2018年3月15日木曜日

医師は言った「アルツハイマーです、中期に入っています」と・・・・・


入院中の妄想騒ぎも落ち着き、

「やっぱりあれは一過性のせん妄だったんだな」

 と、胸をなでおろしていたところ、母が通っていたデイサービス(母はデイケアとデイサービス、2カ所に通っていた。両者の間の明確な違いというものはないのだが、デイサービスとはどちらかと言えばレクリエーションに重きを置いている所で、デイケアはその名の通りリハビリも行っている所だ)の介護士さんから、母の「認知症疑惑」を指摘された。

「お母様、一度お医者様に診ていただいた方がいいですよ」

 

しかし、実のところ、私はあまり切迫感を覚えていなかった。確かにこの頃母は同じ質問を繰り返すことが増えた。ついさっき聞いたことを、2,3分後にまたたずねたりする。しかし、年を取れば誰でも物覚えが悪くなるし、認知能力も落ちる。母は「お金を盗られた!」と騒ぐこともないし、「○○さんが悪口を言っている」と被害妄想に陥ることもない。夜中に起き出して歩き回ることもないし、お鍋を火にかけたまま忘れてしまう、ということもない(とゆーか、母は全く炊事をしなくなっていた・・・・)。まさか、自分の母が認知症だなんて・・・・・。

 

認知症の家族を持った人なら思い当たるはずである。自分の家族が認知症になった、という現実を、人は中々受け入れられない。たとえ頭では分かっていても、心と体はその現実を拒否してしまう。そして、それが悲劇に結びつくこともある・・・・・・。

 

ところで、今でも決して十分とは言えないが、当時は認知症の専門医は今よりもさらに少なかった。精神科や脳神経内科などが主な受診先だったのだが、家から近く、かつ受診しやすい専門クリニックは、ほんの数えるほどだったのである。その中から「これ」と言うクリニックを見つけなければならない。認知症に限らないのだが、脳神経系の病気の厄介なところは、診断において決定的な決め手がない点だった。もちろん、長谷川式のようなテストはあるし、MRICTのような画像診断法もある。それでかなり詳しく診ることはできるのだが、しかし正確な診断は結局のところ、解剖してみなければ分からないと言われている。つまり、医師の見立てがより重要になってくるのだ。私はネットとにらめっこで、「良い先生」を見つけようと懸命だった(ネットでそんなことが全て分かるわけじゃないのにね)

 

すったもんだの末、ようやく一軒のクリニックを選び出し、土曜日の午前中、私は母を連れ出したのだった。物忘れ外来を受診するとなると、高齢者の抵抗にあう場合が非常に多い。

「私はまだ呆けてない!!」

 というわけだ。私も内心それを恐れていたのだが、

「市の決まりで、80過ぎた人は一度診てもらうことになっている」

 と嘘をつくと、母は意外にすんなりと受診を了解した。

 

あの日のことは、今でも覚えている。長い、長い、一日だった。診察は、問診から入った。私は母が認知症のわけはない、これは自分と母を安心させるための受診なのだと信じて疑っていなかったから、リラックスして先生から聞かれたことには全てありのままを答えた。続いて行われたのは、例の「長谷川式スケール・チェック」である。これは、最も標準的に用いられている認知症を測るテストで、計算や記憶力などのチェックをするものだ。母が検査を受けている後ろで、こっそり自分もやってみたのは、お約束、だろうか(けっこう難しかったぜ)。もちろん、そこでも私は何の心配もしていなかったのである。

 

最後がいよいよ、画像検査だ。CTスキャンで、脳細胞、主に海馬と呼ばれている部分の委縮具合を診る。ここまで来るともはや2時近くなっていて、私は認知症ウンヌンよりも母の身体の方を心配していた(何しろ、親子そろって食い意地がはっているもので)。それが終わると、やれやれやっと診断結果である。何の不安も抱いていなかった私に、先生はハッキリと、こう告げたのだった。

「アルツハイマーです。もはや、中期に入っています。初期ではありません」

「え!?」

 

最初の感想は、

「まさか、そんなことあるわけがないだろう」

 だった。しかも、先生は母の前で堂々と「アルツハイマー」と告げたのだ。母はどう思ったのだろう、母の様子をうかがうと、母も、

「え!?」

 という顔をしている。それ以降の先生の説明は、一切私の耳には入らなかった。ただ、海馬が委縮しているという事実、これから定期的にこのクリニックに通わねばならないという事実、そして私は認知症、ことにアルツハイマーの勉強をたっぷりする必要がある、という現実だった。

 

しかし、そうした事実・現実を前にしても、私は未だ母がアルツハイマーであるということが信じられなかった。それにしても、よりによって何で先生は母の前で「アルツハイマー」などと言ったのか。母はきっとすごくショックを受けているに違いない。何とも重苦しい気分で家にたどり着いた私に、さらに我が目と耳を疑うショックな事態が待ち受けていたのだ。何と、母は自分がアルツハイマーであると診断されたことを、すっかり忘れてしまっていたのである

「ああ、やはり母は本当にアルツハイマーなんだな」

 そう思わないわけにはいかなかった。

 

とは言え、それを心の底から真に理解するには、2年近くの年月が必要だったのである。

 

よく言われる。家族に認知症の者が現れた時、人は次の段階を経ていくと。最初は驚き、そして拒絶、怒り、やがて受け入れ、悟り、共感する・・・・・。

 

ともかく、足の骨折に加えて、新たに認知症介護も加わり、ますますずっしりと両肩に重荷を背負ってしまったレックスだった。

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