2018年10月28日日曜日

昭和レトロな温泉宿は、50代後半シングル♀に優しい宿だった・・・・・


平日休みを利用して、那須の板室温泉に行って来ました~。

 

母の介護生活に入る前、レックスの最大にして唯一・・・・・でもないけどとりあえず最大の趣味が旅行だった。当時は正社員のパラサイト・シングルだったので、夏休みやGWなどの長期休暇を利用しては、やれ沖縄だ、北海道だ、海外だと、飛び歩いていたものだ。

 

が、それも今は昔の物語。いくら特養に入所したとはいえ、母のことでいつ何時お呼びがかかるか分からない。ついこの間だって、入院騒ぎがあったし。というわけで、やはり近場の1泊温泉旅行がせいぜい、というわけだ。金も無いしのぅ~、ほっほっほ(ホントはこれが一番か!?)

 

でも、レックス、実は温泉大好き人間。やっぱりね~、温泉はいいよ、「日本人に生まれて良かったなぁ~」ってしみじみ思う、温泉に行くと。

 

ところでこの板室温泉だが、実に由緒正しき温泉地、「湯治場」という言葉がふさわしい所だ。私が泊まったのは「幸乃湯」という一軒宿だったのだが、本当に見事なくらい周りには何もない。飲み屋の類はもちろん、コンビニすら、なし。静かで、ド健全な宿だ。宿の構えがまた素晴らしくて。いわゆる「昭和レトロ」ど真ん中。私はとっても気に入ったけれど、この辺りは評価の分かれるところだろうね。

 

現に、今回楽天のサイトで予約したのだが、口コミには「臭い」というクレームもチラホラ見えていた。中には、「尿臭がする」という人もいて。だから、行く前は少し心配していた。が、着いてみて納得した。

「なるほど・・・・・・」

 

「尿臭がする」と言った方には、ぜひ声を大にして言いたい。古い家はああいう独特な匂いがするのだよ。私にはすぐに分かった。なんたって、子供の頃母の実家に遊びに行っていたからね。当時、母の実家は昔ながらの茅葺き屋根の古い農家で、いつも独特の匂いがしていた。これは、不潔だからとかそういう問題ではない。

でも、今の若い方々は昔造りの古い家の匂いなんか、知らないだろうからなぁ。無理もないけどね。新建材と化学薬品にまみれた現代建築なんぞより、身体にはこっちの方がずっと優しいよ、絶対、と言いたい。

 

この宿にしたのはズバリ、お金で、1人で泊まって129000円ちょっと、しかも部屋にトイレ付き、というのはかなりリーズナブルだと思う。トイレが共同でもかまわなければ、もっと安い宿もあるんだけどね。でも、レックス、風呂は無くても全然OKだが、トイレだけは心置きなく使いたいもんで(便秘体質レックス)。

2人で泊まれば、当然もっと安いはずだ。1人客でも歓迎してくれる温泉宿って、まだまだ少ないから、この値段で1人で気兼ねなく泊まれるのは、本当にありがたかった。それに、泊まっている間も1人旅でも全然気兼ねしなくていい雰囲気なのも嬉しかった。宿の人が、気さくだが適度に放っておいてくれるところも気に入った。1人で温泉を満喫したい方にはおすすめの宿だ。

 

肝心のお風呂だが、内湯から露天風呂まで充実のラインナップ! ここの露天風呂は少し変わっていて、すご~く深いお風呂があるのよ。綱につかまって入るようになっている。面白いよ。平日だったせいか、そんな露天風呂を1人で独占状態で、心ゆくまで堪能できた。また行きたいっす。

 

着いた日はそんな温泉に出たり入ったりで、ゆったりまったりと贅沢な時間を満喫した。

 

実は散歩に出たみたんだけどね、近くにダムがあるというので。56分ほど歩いたとこで、こんなものに出くわしたのさ。

 

クマ出没 注意!

 

小心者のレックス、とっとと宿に戻ったのは言うまでもない。
あ、でも途中こんなキレイな紅葉が見れたよ。
 
 
 
 
 

 

とまあ、こんな具合に終われば言うことなしの1日目だったのが、ここでまた、失敗を1つ。以前の熱海旅行の時、お茶を飲み過ぎて眠れなかったのに、今回もまた、コーヒーをついお替りしてしまい、気がつけば布団の中で寝返りを繰り返すはめに。

ったく、学習能力無いヤツ>自分。

 

あ、宿泊客は、やっぱりと言うか、年齢層高めで、私なんぞは若手の方でしたわ、たはは。

久々に若者気分を味わえたナイスな宿、それが「幸乃湯」!? 


