2018年11月26日月曜日

ボヘミアン・ラプソディ・・・・・・・我が青春のクィーン


映画、「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきた。話題の映画なので、ご覧になった方も多いだろう。イギリスのロック・バンド「クィーン」の不出世のリード・ボーカリスト、フレディ・マーキュリーの半生を縦軸に、バンドの軌跡を描いた映画だ。

 

結論から言おう。

 

「すばらしい!!」

 ロック・ファンからすればカーテン・コールしたくなる映画だったよ。特に70年代・80年代ロックのファンの方には強くお勧めしたい。これは、DVDではなくぜひとも映画館で観ていただきたいと思う。いや~、今の映画館は音響が良いから、この手のミュージック・映画は実によいね~。久々に映画館で観る映画の良さを堪能できた(と言いつつ、DVD出たら買うんだけどな)。

 

思えば、ロック少女だったレックスも、10代の頃はバリバリのクィーン・ファンだった。と言うか、私をロックに目覚めさせたのが、他ならぬこのクィーンだったのだ。偶然目にしたテレビの中の4人の青年が(当時はね)奏でる音楽に、目を耳を心を、いや身体全体を! 奪われたものだ。

「世の中にこんな音楽があったのか!?」

 それはもう、言葉では言い尽くせないほどの衝撃だった。早速本屋に走って、彼らの写真集を買ったものだ。レコードじゃなくて写真集というところが、いかにもミーハーな私らしい(と自画自賛?)。もちろんレコードも買ったけど(当時はCDは無かった)。

 

その日から、ロック少女となったレックス。

 

当時、キラー・クィーンがヒットしていた頃、彼らは若い少女たちから圧倒的な支持を受けていた。他の国では分からないけれど、少なくともこの日本ではそうだったのだ。そのせいだろうか、何となく「クィーン・ファン=ミーハー」みたいな決めつけがあって、私たちクィーン・ファンは他のロック・ファン(例えばレッド・ツェッペリンのような)からちょっと下に見られていたフシがある。

 

ことに、どういうわけかいわゆる「ロック評論家」なるモノから、クィーンはウケが悪かった。

私も一度、こんな文章を目にしたことがある。今でも忘れもしない。

「クィーンの音楽は軽い」

その時に思ったことを、今ここで言おう。

 

音楽に軽いも重いもあるかよ! もし、軽いものがあるとすれば、それは分かったふうなこと書きながら、実際は何も中身が無い薄っぺらなお前のその文章だ!

 

しかし、評論家や自称ロック通にこき下ろされながら、クィーンはどんどんビッグに、グレイトになっていった。今、クィーンを「軽い」などと言うものは、おそらく誰もいないだろう。評論家の耳に、私たちミーハーロック少女の感性が勝ったのである。

 

元ロック少女レックスは、心からこう、叫びたい。

あの頃の評論家どもは当時の元ロック少女たちに土下座して謝れ!!」

 

そう、音楽に軽いも重いもないんだよ。あるのは、好きか嫌いか、心の琴線に触れるか触れないか。だからアタシもAKB48のファンを横目に見て、
「ふん、このグループ、何だかみんな一緒に見えて、誰が誰やら分からんじゃないか」
 なんて思ったりしないわ!? (おばさんの懺悔)

 

ま、それはともかく映画ですよ。

 

いや~、主演のフレディ役の方、もう動き方から目の動かし方から、ステージ上のパフォーマンスから、フレディにそっくり! 彼は独特の動きをするのだけれど、その特徴をよくつかまえていた。実によく研究したものだと思う。

動きだけではなく、フレディの大胆だけれど繊細なところ、傲慢なのにシャイなところ、ゴージャスでありながら影のあるところを、巧みに表現していたと思う。

 

それだけではない。クィーンは4人それぞれに個性が異なっていて、しかもその異なる個性のハーモニーが素晴らしいのだけれど、もうね、4人が4人、そっくりなんですよ! 特にブライアン・メイとジョン・ディーコンに至っては、ある人曰く、

