2018年10月7日日曜日

祝! 退院!! と言いたいところだが、中々そうはいかないところが高齢者なんだよなぁ・・・・・・


母が退院した。レントゲンにも肺炎の影がすっかり映らなくなったし、血液検査の数値も正常に戻った。食事も、おかゆではあるがまずまず摂れるようになった。それ自体は「良かった!」のだが、もろ手を上げて喜べないところが、高齢者の悲しさで・・・・・

 

何と言うのだろう、病院に入院するたび、段階的にある意味悪くなっていく気がする。若い人なら退院となれば、多少身体が衰弱していても、

「ああ、良かった、すっかり治ってくれた!」

 となるのだろう。それは、身体の衰弱も徐々に快方へ向かっていくだろうことが約束されているからだ。が、高齢者の場合はそうはいかない。ずっとベッドで過ごしている間に元々無かった筋力はより衰えてしまっている。母も、入院前は歩けないまでも車イスに乗って過ごしていたのだが、今ではベッドにくぎ付け状態だ。

また、外も見えない、人との交流もほとんどないという病院暮らしで、恐れていた通り認知症の方も進んでいる。

 

本当に、この衰えようは驚くばかりで、2週間という時間の流れが若い人の10倍にも20倍にも感じられてしまうのだ。覚悟はしていたが、認知症が確実に進んだことは素人目にもハッキリと分かる。目に光が無くなったし、反応も鈍い・・・・と言うより、無い・・・・・

「病院に入って、返って悪くなったみたい・・・・・」

 とつい、思えてきてしまう。

「でも、あのままでいたら肺炎であの世に行っていたかもしれないんだから、そんなこと考えたら罰が当たるぞ」

 と言い聞かせても、やはり・・・・・・。病院関係者の方、申し訳ありません、こんなヤツで。

 

もちろん、これが病院の責任ではないことは百も承知だ。高齢者の介護をしていると、これは避けては通れぬ道なのだ。ささいなことをきっかけにして、階段を下りるように確実に、ガクンガクンと状態が下降していく。私としては、つい、入院前の状態に戻れることを期待してしまう。しかし、確実に出来ないことが一つ、また一つと増えていくのだ。親族としてはその状況を受け入れることが出来ない。いや、最終的には受け入れざるを得ないのだが、受け入れるのに時間がかかってしまう。頭では分かっていても、感情が受け入れを拒否してしまうのだ。

 

本当に、これまでも何度こんな状況を味わってきたことだろう。つい3年ほど前までは、歩行器を使用してはいたが室内に限定すれば母は歩けていたのだ。いや、5年ほど前には歩行器で家の近所を歩くことも出来たのだ。それが、今では車イスにも座れない。それも、このわずか2週間ほどの間に起きたことなのだ。

 

仕方ないのだ、これが高齢者の、高齢者介護の宿命なのだ、と思っても、やはり心のどこかでそれを認められない、認めたくない自分がいる。もしかしたら、また車イスに乗れるようになるのでは、歩行器で少しは歩けるようになるのでは、もしかしたら、もしかしたら、そんな思いが捨てきれない。どうしてもあきらめきれないのだ。

 

こういう思いと向き合い続けるところが、介護のしんどいところだなぁ、とちょっとめげている自分がいます。

 

 

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