2018年8月28日火曜日

アンチ・エイジングに(今さら)目覚める50代後半♀・・・・


レックス、実は酒が全く飲めない。いわゆる、下戸。若い頃はそれでも友達の付き合いやらコンパやらで、少しは杯を傾ける機会もあったのだが、今では全く、それこそ一滴も飲まなくなってしまった。

 

ところが! どういうわけか周りの人たちからは、

「え~、レックスさん、お酒飲めないの~!? すっごい飲めそうに見える~!!」

 と言われることが、非常に多い。自分では、

「何でやねん!?」

 なのだが、ま、それは他人様が決めることなので、あまり深く考えずに今日まで来た。

 

で、またまた言われてしまったのですよ、今の職場で。

「え~、レックスさん、お酒強そうに見えるよ~」

 ばばあになってもまだそんなこと言われるか、私は。ただですね、その理由がね、

「だって、飲めそうな声してるもん!?」

 こっちこそ、「ええ~!?」である。飲めそうな声って、一体・・・・・。そんなにドラ声ですか、私は。実は、地味にショックを受けてしまった。

 

そうでなくとも、どうも今の職場で、

「もしかして、とんでもなくばばあに見られているか、私は!?」

 と感じることが時々ある・・・・。もちろん、同僚のパートさんたちの中ではおそらく私が一番年上だ(以前に「うふ♪ あの人、わたしと同じぐらいだわ」と勝手に思っていた人が2人ほどいたのだが、2人とも辞めてしまったのさ)。しかし、それにしてもあまりに年上に見える、というのはマズイ(確認したわけではないが・・・・っつーか、恐くて聞けねぇ)。
 
やはり、私もこう見えても女、実年齢より少しでも若く見られたい、というのが本音だ。

 

それに、密かに転職を志しているレックスにとって、老けて見えるのは致命傷だ。ただでさえ忌み嫌われる(?)年齢なのに、老けて見えたら相手にしてもらえないのは火を見るより明らかではないか。

 

そういうわけで、今、真剣にアンチ・エイジングを考えている。あまり、と言うか全然美容に興味のないまま50年以上生きてきてしまったが、遅まきながら私も目覚めた(遅いよ→自分)。

 

そうは言っても、美容の知識も無ければお金もない、おまけにめんどくさがり屋のこのレックス、何から手を付けていいのか、五里霧中だ。

 

とりあえず、今はともかく「適度に肉を付けること」を心がけている。と言っても、甘いものや油ものを多量に摂って太るのは、NGだ。しっかり栄養を摂ってきちんと動く、これだよね、これ。

 

誤解している人が多いけれど、痩せてきれいなのは、若いうちだけである。年を取ったら、ある程度肉がついていた方が断然いい。だから、若い人たちもあまり無理なダイエットはしない方がいいと思うよ。それは絶対に年を取ってからツケが回って来るからね。

 

ただね~、レックス、年を取っているのに、

「若い者には負けません!!」

 と若者に対抗心を燃やして、筋肉もりもりに鍛えている老人、というのはどうも苦手だ。いや、鍛えることそれ自体はいいことなのだがね、何で、65歳が25歳に勝たないといけないか!? と思うのよ。何だか不自然な気がする。60代には60代の、20代には20代の良さがあるのではないだろうか。

 

だから、レックスは今の所、

「規則正しくしっかり食う!」

 としか考えていなくて、でもこれってこれまでの生活とあまり変わりないよね、アンチ・エイジングになりますか、これが!? なんですけど。

 

そうそう、ちなみに私のあこがれは、女優の草笛光子さん! 若作りなどみじんもなくて、年相応の気品と優美さに満ち溢れていながら、若々しくチャーミング。女優としての風格もある。おしゃれで美しい。あの白髪もステキ。あんな風に年を取りたい、という見本のような方だ。

 

ああなるためには単に表面だけを磨いていてもダメだ。やはり、知性も教養も、そして行動する力も必要だよね。そんな内面の力がその人を形作る。

 

そうだ! レックス、

「仕事で差別される!!」

 と嘆いてばかりいてはダメだ!! せっかく正社員の人に比べたら自由時間が多いのだから、もっと自分を磨こう。これからはアンチ・エイジングだぜ! 