 

2018年10月21日日曜日

やはり、世間は甘くない・・・・(っつーか、お前が甘い>自分)・「試験監督」のお仕事


このところ早帰りが当たり前になりつつある我が職場、それはそれで嬉しいのだが、やはり時給の身には素直に喜んでばかりもいられない。さりとて、今の職場で出勤日を増やすのも今一気が進まない・・・・という我儘なレックス、副業探しにいそしんでいた。


が、元々怠け者な上、すっかりリタイア・モードに入ってしまっているこの老体、副業と言ってもおいそれと条件の合うものが見つかるわけもない。そもそも本業すらままならないってのに!?



それでも一つ、

「これなら何とかなるかな?」

 というものを見つけ、登録説明会に行って来た。

 

それは、副業を考える人間なら誰しも一度は目にするであろう、試験監督のお仕事。

「これなら単発で自分の都合の良い日にできるし、それほど重労働ということもないだろう。私だって、試験監督の経験はないけれど、資格試験ぐらい受けたことあるし!(落ちたけど・・・・・・)

試験監督と受験生とでは行って帰るほどの違いがあるのだが、単純なレックス、いそいそと登録説明会に出かけたのだった。第一、他にあまりこれと言ったものが思いつかなかったのも確かだ。

 

軽作業などの単発の派遣は「派遣法」で私のようなシングルの低収入者は引っかかるし、在宅ワークというのは、これはこれで大変に厳しい場合が多い。だいたい納期がキツイか、ノルマがキツイか、それとも単価がめちゃくちゃ安いかのどれかだと思っていい。よほど高度・特殊なスキルの持ち主ならいざ知らずだが。根性の無いことでは他の追随を許さないこのレックス、内職含む在宅ワークは到底勤まるまい。

 

と言って、

「都合の良い日に来ればいいよ~、1ヶ月に1日でもいいから!」

 などという奇特&お人よしな経営者など、居るわきゃない。この試験監督というのは、これらの諸条件をほぼクリアしてくれる貴重なお仕事、ではないだろうか、と考えたわけですよ、無い知恵絞って。いや、他に思いつかなかったというのが本当のところで。

 

で、行って来たわけだが。

結論から言うと、

「やはり、世の中、うまい話はない・・・・・」

 いや、この仕事や会社がどうのということではない。私が甘かった、ということだ。

 

この仕事の特徴として、「スーツ着用」というのがある。それは事前に了解していたのだが、スーツの色やインナーの色まで指定されている、とは知らなかった。こうなると、レックス、

「(指定に合うものは)1枚しかないよ・・・・・・」

 ま、いつもそれを着てりゃいいだろ! という話なのだが、う~ん、夏・冬これ1つとなると、かなり仕事をする機会が限られるな。夏に着るスーツがない・・・・。そもそも以前の正社員時代には制服があったので、スーツを着る必要が無かったからなぁ、あんまり持ってないのよ。今さら買うのもなんだしね(お金もないし)。



それに、スーツなんかよりはるかに重大な問題が一つ。

「必要な時には黒板もしくはホワイト・ボードに注意事項等を板書していただくことがあります」

「ええ~!?」
 
字が下手なことでも他の追随を許さないレックス、アタシの字で読めるかしら、受験生の皆様。

「試験監督の字が汚くて、読めませんでした!」
なんて、クレームの嵐だったらどーするよ!?


それに、登録まではどうにかこぎつけたとしても、採用されて実際に試験監督としてお仕事をもらえるかどうか、というのはかなりビミョーだ(こと、レックスに関しては)。向こうだって、ひょっとしたら受ける方の人生を左右しかねない大事な試験の監督者、なるべくそれにふさわしい人を選びたいだろう。この、アバウトで抜けてる私なんかにはたしてやれるのかしら、とかなり不安になってしまった。
 


1ヶ月に1日ぐらい出来たらいいな。そしたら、服買ったり、旅行したりするお金ができる」

 なぁ~んて取らぬ狸の皮算用をしていたのだが、まったくいい年してどこまでものんきなヤツである。

 

