小説を読んでいても、あまり建設的な感想が出てこないんだよね。それは皆さんの書いたものがつまらないというより、レックスの文学的才能というか能力が低くてよく分からない、という方が正しい。でもさ~、レックス以外の生徒さんたちはみんな的確な指摘とかするわけですよ、皆さんすごくてね。最初は焦りまくっていたんだけど、途中からは居直ってしまった。

「あまり背伸びして分かったふうなことを言っても仕方ない。思ったまま、感じたままを素直に言おう。その時に、なるべく相手にとって少しでもプラスになるようなことを言えるよう、その点だけ注意しよう」

 とね。レックスはちょっといいかっこしいなところがあるので、すぐに「かっこいいこと言おう」なんて構えてしまう。でも、結局そんなものは付け焼刃にしか過ぎないから、自分にも相手にも意味がない。背伸びしないで、あるがままの自分を受け入れてやらないと、何も始まらないからね。

 

で、肝心のレックスの小説。実はレックス、自分の書いたものがどの程度のものなのか、全く分からない。あまり面白くないと思うんだけど、まあ、その辺りは素人が書くものだから当たり前と言えば当たり前だ。

レックスは文学的才能とか文学的興味とかにはあまり縁がないヤツで、そんなヤツがどうして芸大の文芸コースを選んだかと言えば、理由は二つだ。

一つは文章の書き方を基礎から学ぶこと。

あと一つは自分が長い間イメージしている小説のネタを形にすること。二つあるんだけど、二つともイメージはあれど、全く形にはなっていない。これをどうしても形にしたい。書かずに死ねるか、ってやつだ。別に形にしたところで発表する(できる)予定はないけど。今回大学に出したのはその二つのうちの一つの一部分だ。

 

だから、レックスが小説を書いたのはこの大学に入って初めて、それも課題で書いたものだけだ。そのレックスが書くときに心がけていることはまたまた二つしかない。

一つ、正しい日本語で書かれているか。

二つ、読んだ人に分かりやすいものか。

だからさ~、文学的か、とかそんなものはもう、入る余地もないというか、そこまでいくのもそもそも無理というか。

 

~、だから今回、皆さんや先生からの感想をかなり心配していたのだが(あまりに他の方々の作品と比べて劣悪で、どう言えばいいのか皆さんが困っちまう、とかさ)、どうもそれは心配のし過ぎだったようだ。先生からも他の皆様からもそれなりに意見をもらえて、少し安心した。ただし、レックスあまりに緊張していたものだから、せっかく皆様からいただいた意見・感想をほとんど覚えていなくて。それというのも、レックスの前に発表した人がすごくデキが良くて、皆さんや先生から絶賛の嵐だったので、

「うげげ、どうしよう、この人の後なんて落差が激しすぎやしないか!?」

とびびってしまったんだよね。ったく、何のためのスクーリングだったのか。バカバカ、アタシのバカ!?

 

まあ、やっちまったものは仕方ねぇ。次回までに今回のものを書き直してまたまた提出しないといけないんだけど、う~、前途多難だ。

本当にアタシ、書けるのかな?

相変わらず自分の書いたもの、面白くないし。

 

そうそう、今回意外だったのは、レックスが書きたいのはもちろんホラー&ミステリーなのだが、ストーリーの途中までだったせいか、何人かの方が、

「恋愛小説かと思った・・・・」

 と・・・・・。ありえねぇし。アタシの辞書に「レンアイ」の文字はない。ってか、まずいな。もう少しホラー色を出さないとね。あんまりホラーホラーしているホラーは好きじゃないから、ついね。どちらかと言えば、レックスは心理的なホラーが好きだから。

 

まあ、結局はアタシの文才の無さなんだけど。

でも、今回はネットの通信状況もよく、思った以上に楽しいスクーリングだった。疲れたけど。こんなことなら、もっとスクーリング申し込んでおけばよかったな。




2020年9月17日木曜日

孤独死が「不幸」「みじめ」と言うけれど、死んだ本人にしか分からないよね

 