目指せ、30年後の草笛光子!?

2018年8月24日金曜日

理想的な介護分担について考えてみた


介護をしている人達の間でよく問題になるのが、



「私ばっかり介護の負担がきて。不公平!!」 

ということである。その裏には、

「相続が均等なのだから、介護の負担も均等であるべきだ」

 という考えがあるだろう。それは確かに正論である。しかしこれはあくまで私の考えなのだが、

介護とはそもそも不公平なもの

 ではないだろうか。

 

我が家の例をあげよう。レックス母は認知症+右大腿部骨折。考えるのも歩くのも不自由なおばあちゃんだ。医者からは、

「介護用ベッド以外では寝ないように!」

 と言い渡されている。

 

さて、ここで「公平な介護」とは、どのようなものか考えてみたい。介護者がたとえ何人いようと、介護される人はどこか一ヶ所に住まなければならない。最も平等な介護をしようと思ったら、被介護者を各家庭に公平に回らせるしかないのだ。長男家に1週間いたら、今度は二男家に1週間、最後は長女家に1週間、と言う具合に。


しかし、例えばレックス母のように介護ベッド以外では寝られなかったりすると、介護ベッドもその都度移動させなければならなくなってしまう。さもなければ、各家庭に1台づつ、介護ベッドを用意するか。それはほとんど不可能である。また、仮にベッドが移動できたとしても、環境が変わるのは高齢者にとって、あまり良いこととは言えない。特に認知症の高齢者の場合、よけいに混乱する可能性が高い。


では、1人の介護者の家に高齢者を住まわせ、他のものは「手伝いに」通えば「公平な介護」になるのだろうか。これはあくまで私の独断と偏見だが、介護とは24時間365日過ごして見なければ分からないモノ、ではないだろうか。外に住んでいて、ちょっと、例えば1週間に233時間かそこら手伝いに来たぐらいでは、中々介護の真の大変さは分からない。

少し手伝うぐらいでは返ってじゃまなこともあるぐらいだ、というのが本音である。いくら親族とは言え、家族以外の人が来ていれば何かとわずらわしい。その人の食事や飲み物の世話もしなければならないし、少し手が空いたからと言ってグダーっと寝転がるわけにもいかない。それがましてや自分の親族ではなく配偶者の親族となれば、心労が増すだけ、ということも珍しくない。そもそも家族以外の人間が家に入ることそのものが、ストレスになる人もいるのだ。


それに、少し手伝ったくらいで、

「私だってやっているんだ!」

 と大きな顔をされるのでは、かえって迷惑だろう。 

また、手伝っている方も家に入れば、
「もっとここはこうすればいいのに」
 とか、
「何でこうするのかな」
 などなど、よけいなことも目について、ひとこと言いたくなったりするものだ。あげく、お互いに感情的にになったりする。

 

だから、私は「公平を期す」ことよりも、「そもそも介護とは不公平なもの」と認識することの方が、大切だと思っている。不公平だからこそ感謝もするし、不公平だからこそ、手を差し伸べるべきポイントも分かるのだ。





ちなみに、レックス姉はほとんど介護要員としては当てにできない人である。在宅介護時代には、私が家を空ける必要がある時にお留守番を頼んだりしたが、今は介護にはノー・タッチだ。その代り、姉は全く口も出さない。私も、一応何かある時には相談するが、最終的な決定は自分が下すと決めているし、決定権は自分にあると思っている。

  
誤解している人がいるのだが、手伝わない代わりに全く口を出さない人と、手伝う代わりにあれこれ口を出す人、どっちがいいかと聞かれれば、前者の方が断然いい。やはり、同居介護と外に住んでいる人間とは、どうしても認識の違いがあるし、外からあれこれ言われるのは、一番つらいことだ。介護とは、同居して共に寝起きして見なければ分からないものがあるのだ。