一緒に説明登録会に参加していた人たちは、20人ぐらいだったろうか、女性の方が男性より少し多かった。見たところ、男性の年齢層はどちらかと言えば私と同じくらいかそれより高めで、女性は私より少し下の方が多かった。中にはきちんとダーク・スーツを着た、みるからにビジネス・ウーマン風の人もいて、おそらく他にちゃんとした仕事を持っているのだろう。

皆、それぞれに思う所あって、参加されていたのだろうな。これからはもっともっと、Wワーカーが増えて行くのかもしれないなぁ。

2018年10月17日水曜日

人が辞める時の法則・・・・・・・我が職場の場合


人の出入りが激しいことでは人後に落ちない我が職場であるが、ここのところは辞める人も無く、従って新たに入る人も無く、落ち着いていた。が、やはりそこは事務センターの宿命、またまた気がつかぬうちにひっそりと職場を後にした同僚が一人。

 

これまでの様子を見るところ、辞める人には一定のパターンがある。まず、休みを取る。それは家族の病気だったり、親戚の用事だったり、はては自分の体調だったりと理由は様々なのだが、ともかく決められた休み以外の日に突発で休みを取る。そして、「あれ、最近見ないなぁ」と思っているうちに、ひょっこりと顔を出す・・・・・人もいる。

あと一つのパターンは、「あれ、最近見ないなぁ」と思っているまま、顔を見ることなく、気づくとシフト表から名前が消えている。

そして、ひょっこり姿を現した人も、それからさらに数日経つうちには再び姿を見せなくなり、やはりシフト表から名前が消えるのである。
 
何しろ、私なぞ週3勤務なものだから、居なくなってもすぐには気がつかない。相手も週3勤務だったりすると、どうかすれば1週間顔を合わさないことも珍しくはない。

 

今回もやはり似たような経過をたどった。イヤな予感がしていたのだ、

「Kさんがちょっと1週間ほど休みますから。ご家族の体調の関係で」

 という話を聞いた時には。案の定、Kさんの顔を見なくなってからしばらくすると、誰かがふと、

Kさん、辞めたみたいよ

 と。


 結局、人間考えることは皆同じで、できれば次の仕事を確保してから辞めたい。休みを取るということは、その間次の仕事を見つけているのだろう。面接を受けるとか、ハロワに行くとか。そして、受けた会社からお呼びがかかった時点で退職、そういうことなのだろうな、と。休みと退職との間にタイムラグがあるのは、きっと面接の結果待ち期間ということだろう。
 

この辞めたKさんだが、40代後半ぐらいの主婦の方で、ちょっとそそっかしいところがあるが、明るくて、人懐こい人だった。話し方もサバサバしていて、私にも気軽に話しかけてくれた。好きな同僚の一人だったのだ。私がどちらかと言えば人見知りで、誰とでも話せるタイプではないので、よけいに魅かれていたのかもしれない。だから、辞めてしまったのは非常に残念だ。


もっとも、私だって良い仕事さえあればすぐにでも辞めたいといつも思っているので、Kさんの気持ちはよく分かる。40代後半(推定)、私ほどではないが、良い仕事を見つけようと思えば、リミットだ。ここに居たくない、と思うなら、行動を起こすのは早ければ早いほどいいだろう。私なんて、他に仕事が無いから続いているだけだからね。

 


今のところ仕事は大して忙しくないので新しい人が入る気配はないのだが、う~ん、この出入りの激しさは結局ずっとこのままなのだろうな、とため息が出た。

 

しかし、今ではすっかり慣れっこになってしまって、最初の頃のような衝撃が無い。誰か辞めても、

「ああ、またか・・・・・」

 と思うだけだ。そんな自分がちょっと怖い、今日この頃のレックスである。

2018年10月14日日曜日

やっぱりね、常日頃から「こんな時はどうするか」と考えることは大切だよね


またまた更新間隔があいてしまった。別に、特に忙しい方じゃないのに(ってゆーか、思いっきり暇だろ>自分)、何か気がつくと時間が無くなっている。昔から時間の使い方がとことん下手なヤツ、それが私、レックスだ。ま、要はだらだら無駄な時間を過ごしている、だらけるのが好きってことなんだけど。

 

