2019年6月8日土曜日

しかし、なんだってこう、寺関係の行事ってのは疲れるのかなぁ・・・・・


 
 
 
今日は母の四十九日だった。今まで何だかまだ母が生きて、この家に一緒にいるような気がしていたが、これで、

「お母さんもとうとう仏様になっちゃったんだなぁ」

 とどこか寂しさを覚える。でも亡くなった人をいつまでも思っていると、亡くなった人は成仏できずに彷徨ってしまうというので、いつまでもウジウジ考えていてはいけないと思う。

 

それにしても疲れた。葬式なんかに比べたら全然ラクだし、今は家でやることもない。お寺に行ってお経を読んでもらい、納骨するだけだ。昔は家にわざわざボーさんを呼んでやってもらっていたんだよね、確か。それに比べたら煮込み料理とレトルトカレーぐらいの差がある(いや、手間がさ)。それでも、

「アレも忘れちゃいけない、これも忘れちゃいけない」

 と緊張して、昨日はあまり眠れなかったよ(そのくせ、ハンカチ忘れたしな、こいつは)。

 

しかもウチの菩提寺のボーさん、説教がなげーなげー。いや、お経はほれ、決まっているからそれほどクソ長いわけじゃないんだけど、お経の後に話をするわけよ。この話がめちゃくちゃ長い!! 今日は住職の代わりに住職の息子が勤めてくれたのだが、説教の長さはオヤジさんと変わらなかったよ。血は争えんのー

「インターネットが普及してからどーの、人に迷惑をかけないような人間にこーの、食事の時には手を合わせてなんたら・・・・・」

 などなど。いや、インターネットどうでもいいから、それからアンタも人にちろっと迷惑かけてるよ、この説教の長さがさ、などと腹の中で突込みを入れつつ。

 

で、この説教にまたまた諭吉さんが飛んで行く、と。ほんと、人が亡くなるというのは大変なことだな。ここまで息つく暇もなかったし、まだまだ、来年の彼岸が終わるまでは気が抜けない。自分は子供もいないし、肝に銘じておかないとね。でも、不思議なんだよね。父が亡くなった時にもこうした一連の行事は経験しているはずなのだが、自分でもあきれるくらい、見事に記憶からすっぽり抜け落ちているのだ。父が亡くなった時にはまだ60代で、葬式も四十九日も母とは比べられないほど盛大に、正式に行ったはずなのだが、自分でも不安になるくらい何にも覚えてない。一体あの時、自分は何をしていたんだろう。ってか、大丈夫か、アタシの脳みそ

 

何はともあれ、この四十九日をもって、葬儀関係はやっと一区切りついたな、と思う。いよいよこれからはあのメンドクサイ相続手続きに突入する。まだまだ怒涛の日々は続くが、今日はとりあえず、ひと息つきたい。

 

ほんの二ヶ月前の今日、母はまだ生きていて、病院のベッドの上ではあったが、私が行くと、

「おせんべが食べたい」

 なんて言ってたんだよね。やっぱり、寂しいなぁ・・・・・・
 
 
 
 

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