私は、「変化」には2種類あると思っている。1つは、見た目にはほとんどそれと分からず、気がつかぬうちに少しずつその姿を変えていくものと、あと1つはある日、ある時を境に、ガラリとその様相を違えてしまうものと。
私の介護生活は、その両方だった。おそらく、私の知らないところで母の変化は刻々と進んでいたのだろう。確かに段々家事が出来なくなるとか、私が会社から帰ってもボンヤリとテレビを見ているだけとか、「これまでとは違う何か」は起こりつつあった。
しかし、私はそれを全て「年のせい」ということで片づけていた。あまりと言うか全然と言うか、全く深刻にはとらえていなかったのである。
その日は突然やってきた。
いつものような平穏無事な一日も終わりに近づき、私と母は夕食のテーブルを囲んでいた。いつもながらの質素な夕食を、いつものようにああだこうだとたわいもない話をしながらモコモコと食べ、そしていつものように母は自分の食べ終わった食器をシンクまで運ぼうとした。すると、
「お母さん、足が変。歩けない」
とつぶやいたのである。
「どう変なの?」
と聞いても、
「何か、変。歩けない」
と言うばかり。私は、
「年だから自分で気づかぬうちにどこかにぶつけたか何かして、痛いのかもしれない」
と、さほど気にしていなかった。特にケガをしたような様子もなければ、転んだということもない。明日になれば治るだろう。
「いいよ、そこへ置いといて。私が片づけるから」
ところが、その日から3日とたたないうちに、母は1歩も歩けなくなってしまったのである。
高齢者の介護は、ある日いきなり始まることが、おうおうにしてある。赤ちゃんが、ある日突然立ち上がるように、高齢者はある日突然歩けなくなってしまうのだ。
その日の夕食が終わるまで、母には全くいつもと違った様子は見られなかった。それが、あの日あの時を境に、母は被介護者になってしまったのだ。そして、有無を言わさずに、私の介護生活の幕が切って落とされたのである。
その日の夕食が終わるまで、母には全くいつもと違った様子は見られなかった。それが、あの日あの時を境に、母は被介護者になってしまったのだ。そして、有無を言わさずに、私の介護生活の幕が切って落とされたのである。
おそらく、あの夕食後の光景を、私は一生忘れることはないだろう。
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