それにしても、昨日から急に寒くなった。一昨日はけっこう蒸し暑くて、出歩いたら汗が出て来たんだけどね。実は一昨日、久々にショッピングに行ったのだ、ショッピングですよ、ショッピング!? いや~、久々ですな、しま〇ら以外でお買い物するのは。今履いているスニーカーがすっかりボロボロになってしまったのでね。実はレックス、非常にものもちが良い。一つのものを長く長く使い続ける、それがアタシの主義。
しかしさすがに10年以上も履けばすっかり形は崩れるし、買った当時の見る影もない。これでも買った当時はけっこう高級品だったんだけどね、当時はアタシもまだ一応正社員だったからさ。
 

が、今はしがないパート暮らしの身、それも週3日勤務の薄給者、ここはやっぱり気になるのはお値段だ。それでも何とか値段も予算内、形も気に入ったものを見つけることができた。今はスニーカーが流行っていて、いろんなものが出ているのが嬉しいな。

で、スニーカーを買う時に、

(以前履いていたものは)どれぐらいお履きなんですか? 数年といったところですか?」

 とお店のお兄さんに聞かれて、さすがに、

「何の、軽く10年は超えますぜ、お兄さん」

 とは言えなかったよ・・・・・・(私にも一応まだ見栄がある)。

 

ま、それはともかく。





今回の母の入院騒ぎで感じたことがいくつかある。1つは、以前にも書いたが、高齢者の入院はたとえたった数日だとしても、後戻りのできない後退を余儀なくされる場合がある、ということ。確実にこれまでよりも身体が衰え、しかも元に戻らない。うちの母もたった15日間の入院だったが、未だにその影響が続いている。おそらくこれからもずっと続くだろう。

 

そして、もう一つ。つくづく感じ入ったのは、どのような医療的なケアを期待するのか、どこまで治療、あるいは検査するのか、日頃からシミュレーションしておいた方がいい、ということだ。

 

今回の入院時、担当医師より、

「高齢者の場合、一気に最悪の事態になることもあります。そうならないようこちらもできるだけのことをさせていただきますが、一応そのことを念頭に置いておいてください」

 と言われた。これは、別に脅しのために言っているわけではなく、向こうも仕事だから現実としてこんなこともありますよ、という提起だ。

その時に考えたのは、果たして母が口から栄養を摂取できなくなった場合、どうするか、ということだった。

その時点で、口からモノを食べることは禁止されていた。当然栄養は点滴頼みになるのだが、それがずっと続いたらどうなるのか・・・・・。頭の中に、「胃瘻」の2文字がグルグル回ってしまったよ。

 

以前から私と姉との間には、

「もう年だし、手術できるだけの体力も無いし、身体に負担のかかる検査はしない。治療は徹底的に対処療法で。痛みや不快感を取り除くことに重点を置く。点滴まではするが、胃瘻はしない。口から食べられなくなったら、その時は母の寿命と考える」

 という申し合わせが出来ていた。

 

しかし、いざその現実を目の前に突き付けられると、人間はあたふたしてしまう。ただでさえ、急の入院ということで気が動転しているのだ。そこで何か重大な決定を迫られたら、果たして冷静な判断が下せるだろうか。

例えば、胃瘻をすれば確実にあと何年かは生きられる、と分かっているのに、

「それはやめて下さい」

 と言えるだろうか、子供として。

 

本当にいろいろ考えてしまったよ。今回は幸い口から食べられるようになったし、思ったより早く退院できたし、重大な決定を迫られる場面も無かったのだが、やはりいざと言う時のために、自分の中で様々な場面を想定して、シミュレーションしておくべきだと痛感した。人間、いざとなると冷静な判断を下すのは中々に難しいものだ。

 

誤解して欲しくないのは、私は胃瘻がいけないと言っているのではない。胃瘻をして良かった、と思っている介護家族の方もたくさんいることだろう。そうではなく、気が動転したり、その場の雰囲気にのまれたりして、不本意な決定を下すことが問題なのだ。

 

ただでさえ介護とは後悔の連続である。

「何で、あの時あんなことを言ったのか。どうしてこうしてやらなかったのか。あんなことをしたのか」

 後悔のない介護なんて、無い。そこへ、意に沿わない決定を下してしまうと、後になってそれがズシッと響いてきてしまう。

 