 

だから、私的には姉がこういう人で本当に良かったと思っている。ウチの場合、母も私の方を頼りにして、かわいがってくれているので、それも助かっている。高齢者というものは、どういうわけか、そばにいて世話をしてくれている人より、外に住んでほとんど顔を出さない子供の方を慕う人がいる。これは、世話をしている人間にとって、実に厄介だ。

 

ここで一つ、介護の掲示板で見た「介護のお手伝いの見本」をご紹介したい。その方はお嫁さんで、お姑さんの介護をしている。外に住んでいるお義姉さんが、

「私はこんなことしかできないから」

 と、お姑さんの病院通いの一切を引き受けてくれているそうだ。私は、これは理想的な「お手伝い」だと思う。

 

経験された方はよく分かると思うが、高齢者の通院の付添は、非常に疲れるものなのだ。しかも時間もかかる。お義姉さんがお姑さんを連れて行ってくれている間、お嫁さんはゆっくり休むこともできるし、溜まった家事を片づけることもできる。家にお義姉さんがいるわけでもないから、気兼ねもいらない。また、実の娘さんだから、お医者様からのお話を聞いてもらうことも問題ない。お姑さんだって、実の娘に会えるのだから嬉しいはずだ。誰にとっても嬉しい「お手伝い」ではないだろうか。

 

事実、そのお嫁さんも非常に感謝していた。

お義姉さんのスタンスがまたいい。

「私はこんなことしかできないから」

 中々言えないセリフですよ、これは。

もちろん、これでも「公平な介護」とは言えない。一緒に住んでいるお嫁さんの方が、はるかに負担は大きいだろう。その「不公平感」をきちんと分かっているからこそ、お義姉さんもそんなセリフが言えるのである。

 

介護とは、どうしたって不公平なものだ。だからこそ、その不公平をどうやって乗り越えるか、それをきちんと見つめないといけないと思う。中々に難しい問題だけどね・・・・・

2018年8月21日火曜日

レックス、再就活を決意!・・・・した時、すれば、したけど・・・・・


社員の冷たい仕打ちに憤り、再び炎の就活(?)を決意したレックスだったが、しかし、

「はて、どんな仕事を選んだらいいのかな」

 となると、首を傾げてしまうのである。

 

自分の希望としては「事務」だ。これは、「どーしても事務の仕事がいい!」というこだわりがあるわけでも、事務仕事が好き、というわけでもない。これまでずっとその手の仕事しかして来なかったし、この年で全く未経験の仕事をするのは、やはり尻込みしてしまうのだ(小心者)。

 

だが、この「事務」というのがクセモノで。

 

母も無事、特養に入所し、一人暮らしにもようやく慣れ、私が社会復帰を決意したのが去年の4月頃だった。やはり、「事務系の仕事」を中心に、ありとあらゆる会社を受けまくって来たのだが、ことごとく落とされてしまう

別に、(自分では)高望みしていたつもりはない。こう言っちゃなんだが、時給のあまり高くない、こじんまりとした会社ばかりを受けてきた。時給が高かったり、規模が大きな会社は私のような人間には見向きもしないだろう、と踏んだからだ。

 

ところが! その時給の高くない、小さな会社にも片っ端から振られてしまう。時間だけはどんどん経つ。にっちもさっちもいかなくなって、半ばヤケになって派遣で受けたのが、今の会社なのである。新しい事務センターを起こすところで、何十人も募集していた。おかげで何とかもぐり込むことが出来たのだ。

 

そこで得た私の結論は、

「私の年ではよほどのスキル人脈が無ければ、普通の事務では雇ってもらえない」

 ということである。むろん、このレックスにそんなものがあるわきゃない。

 

