2018年5月22日火曜日

いつまで一緒にご飯を食べに行けるかな・・・・・


昨日は仕事の休みを利用して、母を外に食事に連れ出した。母の入所している特養から車で20分ほどの所にあるショッピング・モールだ。

 

最近はいい時代になった。車イスごと乗れるタクシーがあるし、こういうショッピング・モールでは多目的トイレも充実している。ベビー・カーで来るママも多いので、店内の通路も広めだ。車いすの母を連れて行っても、さほど困らない。

 

母には何週間も前から、

「誕生日には外に食事に行こうね」

 と言っていたが、もちろん母はそんな言葉は覚えていない。タクシーに乗りながら、

「どこへ行くの?」

 としきりに気にしている。きっと、認知症になると自分の周りの状況が理解できなくなるので、いつもと異なった場所に置かれると、不安になるのだろうなぁ。その度に、

「○○タウンだよ」

 と答える。

 

モールに着いても、母は何も言わない。

「へ~、広いのね」

 とか、

「あそこに花が咲いてるね」

 など、いわゆる「感想」を口にしない。何も感じていないのか、それとも自分の思いを表現する能力がなくなってしまったのか、私には判断できないが。




この日はモール内の和食系のファミレスで、姉も交えてランチである。母には温かいうどんと、魚と野菜の煮物をとった。この頃の母は、施設では刻み食やおかゆ生活だ。大好きなお寿司を食べさせてあげたいけれど、お腹の方が心配で結局このオーダーに落ち着いた。年を取ると、段々と食べるものも制限されてしまう。

 

母は黙々とうどんやおかずを食べている。「美味しい」とも言わない。「まずい」とも言わない。それでも意外な食欲を見せている。ここでも私には、母が喜んでいるのか、それともつまらないのか、分からない。喜んでいると思いたい。楽しんでいると思いたい。一方で、これは自分の自己満足なのかも、とも思う。私は、
「自分は母を外に食事に連れて行く良い娘」
 と思いたいから、また周りに思ってもらいたいから、だからこんなことをやっているのではないか・・・・・。でも、実際の母はどうなのだろう。本当に喜んでいるのかなぁ。人間、いくら親子と言っても、自分がその立場に立たなければ、中々本当の気持ちは分からないものだなぁ、と思う。


そんなことを考えている間にも、母はどんどん食べる。
姉は、



「皆で食べているから、食が進んでいるのじゃないか」

 と言う。でも、私は母のお腹を心配してしまった(食い過ぎないでよ~)。

 

自分が食べ過ぎているのか、それとももっと食べた方が良いのか、認知症はそうした判断も奪ってしまうのだ。段々と産まれた時に戻って行く母。

 

食後に母の新しいカットソーとブラウスを買い、紅茶を飲んでから施設に戻った。

 

多目的トイレは広かったけれど、それでも母が全く立てなくなったら、私には介助ができなくなる。

「いつまでこうして一緒に食事ができるかな」

 帰り道、ふと、そんなことを考えていた。

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