昨日は施設に入所している母を、外食に連れ出した。ちなみに、前回の相談会での母の希望が、
「外で食事がしたい」
だったもので。もっとたびたびどこかへ連れて行ってあげたいけれど、やっぱり母を連れ出すのはけっこう大変で。
母は一応、補助カーを使えば、室内だったら少しは歩くことが出来る。しかし、「昔人間レックス」な私は、車の免許がない。そこでどんなに近い距離でも、一々タクシーを頼まなければならない。この頃はタクシーの運転手さん達も、高齢者に対して理解のある方が増えた。なので、以前よりずっと楽にはなったけれど、それでも車の乗り降り、補助カーの積み下ろし等には神経を使う。何しろ、今度転んだら、寝たきり確定だ。そうなったら、認知の方も一気に進む。小心なレックスは、つい、外出に二の足を踏んでしまうのだ。
そんなこんなのすったもんだの末、近所のファミレスに落ち着いたのだが、もはや母は自分ではメニューを選べない。
「○○が食べたい」
ということは言えず、
「お母さん、分かんない。レックスちゃん決めて」
こんな場面でも認知症の進みを意識させられる。結局消化のよさそうな鍋焼きうどんにした。
実は、レックス家は私と母が食いしん坊、姉が小食という構図になっている。なお、早死にした父は糖尿病だったため、小食を強いられていた。子供の頃、母があまりにたくさんご飯を食べるので、よく姉と二人でぽかんと眺めていたものだ。だいたい茶碗に3杯ぐらい食べてましたよ、あの方は。
そんな母の血を一人だけしっかり受け継いだ私も、夜、眠りに入る前のベッドの中で、「明日の夕飯は何にするかな?!」などと考えているのさ(時々それで腹がすいて眠れなくなる・・・・・)。ま、それはともかく。
母は自分の気に入った食べ物を前にすると、目がキラリと光を帯びるのだった。
今回も、出かけるまでは、
「お母さん、(食べるのは)少しでいいから。何だかゲップが出るから」
と言っていたのが、いざ鍋焼きうどんを前にしたとたん、しゃんとなった。しっかり食べる姿を見て、安心した。
食欲は生命欲、食べる意欲があるうちは、まだまだ元気な証拠である。
しかし、食後に母をトイレに連れて行ったら、世話を焼く私に対して、
「すみません、お世話かけます」
・・・・・・・・・
まるで赤の他人に対するような物言いに、目が点になった。
思うに、普段母はお世話して下さる介護士さん達に、そう言っているのだろう。そのいつもの癖がするりと出たのだ。ちなみに、母の病気であるアルツハイマーの特徴の一つとして、「外面が良くなる」というのがある。
それにしても、私と来たことは理解していたはずなのに、とここでも病気の進みを意識させられ、切なくなった。
ところで、このファミレス、トイレがバリアフリーではなかった。今の時代、これはないだろう。車いすでも安心して使えるトイレを、1つは用意してもらいたいものだ。レストラン側にもいろいろ事情はあるのだろうが、手すり一つないというのは、いただけない。
もし、これをご覧の飲食店関係者の方がいらしたら、今一度トイレの状態を振り返っていただきたい。そしてもし手すり等が無かったら、ぜひとも手すりの設置ぐらいは検討してもらいたいと願うレックスなのである。
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