では、私の年で雇ってもらえそうな仕事には、何があるのだろう。

最も可能性のありそうな仕事は、飲食店の厨房掃除だろう。が、実はレックス、手の皮膚がめちゃくちゃ弱い。自分一人の家事をこなすだけでも、ちょっと油断すると手が荒れてしまう。今も医者のお世話になっているくらいだ。洗い場などは到底勤まりそうもない。しかも料理が苦手。調理補助というより、調理妨害になるおそれありあり。

 

掃除はどうかと言えば、レックス、筋金入りの掃除嫌い(一応、自分の家は最低限はやってますが)。今の職場を辞めたい第一の理由は、仕事内容に不満があるからだ。同僚たちは皆いい人なので、環境的には全く不満はない。なのに、わざわざ嫌いな分野の仕事に替わるのでは、全く意味がない。下手をすると、仕事もイヤ、人間関係も最悪、になるかもしれないじゃないか。

 

こんなふうに我がままばかり言っていると考えていくと、

「やっぱりここで我慢すべきかな・・・・・・」

 と気弱になるのも無理ないだろう。

 

ただ、我慢するのはいいとして、今の仕事もあと何年勤まるかな、と考えると心もとないものがあるのだ。PCも使う、というのならともかく、ひたすらPCとにらめっこで黙々とチェックと入力、というのは、今はまだいいとして、60超えたら絶対にキツくなる、と思う。老眼にもなるしさ(すでになっているし)。以前やっていた普通の事務は、当然PCを利用してはいたが、ずっとにらめっこしていたわけではない。

 

今はセミリタイア・モードに入ってはいるが、いや、入っているからこそ、仕事は細く、長く続けたい、と私は思っている。週に3日、2日でいいから、少なくとも65歳、それよりも長く勤められるなら、それもいい。ともかく細々と息長く続けていきたい。細く長くのお付き合いだ(ソーメンの宣伝文句みたいだな)。

しかし、どう考えても、今の仕事を65歳まで続けるのは、無理がある。かと言って、62歳ぐらいで辞めることになったりしたら、今よりさらに仕事は無い。今のうちに「65歳まで働ける仕事」にシフトチェンジするのは、理想と言えば理想だ。

 

そんなこんなで今、私が考えているのが「マンションなどの管理人系」と「子供関係」のお仕事。マンション・コンシェルジュは以前に受けて懲りているので、その手の「横文字的オサレ職種」ではなく、純粋管理的な管理人。これはけっこう高齢者再就職の王道だ。それだけに人気も高そうで、中々に狭き門でもある。

子供関係というのは、レックス心理学を通信教育で勉強したので、それがプラスに働くかも、という下心読みからである。子供関係の仕事(例えば学童保育など)では、心理系の資格は歓迎される。ただね~、歓迎される反面、レックスには大きなマイナス要素もある。そう、子育て経験ナッシング

 

いずれも帯に短し襷に長し、である。もちろん、一番のネックはこの年齢だけど。とりあえず、コツコツと求人広告に目を通していくしか、今は思いつかないなぁ・・・・・(ため息)。がんばれ!>自分!?

2018年8月19日日曜日

くそ~、仕事辞めてやる! と心の中で叫びながら、今日もその1歩が踏み出せない中高年パート1人・・・・


はぁ~、今日は少し愚痴らせてください

 

私の職場が「ミス率」の高低で仕事の種類を決めている、というのは以前にお話ししたと思う。ミス率が高いと、

「Aの仕事はしちゃダメ」

 とか、

「Bだけやって」

 などなど。あと、仕事によって社員から、

「○○さ~ん、これお願い」

 などと名指しで仕事を頼まれることがあるのだが、それもミス率や社員からの受けで変わってくる。

 

で、レックス、実はそのミス率は平均より低い。これは実際に確かめたことだから、間違いない。

 

が、しかし!

 

扱いは平均以下・・・・・・・。私よりミス率が高い人たちより、扱いが悪いんだよね~、私の方が!!

