2018年6月24日日曜日

親子旅行は、できる時にやっておこう


母の介護が始まる前、私の唯一にして最大の趣味は、旅行だった。パラサイト・シングルあるあるな趣味ですな。

 

中小企業のしがない事務員だったが、一応正社員だったし、ブランドものにもグルメにも興味のない実家住まい、1年に23度旅行に行くぐらいの融通はきいた。国内国外を問わず、休みになるのを待ちかねて、いそいそと旅行に出かけたものだ。中でも好きだったのが1人旅だ。もちろん友人達とも出かけたが、私は1人でフラリと外国の街を訪れるのが好きだった。

 

そうそう、話は逸れるが、私がまだ20代だった頃、

1人旅が好きだ。1人でどこへでも行ってしまう」

 と言ったら、

「(1人旅が好きって女は)アヴァンチュールを期待しているんだ」

 とほざいたアホ男がいたっけ。当時はまだまだ1人旅の女性に対する偏見が強い時代で、旅館などでも「1人旅の女」というのは敬遠されることも多かった。しかし「アヴァンチュール」って・・・・。どうしてそういう下半身方向の目線になるのかなぁ、よっぽど1人旅の女に迫られた過去でもありますか、その顔で(ないんだろう、どうせ)。

「安心しな。たとえそうだとしても、あんたみたいな男だけは誘わねぇからよ!」

 と言ってやりたくなったよ。

 

まあ、そんなわけで夏休みやGW、正月休みにはせっせと旅行していた私だが、時々は母を一緒に連れて行った。いつも自分だけ楽しんでいる後ろめたさを、それで帳消しにする気持ちが、私の中にあったのだろう。一種の免罪符のような感じで、気が向くと母を誘ったものだ。むろん、自分一人や友人と一緒の方が、私にとってははるかに気楽で、楽しかったのである。

 

とりあえず母に、

「どこへ行きたい?」

 と聞いてはみるのだが、いつも母の答えは決まっていた。

「どこって言ってもお母さん分からないし。連れてってくれるのなら、どこでもいいよ」

 どこでもいいと言われてもねぇ・・・・というわけで、たいていはどこか静かな温泉に、と話は落ち着くのだが。

 

もっとも、「母を連れて行く」と言うと聞こえはいいが、母の分の旅費はいつも母自身が出していた。まったく、面目ない話である。それでも母はいつも嬉しそうに、いそいそとついてきてくれた。

 

さて、実は母を連れて行けなかった場所が1つ、ある。ハワイだ。一度は母を海外旅行へ連れて行こうと思っていた。それにはやはり、ハワイがいいだろう。何といっても「憧れのハワイ航路」世代だ(昔、そんな歌があったのさ)。母の若い頃、海外旅行は夢のまた夢、だっただろう。そんな世代にとって、ハワイはきっと夢の楽園だったに違いない。ハワイだったら日本語も通じるし、飛行時間も7時間ほどだ。治安も、海外ではまずまずだし、何と言ってもハワイは高齢者の海外旅行の王道だ・・・・。

 

しかし、母にとってハワイ旅行は中々に敷居が高いもののようだった。1番の難関は、パスポートの取得だ。アルファベットが全く読めない、書けない母にとって、一人でのパスポート申請は、高くそびえる城壁だったのである。

 

私も営業所の1人事務員という立場上、母のパスポート申請を助けるために会社を休むのは気が引けた。いや、私は会社に休みを申請したり、上司にイヤな顔をされたり、仕事の調整をしたりといったことが煩わしかったのだ。

 

結局、ハワイへは行かずじまいで、そのうちに母は足を骨折し、アルツハイマーとなり、旅行どころではなくなってしまった。

 

今、思う。あの時、面倒がらずに休みを取り、母にパスポートを取らせてあげれば良かったと。母をハワイに連れて行ってあげれば良かった、と。2人でカラカウア大通りを闊歩して、ビーチでのんびりと日光浴も出来たのに、あの頃だったら。そう、あの頃だったら・・・・・。

 

やはり、親子旅行は行ける時に行っておいた方がよい。今、切実に思う。もう、今からでは母をハワイに連れて行くことは、絶対に出来ない。

 

この間熱海に行った時も、高齢のお母さまと中年の娘さんというペアを、何組か見かけた。お母さま方は皆さん、若干得意げな顔で、熱海を楽しまれていた。それを横目で見ながら、

「ああ、もう私は、私たちはああいうことは二度とできないんだな」

 と少し寂しく思った。一緒に旅行していた時には、

「お母さんを連れてくると疲れるなぁ。ちょっとめんどい」

 としか、思っていなかったのだが。

 

人間、出来る時には分からない、分かった時にはもう遅い、そんなものかもしれないなぁ。

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