2019年7月3日水曜日

認知症は病気である、という事実に無頓着な人が多過ぎる





この間、たまたまYoutubeを見ていたら、さる大学の教授とかいう方がこんなことをいっていた。

「脳に負荷をかけない生活をしていると、認知症になる」

また、やはり以前、某ブログでブログ主の方が、

「子供に寄りかかって生きている高齢者は呆けやすい。一人で、誰も頼る人がいない人の方がしっかりしている」

 みたいなことをいっていた。

 

それを読んで、レックスは思った。

「今でもこんな偏見を持っている人がいるんだな」

 と。

彼らの考えていることは認知症の患者とその家族の人格を貶めるものだと、私は強く訴えたい。

 

認知症は病気である。その基本中の基本も理解されていないというのは、やはり未だに「呆ける」という言葉がしっかりと刻み込まれているためなのだろうな、と思う。

確かに血管性の認知症を除き、なぜ認知症を発症するのかという点についてはほとんど分かっていない。

しかし、認知症に限らず病気なんてみなそんなものだ、と言えなくもない。例えば癌だって、タバコが悪い、活性酸素が悪さをする、などいろいろ言われてはいるが、しかしタバコを吸う人が全て癌になるわけではない。リスクが高くなる、というぐらいのことしか言えないというのが現実だろう。

 

それに、私はこの人たちに聞きたいのだけれど、例えば癌になった人に対して、

「あんたはタバコを吸ったから癌になったのさ」

 と言うのだろうか。それとも、認知症だったら、

「あんた、頭使ってないから、人に甘えていたから認知症になったんだよ」

 と言ってもいいってか!?

 

もう一度いう。認知症は病気である。確かに「こういうタイプ、こういう条件の人が高リスク」ということはあるだろう。しかしながら、病気である以上、誰でもなる可能性はあるのである。


レックスは母を在宅介護していた時、認知症関係の本を手当たり次第に読んだ。地元の図書館に置いてある認知症関係の本、そのほとんどすべてを読破した、と言ってもいい。私は優秀な介護者というには程遠い人間だったが、この点に関してだけは自分を褒めてやりたいと思っている。

ひとえに「認知症」という病気を理解したいがためだったのだが、そうして読んだ本の中で、最もためになったのが、介護者や患者本人が書いた本だったのである。学者や医者など専門家の書いたものよりも、それは私を元気づけ、私に知恵を与えてくれた。

残念ながら、当時まだ日本では患者本人が書いた本は無かった。しかし、アメリカやオーストラリアでは何冊か書かれており、それらの本を読む限り、著者の皆さんは例外なく頭脳も優秀、仕事も優秀、という方々だったのである。

確かにそうした本を書いた患者さんたちは全ていわゆる若年性アルツハイマーの方々で、ウチの母のように老年性のアルツハイマーの方はいなかった。しかし、少なくともアルツハイマーという病気が「ぼうっとしている」からとか「人に頼っているから」なるといった類のものでないことだけは、確かだと言えるだろう。

中でも、オーストラリアの女性などは国家レベルで頭脳明晰な方であり、発症する前は政府高官の地位にあったのである。それでもかかってしまうことがあるのが、この「アルツハイマー」という病気なのだ。


また、前出の大学教授はこんなことも言っていた。
「認知症になってしまうと自分も悲惨だし、家族も悲惨だ」
 
これに対してもレックスは断固「ノー!」と言いたい。確かに母が認知症になって、レックスは介護離職をした。しかし、それを「不幸」だとも「悲惨」だとも感じたことはないし、今もそう思っていない。

大変なこともあったし、いろいろ苦労したこともあるにはあった。が、母が認知症にならなかったとしても別の大変さや苦労があったかもしれないし、母が認知症になったから、だから私の人生が悲惨になった、なんてことは断じてない。と言うより、
「人の人生、悲惨かどうかなんて勝手に決めるな!」
 である。

それは母には全く周辺症状がなく、例えば徘徊や妄想などに振り回されることが全くなかったから言えるセリフかもしれない。中には夜も昼も無く、介護に振り回されて疲弊されている方もいることだろう。

ただ、レックスが声を大にして言いたいのは、
認知症の家族がいる=不幸、悲惨
 という図式を安易に当てはめないでもらいたい、ということなのだ。母は認知症になってから、どんどん「子供」になっていった。私に遠慮なく甘え、駄々をこね、そして底抜けに無邪気な笑顔で笑った。それはそれで幸せな親子の時間だったのである。

認知症の患者はとんでもないお荷物で、その家族は悲惨な生活を強いられる、といったステレオ・タイプの押し付けは、いたずらに認知症患者の家族を怖がらせるだけだし、同時に認知症患者の人権と家族の人権を踏みにじるものである。

私は、声を大にして言いたい。
「親が認知症になったからと言って恐れることはない。ちゃんと正面から受け止めて、真直ぐに見つめればいいだけだよ。もし、自分の手に余ることがあったら、その都度専門家の力を借りよう。どんどん周りの力を借りよう。決して先回りしていたずらに心配することはないんだよ」


最後にもう一度、いう。認知症は病気なのだ。それをどうか、忘れないでほしい。





 

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