一体、これって・・・・。

 

まあ、多少差別的な扱いをされようと、それはそれで、

「よきにはからえ、好きにしろ」

 なのだが、ミス率が高い(と社員から思われている)人たちが主として頼まれる仕事というのが、めちゃくちゃ単調でつまらない仕事なのだな、これが。1時間も続けてやっていると、頭がボーっとしてくるわ、眠くなるわでけっこうつらい。それを、それだけを、ずーっとやらされるわけですよ。皆で一緒にやればいいのに、

「あなたたちはこっちね」

 という感じで。

 

こちらは少しでもマシな待遇を期待してミス率を下げるべくがんばっているのに、扱いが全く変わらないというのは、正直萎える 

何だか、

おばさんは仕事ができない

 とハナから決めつけられている気がする。さもなければ、

トシだから、多少のことでは辞めないだろう

 と足元を見られている気がありありで。それともその両方なのかもしれない。

 

やっていると腹が立って、そして情けなくなってくる。

それに、たとえミス率が多少高い低いと言っても大した違いはないわけだし、こうした扱いの差をつける、というのはそもそもいかがなものかと思う。そのシステムそのものがイヤらしい。


 

このままもやもやとした気分を抱えたまま、働き続けていいものかどうかと今迷っている。私だって、以前は一応正社員で20年超、まともに働いてきたのだ。そりゃ、大した仕事をしてきたわけじゃない。ごく普通の事務員にしか過ぎない。しかし、小さいとは言え、営業所の一人事務員として、発注から見積もり、電話応対、簡単な経理、伝票発行、売掛・買掛の管理と、一通りの仕事をこなして来たつもりだ。なのに・・・・と考えるのは、やはり60間近の人間には分不相応なことなのだろうか。

 

そんなわけで、毎日、毎日お腹の中で、

「何で、こんな差別されなくちゃいけないんですか!? もっと全員に平等に仕事を回してください!」

という言葉を飲み込んでいる。

 

だが、腹の中でブスブスと怒りを抱えながら毎日を過ごしても、私には全くいいことがない。身体にも心にも悪いし、第一そんなの時間の無駄だ。だって、ゆったりと過ごしたくて、セミリタイアを志して週3日勤務を選んだのだ。それが、毎日仕事のことでカリカリ、イライラするなんて、何のために週3日勤務を選んだのか、分からなくなる。

それに、いくら私が歯ぎしりしようとも、相手は絶対に変わらない。そう、人は自分を変えることは出来ても他人を変えることは出来ない。だから、私が変わるしかないのだ。

 

私が変わるとしたら、取るべき道は2つしかないと思っている。1つは、どうにかこの状態と折り合いをつけて、気持ちの持ち方を変える。あと1つは、仕事を変える。今の職場を去って、新しい仕事を見つける。

 

ただね~、これがねぇ~・・・・・・・。中々に難問だ。8ヶ月もの間いろいろな会社を受け、落とされ続け、やっと今の仕事に引っかかったことを考えると、どうにもその1歩が踏み出せない。今の職場の人間関係が良好なことも、その理由の1つだ。職場はどこもそうだろうが、中身は入ってみなければ分からない。

 

それに、「ミス率ウンヌン」という話が出る前の研修期間の頃から何かと冷遇されてきたことを思うと、

「私なんて、どこに行ってもダメなんじゃないか」

 と思えてきてしまうのだ。

 

そう、この職場に来てからすっかり自信喪失に陥ってしまって・・・・・・。どんどん萎縮してしまっているんだよね。いかんなぁ。

 

とりあえず、今の仕事を辞めてから次の仕事を探すわけには絶対にいかないので、仕事をしながら求職サイトなどボチボチ気長に見て行こうと思っています。

 