最近はもっぱらテレビは見ずに、youtubeばかり見ているレックスです。このところのお気に入りは「ゾゾゾ」。ご存じの方、いるかしら。まあ、ぶっちゃけて言えば「心霊スポット取材番組」なのだが。そ、レックスの好きなホラー・オカルト系。でも、この「ゾゾゾ」はけっこうお笑い入っているというか、そこまで「心霊心霊」していないところが気に入っている。出演者が自然体なんだよね。面白いから、興味がある人は見てみてちょ。

 

ただ、レックス、ホラー&オカルト好きなおばさんだが、心霊スポットに自分が行くのはノー・サンキューなのだ。ああいう所はあまり面白がって行くのはいかがなものかと思う。幽霊がどうのこうのと言うより、心霊スポットと言われている所って、もともと気の流れみたいなものが悪い場所なんだと思うんだよね。そういう所に好んで足を運ぶと、自分自身の「気」とか「運気」みたいなものも濁ってくると思うので、興味本位で行くことはあまりお勧めはできない。

 

さて、松原タニシ原作の「事故物件・恐い間取り」を見ていてちょっと感じたことを。松原タニシの影響か、最近よく「事故物件」という言葉を耳にする。が、ことさらに「事故物件」を強調するのも、いかがなものかと思う。松原タニシも言っていたけど、「事故物件」だからと言って、そこが特別というわけではないんだよね。考えてみれば、家は人が生まれて死ぬ所、なわけで。

 

今はほとんどの人が病院で亡くなるから、あまりピンとはこないだろうけど、レックスが子供の頃は家で亡くなる人も少しはいた。それに、葬式はほとんどの家庭が自分の家でやったから、今よりもずっと「死」が身近にあった。そもそも人間、生まれた以上は誰でもいつかは死ぬわけで、死ぬことそのものは当たり前のことなのだ。あまり「死」を特別視するのもちょっと違うんじゃないか、と思う。

 

ここで自殺があったんですよ、殺人があったんですよ、孤独死があったんですよ、怖いですね~、いやですね~、そう言って「死」を日常生活からどんどん排除していくことがはたしていいことなのかな、と時々思ってしまう。

 

まあ、そうは言ってもいざ自分が家を買う、借りるとなったら、やっぱり気になってしまうだろうな~、「大島てる」かなんか見てチェックしたりするんだろうな~、とも思うけど、ハハハ。

ま、人間なんざそんなもの。

 

ただね、やはりあまりにも「死」を排除してしまう傾向にある現代生活には、レックスは少し抵抗がある。「生」と「死」は隣りあわせ、「死」を大切にできないと「生」も大切にできないんじゃないのかな~

 

あ、あとね、自分がその可能性があるから言うわけじゃないけれど、ことさら「孤独死」を「不幸」「みじめ」と決めつけるのにも抵抗があるなぁ。そんなの、死んだ人にしか分からないじゃないか。

あれはね、レックスは残された人の「たくらみ」じゃないかと思ってるよ。孤独死が大変なのは、死んだ本人より生きてる人たちだからね。だって、その後始末をしなくちゃいけないから。だから、ことさら「孤独死は怖いんだぞ~」と煽っているのでは、とレックスは睨んでいる。

 

とまあ、相変わらずちょっとおへそが曲がっているレックスでした。




2020年9月13日日曜日

「事故物件・恐い間取り」

 



この間、平日休みを利用して映画を見てきた。

ここのところ、コロナの影響でライブ関連は全てNG。楽しみしていた神田伯山の講談も中止になったし、大衆演劇も歌舞伎も、何となく怖くて(都内に出るのが恐いんだよね、まだ)行けていない。そこで出てきたのが、映画。でも、映画館は両隣が空席の状態で、かなり快適に過ごすことができた。おまけに還暦を迎えたレックス、シニア割引がきくので、お得に見られる。ふっふっふ、年を取ると良いこともあるの~。が、気が大きくなってつい、館内でソフトクリーム食っちまったよ。ま、それはともかく。

 

アタシが見てきたのは「事故物件住みます芸人・松原タニシ」原作の映画化、「事故物件・恐い間取り」。

結論から言うと、まずまず、ってとこかな? ただ、二度見たいとは思わないかな。

 

