2018年7月7日土曜日

どんな職場にも、忘れられない人はいるもんだ


その人を初めて見た時の印象は、「もっさりしている人だなぁ」だった。この頃は40代でも身ぎれいにしている主婦の方が多い。今の職場でも、皆様それなりに流行を取り入れた装いをなさっている。しかし、その人は髪型から服装から見るからにもっさりとした、あか抜けない風貌だった。言ってみれば、「昭和レトロな感じの奥さん」という言葉がぴったりな。そのせいか、こう言っては何だが、あまり仕事が出来そうには見えず、私なんぞは心ひそかに安心していたのだ。

「良かった、あの人仕事できなさそう。こういう人がいるのなら、私がいたって大丈夫だよね」

 きっと、私はその人のことを心のどこかで見下していたのだろう。自分よりも下の人がいる、だから自分は大丈夫だ、そんないやらしい根性が心の隅にあったのに違いない。


しかし、そう思ったのは私だけではなかったらしい。その人を、仮にYさんとしておこう。Yさんは、時々仕事でミスをした。しかし、誰だってミスの1つや2つは、するものだ。だから、それ自体を取り立てて大騒ぎするほどのことはない。それでも、リーダー格の女性社員HさんからYさんはいつもこっぴどく怒られていた。一度、同僚のパートさんが見かねて、

「あんな言いかたすること、ないのにね」

 と声を掛けた。するとYさんは、

「いいの、慣れてるから。私いつも言われてるから」

 と淡々と答えていた。その、少し冷めた、見切ったような言い方は、妙に印象に残っている。


確かに、同じミスを犯しても、Yさんと気に入られている他のパートさんとでは、Hさんの対応に明らかな違いがあった。例えば、ミスをしたのがお気に入りのパートさんだったら、そっと自分の席に呼び、皆に聞こえないように小さな声で注意するのに、相手がYさんだと皆の前であろうとおかまいなしに、ガンガン大声で怒るのだ。ちなみに、私もどちらかと言えば冷遇されている方なので、

「う~ん、えこひいきって、学校だけじゃないよね」

 と思っていたけどね。やっぱりね、30代から40代初めぐらいの比較的若い(うちの職場ではね)パートさんの方が、何かと優遇される。おばさんは仕事ができなさそうに見えるのだろう。人間、見た目じゃないというのは大変な間違いで、実は見た目が大きくモノを言うのだ。HさんもYさんのことを、

「このおばさん、ホントに仕事ができなさそう、どんくさい」

 と思っていたのだろう。


結局このことがあったからか、それとも他にも理由があったのか、Yさんは辞めて行った。しかし、その辞め方が見事だったのだ。

辞めることを決心した途端、仕事を突発で休んだり、早退したりする人が多い中、Yさんは最後まできちんと仕事をやり遂げた。それだけではない。Yさんは私なんかと違ってフルタイムのパートさんだったのだが、最後まで勤め上げながら次の仕事もちゃんと見つけてきたのだ。まさに、飛ぶ鳥跡を濁さず、私はYさんの仕事ぶりとエネルギーに感服した。

「やっぱりね、見る人はちゃんと見ているんだよね」

ここでは生かせなかったYさんの良さを、評価してくれる職場が他にあったということだろう。


さらに、私のYさんに対する評価を決定づけるできごとがあった。

それは、あと3日でYさんがこの職場を去る、という日だった。仕事の変更点(私が今やっている仕事は、実に変更が多いのだ。しょっちゅう変わっているのさ、ったくもう)が出てきて、例のHさんが私たちに説明してくれた。すると、私の隣にいたYさんが、ノートにメモを取り出したのだ。


あと3日すれば自分はこの職場からいなくなる、もしも私がYさんの立場だったら、

けっ! 私にはもう関係ないわ。失敗したって、どうせすぐにいなくなるんだし」

 と思い、メモなんか絶対にとらないだろう。それどころか、まともに話も聞かないに違いない。しかも、相手はいつもYさんを皆の前で怒っているHさんなのだ。私は、そんなYさんの真摯な姿を見て、心の底から感動した。


同時に、一体自分はYさんの何を見ていたのだろう、と思った。もっさりしている? 仕事ができなさそう? まったく、自分が恥ずかしい限りだ。


Yさんとの出会いは、私にひとつの真実を教えてくれた。自分の中にある偏見に惑わされず真直ぐに人の本質を見ること。周りがどうであれ、自分が正しいと思ったことを貫くこと。何より、「自分」というものをきちんと持ち、見失わないこと。


これから何かあったら、Yさんのことを思い出そう。


何かと問題の多い我が職場だが、Yさんに会えただけでもここに来たかいがあったと、今レックスは思っている。

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