かつて、この日本には「バブル」と呼ばれた時代があった。何でも土地の値段が嘘のように上がりまくり、ディスコ(今のクラブ)ではお立ち台ギャルと呼ばれる若い女性たちが扇子をひらひらさせながら踊りまくり、ブランド品が飛ぶように売れて行った・・・・・らしい。
らしいというのは、日本がバブルで浮かれまくっていた頃、レックスは人生始まって以来のド貧乏時代を迎えていたからである。
私はバブル期が訪れる少し前、某地方都市で生まれて初めての一人暮らしを始めた。良く言えばリゾート地、悪く言えば「田舎」のその町で、しがないアルバイト生活を送りながら、一人アパートを借りて自活していたのである。
それまで典型的なパラサイト・シングルを絵に描いたようなレックス、家事は一切やらない、給料は全ておこづかい、などという怠慢な生活を送っていた。それが!!
しがない時給暮らしで、格安とは言えアパートを借り、それで食費から何から生活費一切を賄う生活を始めたのである。毎日財布の中の100円玉とにらめっこしながら、
「お米はあと何日もつかな!?」
と天を仰ぐ毎日。バブルとは程遠い、と言うよりかすりもしない生活だった。
しかも、私が暮らしていたよく言えば地方都市、悪く言えば田舎では、あまりバブルの恩恵はなかった。少なくとも私の周りでは羽振りの良い話を聞いたことがない。実のところ、その当時は「バブル」があったことすら、私は知らなかったのである。アルバイト生活を送っている私の身を心配して友人の1人から、
「こんな状態もそろそろ終わるってよ。いいかげんこっちへ帰って来て、今のうちに仕事についたら?」
と勧められたのだが、私には彼女の言っていることがよく分かっていなかった。
「そろそろ終わるって、何が!?」
私が「バブル」というものの存在を知ったのはその地方都市を引き上げて実家に戻ってからで、すでにバブルは終わりかけていたのである。
そのせいか、私は未だに「バブル」と言われてもピンとこない。自分が全くその状況を体感していないからで、バブルという言葉は理解できるが、何も実感を伴わないのだ。むしろ、
「あの頃は面白かったけれど、生活はきつかったなぁ」
という思いしかない。
そうそう、私は気軽に「貧乏」という言葉を使うヤツがキライだ。私にとっての貧乏とは、文字通り「食えない」ことである。そう、バブル期の私がまさしくそれで、町を歩きながら、
「いい匂いだなぁ、ああ、これだけ美味しそうな食べ物が街には溢れているのに、何で私の口には入らないんだ!?」
と世の不条理を嘆いていたのだ(単に買う金が無かっただけだけど)。決して、旅行に行けないことや、新しい服を買えないことや、家を新築できないことではない!(レックス、心の叫び)
ま、それはともかく。「バブル」という時代を知らないことは、私を地に足つけた生活を送らせるのに役立っている、と思う。身の丈に合った暮らし、というヤツだ。今、少ないパート時給でもそれなりに楽しく暮らせているのは、この時の経験がモノを言っているのだろう。
とは言え、
「ちょっとぐらい、バブルっていうものも体験してみたかったな」
と思わなくもない。そう、贅沢は敵であると同時に、素敵なものでもあるんだよね。
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