ホラー好き・怪談好きのレックス、松原タニシのことはよく知っているし、本は読んだことはないが、彼の事故物件でのエピソードはたいてい聞いて知っている。映画は前半部分はかなり松原タニシの体験を忠実に再現していたと思う。主演の亀梨和也も、タニシのちょっとイケてないところ、ダサいところをよく表現していたよね。うん、ちょっと感心した、アイドル系なのによくここまでちゃんと表せたな、と。

 

後半はかなりエンターティンメントな感じで、まあこの辺りは映画だからね、そうなるかもね、と。隣に座っていた若いカップルの男の子が、

「後半はまんまB級だったよね~

 と彼女にしたり顔で言っていたが、チッチッチ、青年よ、それはちょっと違うよ、と。

 

ホラー好きのレックスに言わせると、ホラー映画というものは、その存在自体がB級なのだ。ホラー映画=B級。これが正しい。ついでに言うと、B級映画が劣っているという考え方には賛成しかねる。B級にはB級の良さがあるのだ。コメディと文芸作品を比べて、どちらが優れた映画か、なんて決められないのと同じで。B=二流ではない(とレックスは思っている)。

 

というわけで、そこまで「恐怖のどん底突き落とし映画」ではないし、わりといろんな人が気軽に見れる映画だと思うので、興味のある方にはお勧めしたい。

 

ところで、この映画の原作、松原タニシという芸人さん、事故物件に住み続けることでブレイクした人と言っていい。どこかで聞いたのだけれど、いわゆる「霊出るハウス」に住むと、二手に分かれることがあるらしい。一つは俗に言う霊障に会う人。ま、祟りってやつですか。で、あと一つは逆に運が付く人。松原タニシは明らかに後者だ。

 

これはレックスの偏見だけれど、松原タニシ、確かに事故物件住みます芸人にならなかったら、普通の芸人でいたら、絶対に売れなかったと思う。何と言うのだろう、芸人としてのオーラというのか、華があまり感じられない人なのだ。

だが、事故物件に住み、その怪談テイストの体験談を語る時には、彼の素朴な味わいや芸人としては朴訥な語りが逆に生きてくる。恐がらせようとしていないところもすごく好感が持てるし。

 

ただね~、その松原タニシに影響されてか、二匹目のどじょうを狙ってか、近頃怪談語りに転身する(?)芸人さんをよく見るのだけれど、これはどうなんだろう。あまりいいこととは思えないなぁ。というのも、松原タニシもこれから先、もはや事故物件に住まない時に戻ることはできないような気がするんだよね。つまり、後戻りができない。彼にも「このまま行くんだ」という腹をくくっているようなところが垣間見える。それが彼に一種の凄みを与えていて、今の波につながっているんだと思う。だけど、果たしてそれは芸人として幸せなことなのかな、とちょっと考えてしまう。やっぱり芸人は芸人として成功するのが一番幸せなんじゃないのかな、と。

 

それに、「二匹目のどじょう」狙いの人たち。本当に怪談が好きでやっているのならともかく、売れるためだけに安易に手を出すのは、どうなのかなと思うね。

 

ま、しょせん芸人さんの気持ちは分からないけどね、アタシには。




2020年9月5日土曜日

危ないヤツって、自分が危ないことやっているっていう自覚が無いよね

 



さて、レックスが「日本語教室」ボランティア時代に出会ったヤバイ30代男、仮にWとしておこう、このW。仕事をしていないだけではなく、何かと「?」な言動の多いヤツだった。

 

ある時、「日本語教室」が開かれていた地域でボランティアの集会があった。どういう目的の会だったのか、今ではすっかり忘れてしまったが、いろいろなボランティア活動従事者が集まっていた。

 

レックスもその中の一人だったわけだが、会が始まる前、突如Wから一枚のコピー用紙を渡された。

「ん? 今日使うレジュメか何か?」

 と思っていると、Wが一言。

「これ、僕が高校生の時に〇〇という雑誌に投稿して入選した詩です!」

 

さあ、皆さん、ご一緒に。

 

だから、ナニ!?

