2018年3月12日月曜日

怒涛の介護生活突入


母が退院し、不安でいっぱいの働きながらの介護生活が始まった。

 

まず、やらなければいけないことは、母の要介護認定だった。これはどの程度の要介護度かを決めるもので、公的機関の審査を受ける。この介護度によって受けられるサービスの種類や量が決まる、介護家族にとっては何より重要な行事(?)である。通常、審査を受けてから介護度が決定するまで23ヵ月を要するのだが、その間、仮の介護保険証がもらえる。サービスを受けることもある程度可能だ。

 

しかし、この審査、介護家族にとっては中々に厄介なものである。家族としては介護度が重いのも「・・・・・・」だが、介護度が思ったよりも軽いと、今度は受けられる介護サービスが限られてしまうのだ。それに、症状に見合って軽いのならともかく、審査をする方と家族の側の思惑が、必ずしも一致するとは限らない。しかも・・・・・・

 

ああ、なんだって高齢者ってこう、こういう審査だとやたら張り切ってしまうのか、と思うのだよ。普段は、

「立てないの・・・・・」

 と家族に訴えている人が、スタスタと歩いたりするから、困ってしまう。うちの母も審査の時はやたら張り切ってしまい、

「おいおい、介護認定が下りなかったら、どうすんだよ!?」

 と心穏やかではなかったのさ。

 

母の場合、人工骨の手術を受けているので、介護用ベッドは必須であった。加えて、玄関に手すりも必要だ。そうしたレンタル用品も全て介護保険を利用することになる。それに、これからは私が仕事をしている間、母を家に一人で置いておくわけだから、デイ・サービスやデイ・ケアも考えなければいけない。やらなければならないことは山積みだった。

 

私の会社は中小企業もいいところだったので、介護休暇などというおつなものは、夢のまた夢だ。これらの仕事を、私は全て土曜日にやらなければならなかった。私の場合、ケア・マネージャーさんが私の状況に理解があり、こちらの都合に極力合わせてくれたので、その点は非常にありがたかった。時間のやりくりというのは、仕事を持ちながら介護をする家族にとって、必須課題の一つだ。まとまった介護休暇が取りづらくとも、例えば半日、数時間単位で取ることができるとか、もっと利用しやすい環境を整えてもらえればな、と思う。ただ、介護と言うのは実際に体験してみないことには、その大変さは中々分からないし、同じ介護でも同居と別居ではまた、違う。味わったことのない人に、その辛さを分かれ、と言っても、中々難しいものがある。

 

ともかく、どうしてもやる必要があること、ベッドやその他の介護用品のレンタル、デイ・ケアやデイ・サービスの決定、デイに行かない日は昼間数時間だが、姉が様子を見に来てくれることなど、バタバタと決めて行ったのだった。もちろん、不安は解消されなかったが、ともかくこれでやっていくしかない。とまあ、若干見切り発車的にスタートしたのだが・・・・・。

 

ああ、母がここまで「非協力的」だったとは、私には全く予想外だったのさ・・・・。

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