はぁ~、自分にはどんなことが出来るんだろう。何があるだろう。頭の痛い日々が続きそうだなぁ・・・・・・。

2018年8月18日土曜日

ポテチを夕食にするのはちょっといただけない50代後半♀


えと、私の今の数少ない趣味の1つが読書。今読んでいる本に「ポテチを異常に食べる人たち」というのがある。何でも、ポテチには中毒性があって、依存症とも呼ぶべき症状を呈することがある、食事の環境を根底から変えてしまう危険性を孕んでいる・・・・とかなんとか。

 

この本に書かれていることにもろ手を挙げて賛成しているわけではないが、この本を読んで、私が30代初め頃に働いていた会社の同僚を思い出した。

 

ちなみに、レックス、ポテチをはじめ、スナック菓子は全く食しません。身体に悪いからではなく、好きではないから。小学生から大学生ぐらいまでは人並みに食べていたのだが、いつの頃からか全く食べなくなってしまった。それから私、マヨネーズとドレッシングも好きじゃない。特にマヨネーズは苦手で、タルタルソースもダメ。カキフライ弁当に付いているタルタルソースを断ると、変な顔をされることがある。まさに、マヨラーの真逆を行く女、それが私。

ま、それはともかく。

 

その同僚、地方から出てきて一人暮らしをする、20代半ばぐらいの女の子だった。この子の食事がめちゃくちゃで。朝は食べない。昼はたいていハンバーグ弁当。ここまでは独り暮らしのあるあるだろう。で、問題の夜。ポテトチップス、こいつが主食。いや~、びっくりですよ。そりゃ、月に1、2度、というのなら別に何てことはない。だが、ほとんど毎日となれば、話は別だ。
当時、すでにコンビニはあったし、特に自炊なんてしなくとも、もう少しまともな食事はいくらでもできたんだけど。

 

で、ある時その子が、

「最近、肌の調子が悪くて」

 と愚痴ってきた。よしゃーいいのに、そこでレックス、思わずよけいなお世話を焼いてしまった。

「栄養が足りてないんじゃないの?」

 と、この同僚、

「そんなことないよ! ポテトチップスの他に、ヨーグルトとカゴメの野菜ジュースもちゃんととってるよ!!」

 と言ったのだ。一瞬、目が点になっちゃいましたよ。マジで言ってる?! こういう人に何を言っても無駄だと思ったので、

「そう、それじゃちゃんと(栄養は)とってるわね」

 と答えておいた。彼女の食事を教育するのは、私の役目じゃない。

 

私は、基本的に「人間は何か一つ、身体に悪いことが好きなものだ」と思っているし、極端な健康志向の人は、好きじゃない。ほれ、時々いるでしょ、やたらめったら「これは健康に良い!」とか一言目には言う人が。「身体に良い」というだけで食べるものを決めるのは、人間性を無視していると思う。食べるという行為は、栄養摂取のためだけではないはずだ。そこに楽しみがなくちゃね。

私の座右の銘の一つはこれだ。

「身体に良くても心に悪い。心に悪けりゃ、身体にも悪い」

 

しかし、食事と言うものは一つ、軸となるものがないとまずい。

「これは身体に悪いものだ。身体に悪い習慣だ」

 という意識がどこかにないと、食事の軸がどんどんぶれてしまうのだ。そうすると、食事が根底から崩れてしまう。

 

ポテチを食べれば、ジャガイモを食べたことになる、ヨーグルトを食べればタンパク質の摂取は全てOK、肉も魚もいらない、市販の野菜ジュースさえ飲んでいれば野菜を食べなくとも大丈夫! というわけにはいかないのだ。

 

でもね~、ポテチを食事代わりに食べて、身体に悪いと思わない人間がいるなんて、考えたことなかったよ。今でもあの子はポテチを夕食代わりにしているのかな、旦那と子供に、

「はい、今夜の夕飯は湖〇屋よ~」

 なんてね。さすがにそれはないだろうが。

 

ま、いくらイモから出来ていても、ポテチはしょせんお菓子、食事をしたうえで、楽しく明るく食べたいものだ・・・・とおばさんは思うよ(昭和なレックス談)。