 

「え~、そうなんですか~、すご~い!」

 って言うところなんですかね、ここ。目が点になったレックスだったが、そこは大人なので、

「あ~、そうなんですね~

 と無難に対応しておいた。


ところが! である。このW、何とその場に集まった女子高生の皆様にもこれを配って回っているではないか。

「これ、僕が高校生の時に・・・・以下省略」

 いや~、女子高生も困ったろうね、30過ぎのおじさんから訳の分からない詩のコピーもらって。どう対応すればいいのか、分からないよね。

 

Wにはこんなエピソードもある。ある時、「日本語教室」が終わった後で若手のボランティアだけでカラオケに行こう、という話になった。レックスはその日はボランティアを休んでいたので後から聞いたのだが、カラオケに行くメンバーのいずれものが、

「でも、Wさんはちょっとね・・・・・」

 という話になったらしい。が、一人だけ誘わないのも気が引けるし、最寄り駅までは普通に帰って、その後家に帰るふりして、カラオケボックスで直接落ち合おうということになった。

 

うまいこと駅でさよならしてからカラオケボックスに集合したボランティアの面々だったが、ぬわんと! どこでどう嗅ぎつけたのか、みんなで楽しくカラオケに興じていたら、後からWが皆のいる場所を突き止めて、やって来たらしい・・・・怖いよ、アンタ。

 

確かに「日本語教室」があったのは都内でも新宿や池袋のような繁華街では全然なく、典型的な住宅地だったから、カラオケボックスの数もそれほど多くはなかった。だから、一軒一軒当たって行けば見つけることはさほど難しいことではないのだが、それにしても普通、やるかね?

 

もしもレックスだったら、そこまでハブかれたのだったら、皆がどこかへ行くと分かっていたとしても行かないなぁ。だって、みんなはアタシに来てほしくないわけでしょ?  だったら、例え無理に行ったとしても面白くないと思うもの。

ってか、何でみんながカラオケに行くと分かったんだ!?

その洞察力(?)をもっと他のことに振り向ければ、アンタの人生ももう少し違ったかもよ、と思うね、老婆心ながら。

 

そうそう、このW、ちょっと危ないヤツでもあった(今までのエピソードでも十分危ないってか?!)。

ある時、Wがいきなりレックスにこう言ったんだよね。

「レックスさん家って、近くにクリーニング屋さんがありますよね!」

「へ!? (何で知ってるの、こいつ)」

「あと、〇〇もありませんか?」

「・・・・・・(だから、何で知ってるんだよ、お前!)」

「僕、この間行ったんですよ、自転車で・・・・。でも、レックスさんの家、どこか分からなかったなぁ、近くだってことは分かったんだけど」

「・・・・・・・・・!!!」

 よく「悪寒が走る」というが、まさにこういうことなのかとあの時ほど感じたことはない。当時、今ほど個人情報にうるさくなかったこともあって、「日本語教室」ではボランティアの住所録を作っていた。おそらくWはそれを見たに違いない。だって、自分の住所なんてごく一部の人にしか教えてなかったし。

それに、自転車って・・・・Wの家の最寄り駅からレックスの家の最寄り駅まで、電車でも20分以上かかるんだよ!? 

それに、そんなストーカーまがいのことやったって、よく相手に平気な顔で言えるよね!?

ったく、常に斜め上を行くヤツだったぜ。

 

一応、当時はまだ父親も母親も健在で、親と同居だったからそこまで恐ろしくはなかったが、一人暮らしだったら、マジでしゃれにならなかった。引っ越しを考えるレベルだよね。以来徹底的にWを避けまくり、接点を持たないようにした。それが功を奏したのか、その後はアタシに絡んでくることはなかったけど。


ボランティアのリーダー格の人にも、住所録はリーダー以外の人に見られないよう管理してほしい、とお願いしておいた。だって、一人暮らしの若い女性とか、考えたらホラーだ。

 

にしても、だからそのエネルギーを他に使えよ!!

 

そのWも今頃はいい年になったことだろう。アタシとあまり違わない年だからね。まあ、再会したいとは金輪際思わないが(ってか、絶対にヤダ)。