また、私は介護とは何より介護者の利益を優先するべきだと考えている。自分が精神的にも肉体的にも劣悪な環境に居て、良い介護なぞできるわけがない。これは、家族であっても、また仕事として介護に従事している場合であっても同じである。介護者あっての被介護者だ。周りの意見に惑わされることなく、自分の意思を尊重してほしいし、そうすべきだと思っている。それにはやはり日頃から、このような場面に遭遇したらどうするか、というシミュレーションをしておくことは大切である。

 

それともう一つ。自分以外の家族との意見調整も忘れずにしておく必要がある。ウチの場合は私と姉の意見はだいたい一致しているし、姉はキーパーソンである私の意思を尊重してくれている。それでも、いざとなるとやはり、

「どうしてそうしたの!?」

 ということが出てくるかもしれない。ましてや、日頃から意思の疎通ができていないと、必ず、

「何であんなこと決めたんだ!?」

 という人間が出てくる。これは、介護者にとって何よりつらいことだ。だから、日頃から何かにつけて「自分はこういう時はこうするつもりだ」「こうなったら、こうしようと思っている」とアピールしておこう。もちろん、きちんと話し合いが出来れば、それが一番良い。

 

「備えあれば憂いなし」は何事にも通じる真理なのだなぁ、と思う今日この頃である。

2018年10月7日日曜日

祝! 退院!! と言いたいところだが、中々そうはいかないところが高齢者なんだよなぁ・・・・・・


母が退院した。レントゲンにも肺炎の影がすっかり映らなくなったし、血液検査の数値も正常に戻った。食事も、おかゆではあるがまずまず摂れるようになった。それ自体は「良かった!」のだが、もろ手を上げて喜べないところが、高齢者の悲しさで・・・・・

 

何と言うのだろう、病院に入院するたび、段階的にある意味悪くなっていく気がする。若い人なら退院となれば、多少身体が衰弱していても、

「ああ、良かった、すっかり治ってくれた!」

 となるのだろう。それは、身体の衰弱も徐々に快方へ向かっていくだろうことが約束されているからだ。が、高齢者の場合はそうはいかない。ずっとベッドで過ごしている間に元々無かった筋力はより衰えてしまっている。母も、入院前は歩けないまでも車イスに乗って過ごしていたのだが、今ではベッドにくぎ付け状態だ。

また、外も見えない、人との交流もほとんどないという病院暮らしで、恐れていた通り認知症の方も進んでいる。

 

本当に、この衰えようは驚くばかりで、2週間という時間の流れが若い人の10倍にも20倍にも感じられてしまうのだ。覚悟はしていたが、認知症が確実に進んだことは素人目にもハッキリと分かる。目に光が無くなったし、反応も鈍い・・・・と言うより、無い・・・・・

「病院に入って、返って悪くなったみたい・・・・・」

 とつい、思えてきてしまう。

「でも、あのままでいたら肺炎であの世に行っていたかもしれないんだから、そんなこと考えたら罰が当たるぞ」

 と言い聞かせても、やはり・・・・・・。病院関係者の方、申し訳ありません、こんなヤツで。

 

もちろん、これが病院の責任ではないことは百も承知だ。高齢者の介護をしていると、これは避けては通れぬ道なのだ。ささいなことをきっかけにして、階段を下りるように確実に、ガクンガクンと状態が下降していく。私としては、つい、入院前の状態に戻れることを期待してしまう。しかし、確実に出来ないことが一つ、また一つと増えていくのだ。親族としてはその状況を受け入れることが出来ない。いや、最終的には受け入れざるを得ないのだが、受け入れるのに時間がかかってしまう。頭では分かっていても、感情が受け入れを拒否してしまうのだ。

 

本当に、これまでも何度こんな状況を味わってきたことだろう。つい3年ほど前までは、歩行器を使用してはいたが室内に限定すれば母は歩けていたのだ。いや、5年ほど前には歩行器で家の近所を歩くことも出来たのだ。それが、今では車イスにも座れない。それも、このわずか2週間ほどの間に起きたことなのだ。

 

仕方ないのだ、これが高齢者の、高齢者介護の宿命なのだ、と思っても、やはり心のどこかでそれを認められない、認めたくない自分がいる。もしかしたら、また車イスに乗れるようになるのでは、歩行器で少しは歩けるようになるのでは、もしかしたら、もしかしたら、そんな思いが捨てきれない。どうしてもあきらめきれないのだ。

 

こういう思いと向き合い続けるところが、介護のしんどいところだなぁ、とちょっとめげている自分がいます。