本人レベル・・・・

よくもまあ、これだけ揃えたものだ。演奏シーンなど、本当にクィーンが演奏しているのかと錯覚するほどである。最後のクライマックス、ライブ・エイドのシーンに至っては、

これは演技なのか、それともビデオを流しているのか・・・・

 と思ってしまった。もう、往年のクィーン・ファンにとっては、まさにクィーンが蘇って今目の前で演奏してくれているようで、涙がこみあげてきてしまった。マジで、この年で再びクィーンと出会えるとは思っていなかった。感無量とはこのことである。

 

単に真似をしただけでは、これだけのリアリティと存在感は出せなかっただろう。フレディの、ブライアンの、ロジャーの、ジョンの、何よりクィーンの存在そのものへ、俳優陣もスタッフも深く分け入ったからこそ、生まれて来たのだと確信している。

 

私は、フレディが自身の出自やゲイであることに悩み、内心葛藤していたことをこの映画で初めて知った。今の時代に生まれていれば、おそらく彼もさほど葛藤することはなかったろうに、と思う。ただ、その葛藤が彼の歌に陰影と深みをもたらしたことも事実だ。そう、その葛藤がフレディ・マーキュリーという人を作ったのだろう。

 

それにしても、往年のクィーン・ファンとして、20世紀フォックスには心からお礼を言いたい。よくもまあ、ここまでやってくれました。ハリウッドの底力を見た思いだ。この、「ボヘミアン。ラプソディ」という題名もたまらないじゃないか! だって、ファンにとってはこの曲こそ、クィーンの代名詞とも呼ぶべきものだから。

 

欲を言えば、映画を見ながら一緒に歌ったり、手拍子したり、声援を送ったりできたら、もっと良かった。

「フレディ!!」

 と叫びたかったよ。

 

そうそう、実は私は当時はブライアンのファンだったのだけれど、今度の映画その他で、改めてロジャーの実力に感じ入った。ドラムはもちろん、声もすばらしいし、もっと評価されていいドラマーだと思う。ドラムを叩いてる時のロジャーはめちゃくちゃかっこいいよ。

 

何だか何を書いているのか分からなくなってしまったけれど。

 

ともかく、全てのロックファン必見の映画です! アタシも絶対もう1回見ます!!

 

 

実はレックス、一度だけオフ・ステージのフレディに偶然会ったことがある。私が働いていたデパートにフレディがお忍びで買い物に来たのだ。

「何だか、有名な人が来ているみたいよ!?」

 と耳にし、

「わあ、誰だろう」

 と見に行ったら、フレディだったのだ。フレディは思ったより小柄で華奢な人で、日本人と比べてもさほど違いはなかった。周りの日本人ボディ・ガードの方がよっぽどデカかったよ。

「せめて、握手だけでも・・・・・」

 と思ったが、周りをこわもてのボディ・ガードやデパートの偉いさんががっちり固めていて、恐くて近寄れなかったよ、残念。ステージを降りた彼は物静かな感じで、そして少し寂しげだった。

 

そうそう、何年か前、ロジャーとブライアンがバッド・カンパニーのポール・ロジャースと共に、新たなるクィーンとして来日したことがあったっけ。しかし、私は、

「ポール・ロジャースも良いミュージシャンだけど、クィーンのボーカルはフレディじゃなきゃ!

 とかたくなに考えて、行かなかったのだ。今にして思えば、ポール・ロジャースがどうクィーンの音楽を、そしてフレディの歌を表現するのか、聞いてみても損はなかった。行けばよかったよ・・・・・。

 

 

話しは尽きないけど、ともかくもう一度、フレディが歌っているクィーンに会いたかった・・・・・。

 ああ、青春時代に夢中になった音楽は、やはりいつまでも自分の中のどこかに残っているね。

 

 

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